それからは、埼玉県所沢市でアルバイトを2つ掛け持ちして過ごした。朝5時に起きて6時から9時までコンビニ、9時半から夕方5時まで古本屋で働いた。ブックオフという古本屋を辞めて、別の古本屋で働きだしたことに意味はなく、単に「業務内容が同じならやりやすかろう」という程度の考えだった。
古本屋の仕事が終わると、早朝の勤務先であるコンビニに寄って廃棄のおにぎりや弁当をもらい、500mlのビールを2本買って帰った。当時はまだそう酒好きでもなく、ただなんとなくビールを飲んでいた。小さなテレビに映る小さな芸能人を見ながら、何度かゲップをして、夜の10時には布団に入る生活だった。
このままホームレスになるのかもしれない。ある日ふと、そんなことを思った。九州大学というそれなりの大学を出て、夢を抱いて上京し、挫折し、屈折し、二つのアルバイト先で頭を下げながら生きる毎日。故郷から遠く離れたこの土地で、何もかもを放り投げ、逃げ出して、転がり落ちるようにホームレスになる。
それは、青二才のプライドと厭世観が混じりあって生まれた、ある種の自己陶酔でもあった。九大卒からホームレス。笑えるじゃないか。一斗缶に薪をくべながら輪になって暖をとるホームレスの姿を思い描いた。その中に、薄汚れた格好の俺がいる。ヒゲを伸ばしたその顔には、諦めとも悟りともつかない表情が浮かんでいる。
そんな空想に耽りながら眠りに落ち、翌朝5時には目覚ましに叩き起こされてバイトに行く。そうやって3ヶ月ほど過ごしてみて思った。こんな中途半端なのはイヤだ。とはいえ、今さら普通のサラリーマンになるくらいなら、とことん落ちてホームレスにでもなるほうがマシだ。でもその前に、一発逆転に賭けてみても良いじゃないか。
医者か弁護士、どちらか目指して、どちらもダメならホームレス。それでいい。司法試験は難しいという噂だから、よし、医学部にしよう。それからは、自分なりに一生懸命に勉強した。会社勤めに失敗し、苦し紛れの医学部受験にまで失敗したら、もう故郷には帰られない。ヘラヘラ笑って戻れるほど、俺の心は太くなかった。
1年9ヶ月後、無事に医学生になれた。そしてようやく、故郷に帰ることができた。
ルポ 若者ホームレス
実際には、俺がホームレスになることは絶対になかっただろう。親戚には面倒見のいい人たちがいっぱいいるし、俺がホームレスになろうとしても温かい阻止が入ったと思う。しかし、世の中には頼れる親戚がいないどころか、親さえいない人たちもいる。そうした人たちは、一歩踏み誤ればホームレスになりかねない。それが今の日本の現状だ。
本書を読んで、若者ホームレスといわれる人たちが大変なのはよく分かる。同情もする。それでも、皆がみんな可哀そうというわけではないだろう。職場から何も言わず逃げ出したり、どこに行っても人間関係トラブルを起こしたり、そういう生き方しかできない人たちがいる。甘えでもなく、弱さでもなく、それが性質なのだとしか言いようのない人たちが。
「ホームレスは辛い、可哀そう」
というのが、すべての若者ホームレスに当てはまるわけではないようだ。
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