2012年10月16日

世にも奇妙な人体実験の歴史


もの凄く面白かった。目次からもある程度その面白さが伝わると思うので、ぜひamazonの『なか身検索』でチェックしてみて欲しい。

本書に出てくるほとんどの科学者が、一歩間違えば人体実験を行なう非道なマッド・サイエンティストなのだが、その人体実験の被験者が自分、つまり『自己実験』というところが凄い。

ハンフリー・デービー(アルカリ金属やアルカリ土類金属をいくつか発見したことで知られ、塩素やヨウ素の性質を研究したことでも知られているらしい)の実験風景など、思わず笑ってしまう。かつて一酸化炭素が健康に良いと信じられていた時代があった。吸入すると頬が紅潮するからそう誤解されていたようだ(一酸化炭素中毒で死亡した人の顔は青白くない)。当時21歳のデービーは、このことに疑問を持ち、自己実験を行なった。
彼はさまざまな種類の気体を自分で吸入し、試してみた。一酸化炭素を吸入したときには、「死の淵へと引きずり込まれる」ところだった。「私には、口を開けてマウスピースを落とす力しか残っていなかった。……私は3回吸入したが、あと1-2回多く吸入していたら即死していただろう」と彼は述べている。すぐに純粋な酸素を吸入したため、彼は一命を取り留めた。恐怖によって彼の熱意に歯止めがかかることはなかった。一週間後には揮発性溶剤を吸いこんで喉頭蓋を火傷し、窒息しかけた。こうした危険な実験のあいだ、このままでは死んでしまうと思ったときでさえ、彼は冷静に自分で脈を測っていた。
デービーの同僚たちは、翌朝彼が生きている姿を見てはほっとしたものだった。
本書の著者トレヴァー・ノートンは、ちょいちょい皮肉のきいたジョークを入れこんできて、それがまた面白い。エーテル麻酔の発明者である歯科医ウィリアム・モートンに関するエピソード。
エーテルの効果を人間に試す前に、まず使い捨てできるもので試してみようと思ったノートンは、妻のペットのイヌと金魚を実験台に選んだ。イヌと金魚はかろうじて死なずに済み、彼もかろうじて離婚されずに済んだ。
さまざまなものを食べられるかどうか試したフランク・バックランドに関する一節。
フランクはまるで百科事典のような味覚の持ち主だった。「殉教者の鮮血」が出現するという奇跡を調査するため、ある教会を訪れた時のことである。教会の床には、本当に染みが点々とついていた。彼は染みの一つを舐め、一言、「コウモリの小便だ」と言った。コウモリの小便を他の何者かの(たとえば、ネズミや司祭の)それと区別できるとは、いったい何種類のサンプルの味見をしたことがあったのだろう。
医学関連が多い本書の中でも印象に残ったのが、人への心臓カテーテルを初めて達成したヴェルナー・フォルスマンだ。彼は、首からカテーテルを挿入された馬の絵を見たことがあった。それを応用して人間の心臓内部を探れるのではないかと考えたのだ。そこで上司に申請するが、患者を使って試すことにも、それから自分を使うことも許可されなかった。そこで彼は仲の良い看護師に協力を頼んだ。
二人は昼休み中にこっそり手術室に入った。フォルスマンは腕の血管を切開し、そこからゆっくりと長さ65センチのカテーテルを挿入し、心臓へ向かってスライドさせた。二人はレントゲン室へ移動し、そこで彼は鏡を見ながらカテーテルを心臓まで導いていった。レントゲン技師が、心臓に向かってフォルスマンの体内を不気味に這い回るカテーテルのX線写真を撮影した。
この実験結果は1929年に発表されて大騒ぎとなり、フォルスマンは病院をクビになる。それから27年後になってようやく功績が認められてノーベル賞を受賞した。ちなみに、自己実験を行なった1929年当時、フォルスマンは大学を卒業したばかりの25歳。今で言えば、研修医である。

その他、海にほとんど荷物を持って行かずに漂流して、どれくらい生き長らえるかを自己実験したアラン・ボンバールの話は、なんだか凄く胸を打たれた。彼の漂流記は本にもなっている。これも面白そうだが、かなり古い本しかないので入手が躊躇われる。

理系文系問わずに楽しめる実にお勧めの本。

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