2011年12月10日

他者の権利を制限することに関する議論は慎重に

クレーン車が児童の列に突っ込み、6人もの小学生が亡くなるという事故は記憶に新しい。運転手はてんかん患者で、薬を服用していなかった。その後、前日に飲み忘れた分まで朝から一気に飲んだという情報も出た。この運転手の罪は自己管理の甘さなどいろいろとあるだろうが、少なくとも、てんかんという病気であることそのものに罪はない。

てんかん発作の種類は、人によって非常に多岐にわたる。失神して全身がけいれんして泡まで吹くといった派手なものから、片手が無意識的に動いてしまうとか、あくびしてボーっとなるとか、一見しただけではてんかん発作とは分からないようなものまである。この事件の運転手の発作がどういったものかは分からない。意識消失が発作のせいなのか、薬の摂取過多での眠気によるものかも不明だ。

ここで問題にしたいのは、この事件の後にネット上のあちらこちらで、「てんかん患者には、運転免許を与えるべきではない」といった日記や掲示板書き込みが見られることである。発作の種類さえ知らないような人たちが、さしたる根拠もなく、てんかん患者から自動車を運転する権利を奪うべきだと発言している。

医師限定の掲示板でさえ、中間議論をすっ飛ばして、てんかん患者への免許制限論が出ていることには驚いた。他者から権利を奪う際には、慎重に議論を重ねたうえで為されるべきだ。しかし、その掲示板に上記の内容を書き込んだところ、どのような反応があったか。掲示板では、賛成、反対、不適切のボタンがあって、それぞれに人数が分かる。それによると、賛成はゼロ、反対と不適切がともに6である。

自分の書き込みは、「てんかん患者から自動車を運転する権利を奪うべきではない」という権利はく奪に対する強い反対論ではなく、「他者から権利を剥奪するかどうかの議論は慎重になされるべきだ」という、慎重な議論を求めるだけのものだったので、この反応には驚いた。

この事件の加害者がてんかん患者で、かつ自己管理が甘かったのは確かだが、だからといって、てんかん患者から自動車免許をはく奪せよというのは暴論だ。その暴論が許されるのならば、酒を飲む者にも免許を与えるなという主張も通る。「いや、それは酒を飲む者の心がけの問題だ」というのなら、てんかん患者も同じで、症状、発作頻度、自己管理を問題にすべきだ。

確かに、どんなに薬を飲んでも発作を抑えられない難治性てんかんもある。自動車は致命的な凶器になりうる以上、難治性てんかん患者の自動車運転には、何らかの制限が設けられても仕方がないことだとは思う。しかし、個々人の症状や発作頻度に違いがあること、今回の事故状況などを無視して、てんかん患者を一括りにし、中間議論もなく、車を運転させるなと結論づけるのは、あまりにも軽率だし、そういう姿勢の人が多いというのは非常に怖い。

結論は繰り返しになるが、てんかん患者の運転免許に関しては、この事件とは切り離して、感情的にならずに、もっと慎重に議論を進めるべきである。

2 件のコメント:

  1. 何事も冷静に物事を見極めるのは大事ですよね。

    冷静に見極めきれなかった結果、今日テストでてんかん治療薬間違えました。。。中枢神経系疾患は得意分野だったのに…凹み中です(。-_-。)

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  2. >あっこ
    資格とってから間違えなければ良いんだよ!!

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