2012年5月29日

『独居』死は本当に『孤独』死か

いつだったか、雨降りしきる寒い夜に自分が車にひき逃げされて、そのまま誰にも見つけてもらえず死んでしまったら、かなり寂しいだろうなと思ったことがある。こうして望みもしないのに独りで死を迎えるのはまさに『孤独』死だと思う。では、ちょっと前にニュースでやたら取り上げられていた「独居老人が部屋で一人で亡くなっていた」という場合はどうだろうか。

結論から言えば、人それぞれだろう。部屋で一人で死んだからといって、孤独死だったと考えるのはちょっと短絡的すぎるかなと思う。それがその人の好みの生き方・死に方だったかもしれないのだから。逆に、もし多くの人に囲まれて亡くなるにしても、その人たちが繰り広げる遺産相続の言い争いを聞きながら死ぬ場合、それは孤独死と言って良さそうだ。孤独だったかどうかなんて本人にしか分からないのだから、周りが『孤独死』と評価してしまうのはおかしいし、失礼でもあるのだ。

だいたい、「高齢者は人との触れ合い求めている」というのは幻想に過ぎず、「知らない人と話したり関わったりするのなんざまっぴらごめんだ」と言ってデイサービスや施設入所やヘルパーを頑なに拒否する独居老人だってたくさんいる。そういう人たちが『独居死』に至るのは至極当然のことではないか。

では『孤独死』という言葉はいったい何なのかというと、実はそれを使う人の心の中にある「自分は孤独の中で死にたくない」という気持ちや、「家族を独りで死なせるかもしれない」といった不安のあらわれである。

そこで考えてみよう。自分が「寂しくない人生」を手に入れるために、どれくらい努力する気持ちがあるかどうか。好きな人としか付き合わずに「寂しくない人生」を手に入れられる幸運な人なんてそう多くはない。煩わしい人間関係を厭わず、苦手な人ともそれなりに交際し、どうでも良いような人にも笑顔で応対してこそ、「最近あの人見かけないね」なんて気にかけてもらえるのだ。面倒くさいのはイヤだけど死ぬときは誰かに見守られたいなんてのは、ちょっとムシが良すぎやしないか。

腹をくくって独居死を受け入れるか、そんなの寂しくて孤独で嫌だから家族と親密にしたり地域のコミュニティにマメに参加したりするか、それはあなた次第なのだ。

2 件のコメント:

  1. 人は 生まれ出るときも死ぬときも その場はひとり。

    長生き過ぎる現代の人間の自分の始末のつけ方を
    エネルギー問題とともにもっと考えるべきだと思います。
    (宗教的じゃない方向で(笑))

    勝手に死なれると 迷惑だよ、っていう㊙なイメージもあります。

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    1. >あじさんさん
      死ぬのは一人、というのを忘れたり、恐れたりで、心中なんてものがあるんでしょうかね。俺は世の中の移り変わりを見届けたいし、孫子の顔をたくさん見たいので長生きしたいんですが、なるべく迷惑をかけないようにして、でも最後は見守られて死にたいという、けっこう欲張りです。

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