2013年9月12日

島の怪談 海上の祭り

この島で、続けざまに二件、小型漁船の遭難事故があった。どちらも、夜中に一人で漁に出て、朝になっても帰ってこないので騒動になった。一件目では船は見つかったものの、乗っていた漁師は見つからなかった。二件目は、無事に救出されたものの、以後、漁には出たがらなくなったという。生死の境をさまようような遭難をしたのだから当然だ、と周囲の人は考えた。しかし、どうやらそういう理由ではないらしい。

漁師の語ったところは、こうである。

夜の海で、自分の位置を見失った。あつい雲にさえぎられて、月明かりも届かない。少し霧も出たせいか、島影すら見えない。初夏とはいえ、海の上、少し肌寒くなってきた。無闇と動きまわると、燃料を使いきってしまい危険だ。エンジンを切って、甲板に寝ころんだ。朝までこのまま待とう、そう腹をくくったときだった。

「おーい」

遠くで人の声。
いやまさか。
風か。
それとも波の音か。

「おーい」

また。
今度は、少し近い。
風でも波でもない。
明らかに。

「おーい」

人の声。
それも、さっきよりさらに近い。
上半身を起こした。
救助か。
いや、それはない。
朝になっても帰らない船が遭難と判断されるのだから。
まだ自分は遭難したことにはなっていないはずだ。
となれば、この声はいったい。

「おーい」

それに、この声は、聞き憶えがある。
あたりを見渡すと、また、

「おーい」

声のするほうを見た。
いた。
この前、遭難した男。
漁師仲間だった。
彼が、いた。
海の上に。
立っていた。

「おーい、おい、おい、こっち、こっち、こっち来い」

笑いながら、彼はそう言った。
手まねきまでしていた。
ぞぞぞ、と、全身の毛穴が立ち上がるのが分かった。
顔をそむけた。
目を閉じた。
それでも、声は聞こえてきた。

「おい、ほら、おい、ほら」

波の音に合わせるかのように、リズミカルに。
屈託なく、明るい声で。

「こっちに来い、ほら、こっちに来い」

耳をふさいだ。
頭を振った。
幻覚だ、妄想だ。
やめてくれやめてくれやめてくれ。
それでも、かすかに声が聞こえる。

「おいほら、おいほら、こっち来い、ほら、こっちに来い」

とにかくひたすら耳を押さえ、目を閉じ、甲板にうつ伏せた。
どれくらい経っただろうか。
ふと気づくと、声が聞こえなくなっていた。
おそるおそる、耳から手をはなした。
声は、聞こえない。
目を閉じたまま、頭を上げた。
ゆっくり、ゆっくりと、薄目を開けた。
そこには。
海の上には。
数えきれないくらい人がいた。
皆、笑顔で手招きしていた。
何年か前に遭難した近所の爺さんもいた。
子どものころ、海で溺れて死体があがらなかった友人の姿もあった。
あまりの現実離れした光景に、ふっと自分を見失った。
みんな、笑っているじゃないか。

「おい、ほら、こっち、ほら、ほら、こっち、こっち来いって、こっち来い」

祭り囃子のようにさえ聞こえる。
なんだ。
楽しそうじゃないか。
俺も。
腰を上げかけた時、少し大きな波で船が揺れた。
よろめいて、尻もちをついた。
尾てい骨に響いた痛さで、我に返った。
危なかった。
もう少しで。
落ちていた。
恐怖心と怒りとを混ぜ合わせて、彼らを睨みつけると、

こいつら……、なんて顔をしてやがる。

もう、誰も笑ってはいなかった。
怒り顔でもない。
泣き顔でも、悔しそうな顔でもない。
これは、そう、漁協の宴会のときの、乾杯待ちの顔だ。
酒を飲むのが待ち遠しくてたまらない、そんな時の……。

ソワソワ、ワクワクした表情。

待ってやがる。

俺が落ちるのを。

釣り針で指先を突いた。
叫びながら、何回も何回も。
自分を見失わないように。
我を忘れないように。
朝が来るまで、彼は指先だけでなく体中を刺し貫いた。

彼が救助されたとき、服に広がった血の染みは、赤い水玉模様となっていたそうだ。



※谷一生の著書『富士子 島の怪談』のタイトルからインスピレーションを得て書いた。遭難救助の直後、現場近くの居酒屋で聞いた話をもとにしている。

2 件のコメント:

  1. Ciao いちはさん
    怖い!!

    "阿刀田高" も喝采を送りそうな出来だと思います
    上の小鬼も面白かったけど、、
    私の好きな世界。です笑

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    1. >junkoさん
      ありがとうございます!
      阿刀田さんファンに怒られそうな褒め言葉です!!

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返事が遅くてすいません。