2019年3月16日

アブない人には近づかない、それが最善の自衛

好意を寄せる女性がいる。
ところが、この女性には仲の良い男がいる。
だから、その男のことが憎たらしい。
そして、そんな男と仲良くしているその女性が憎たらしい。

こういう思考の流れの人、いるんじゃないかな。

「憎たらしい」という感情が、もともとの「好き」という気持ちを凌駕して、本人は純粋に「憎たらしい」としか感じられなくなってしまった状態。
ただ、そもそものキッカケは「好き」という感情。

攻撃される女性としては理由が分からず、
「本当は好きなんだろう」「好きの裏返しだ」
そう考えたり言われたりすることがあるかもしれない。

しかし。

加害者の中では「憎い」という強烈な感情が、そもそもの「好き」を焼き尽くしているので、残っているのは「純粋な憎悪」。

加害者も、もはや「なぜそんなに憎いのか」が分からなくなっている。ただ、「理由なく憎い」というのは脳内のおさまりが悪いので、なんだかんだと理由や難癖をつけることになる。

ある知人女性が向けられている攻撃を見てきて、こんなことを考えた。

こういう状況のとき、憎まれる女性と同じく、憎まれる男性にも身に覚えがない。だから、二人とも困惑する。そのいっぽう、加害者のほうは「憎む理由」を次から次へと後付けするので、本人なりに「筋の通った憎しみ」だと感じる。なんなら「正義は我にあり」とさえ思っているかもしれない。

こういう人に遭遇したら、とにかく関わらないことがベスト。なにをしても、なにを言っても、それは後付けで「憎む理由」にすり替えられてしまう。こういう人が相手だと、「関わらない」ことさえ「憎む理由」にされかねないが、それでも「関わらない」が最善だ。


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