2011年12月12日

A級戦犯は永久戦犯か?

戦争に関する決まりごとがある。戦時国際法とか、まぁその他のあれやこれや。

ちょっと前に、『戦争倫理学 (ちくま新書)』を読んだ。

難しい本だったので咀嚼せずに読み進めてしまって、だから詳しい内容を正確には覚えていない。とはいえ、多少は、おぼろげには記憶している。これから先、間違ったことは書かない。たぶん、書かないと思う。書かないんじゃないかな。まちょっと覚悟はしておけ。

そんなさだまさしに背中を押されて、戦犯についてちょっとだけ書く。たぶん、ちょっとだけだと思う。ちょっとだけじゃないかな。まちょっとk、あ、くどいですね。

現代の裁判というのは、罪刑法定主義にのっとっている。これは簡単に言うと、なにが犯罪かということはあらかじめ法律で明確に決めておいて、それと照らし合わせて罪かどうかを考えましょう、ということ。そんなの当り前じゃないか、と思うかもしれないが、昔はそう当たり前でもなかった。大まかな法律があって、あとはその時その場のお裁きごとに考える。「うーん、無罪」とか「はい、有罪」とか。これだと怖い。おちおち安心して裁判なんて受けていられない。というわけで、最初から法律で犯罪についてガッチリ決めておきましょう、ということになった。

そういうことを踏まえたうえで、第二次世界大戦が終わってからの東京裁判を見てみると、戦犯と言われる人たちは、その時点ではまだ明文化されていない罪で裁かれているのだ。これは良くない。だいたい、日本人を裁く根拠があやふや、怪しい、いや、むしろおかしい。論理的に検証すれば、日本人だけが戦犯として裁かれる正当性がない。そんなことをきちんと考証したのが、世界史なんかでも名前が出たパール判事。インドの法学者でもある。彼は、
「裁判憲章の平和に対する罪、人道に対する罪は事後法であり、国際法上、日本を有罪であるとする根拠自体が成立しない」
という意見を述べた。この「事後法」というのがミソで、さっきの罪刑法定主義を思い出してほしい。まだ法律として明文化されていないことで裁かれて、
「それが犯罪だって、法律には書いてないじゃないですか」
と訴えたら、
「じゃ、今からそういう決まりにするから。で、あーた有罪ね」
と言われてしまう、これが事後法。パール判事はこうも言っている。
「戦争の勝ち負けは腕力の強弱であり、正義とは関係ない」
日本びいきと言われているが、まったくそんなことはない。きちんと検証・考察したうえでのものだ。実際のところ、あまり日本を好きじゃなかったという話も聞いたような、読んだような、いや、まったくの俺の空想のような、そんな気もしないでもないが。

もし日本が悪かったとしても、それはそれ、国が裁かれるべきであって、個人が裁かれるなんていうのは、どうしようもなくおかしい。アメリカ人がベトナムで虐殺を行なったことは明らかなのに、それに関して、アメリカの大統領が死刑になりましたか、いいえ、なってません。ところが、サダム・フセインはあっさりと死刑にした。おい、ちょっと変だぞ、アメリカ。

そういうわけで、日本人は日本人として、前回の戦争について考えないといけない。
「靖国にはA級戦犯以外も祀られてあるのだ。分祀すれば良いではないか」
そんな意見も分からないではないけれど、もっと根本的な部分で、A級戦犯として裁かれた人たちは、本当に戦争犯罪人だったのかどうか、そのあたりを考えてみるべきではないのだろうか。

最後に、俺の意見としては、戦犯扱いはやめて、だから当然、政治家は靖国参拝に行くべきというものだ。

靖国神社:全閣僚靖国参拝せず 「アジア諸国へ配慮」鮮明

菅内閣の全閣僚が15日の終戦記念日に靖国神社に参拝しない方向となった。12日の閣議後会見で靖国参拝の意向を示した閣僚が一人もいなかった。昨年も全閣僚が参拝を見送っており、アジア諸国への配慮を重視する民主党政権の姿勢があらわれた。

江田五月法相は「靖国神社は国民を戦争に駆り立てる役割を果たした。諸外国への迷惑への反省を考えれば、閣僚が参拝するのはいかがなものか」と指摘。中野寛成国家公安委員長は「戦没者への追悼、畏敬(いけい)の念は人後に落ちないつもりだが、靖国参拝とは分けて考えたい」と語った。

一方、細野豪志原発事故担当相は「8月15日に参拝することは全く違う政治的な意味合いがあるので参拝しない。静かな環境で行ける時に参拝する」と靖国参拝の意義は否定しなかった。菅直人首相は昨年の国会答弁で「在任中に参拝するつもりはない」としている。【田中成之】

毎日新聞 2011年8月13日 東京朝刊

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