難しかったので時間がかかり、ようやく読み終えた。印象に残った部分をいくつか引用。
溺れる者を救助するときの責任ある選択とは、まず、救助者自身がしがみつかれて溺れてしまうことを防ぐことである。
親子関係で「自立」するためのもっとも有効な方法は親孝行であり、最も効果の薄い方法は家出である。
精神科の治療は、はじめ、「浅く」「狭く」 『短く」「軽く」を目指すほうが良い。
精神科医の患者への関わりは、はじめ薄味にしつらえて、必要に応じてやむなく濃い味へと進むのが良い。その逆がほとんど不可能である点は、料理に似ている。
合奏は、精神療法家にとって良いトレーニングになる。相手の出す音を聴きながら自分も音を出し、それも聴きながら両者を調和させようと努める。しかも、その三つを同時進行させるのだから。
患者が読む本に書いてある情報の中には、患者が勉強すると患者自身の治療に役立つ情報もあれば、役に立たない情報もある、中にはかえって治療を妨げる情報もある。
子どもは親の教えるようにはならず、親のようになる。
精神療法にかよっている間には生活上の重大な決定を延期するように、と勧める治療者は多い。だが、生活上の重大な決定を延期することは、それ自体、人生にとって重大な決定であることが多いから、むしろ、生活上の重大な決定の前後には精神療法をお休みしなさい、あるいは生活に影響の及ばない程度の精神療法に止めましょう、と勧めるのを定石にすべきである。
相手が「分かりません」と答えたら、その瞬間、結果として相手を粗末にする関係を造ったわけである。この呼吸は、相手が幼児であろうと老人であろうと変わらない。ことに、痴呆老人に対するさいは、答えに窮させる状態を引き起こさないように配慮しながら対話してゆくと、思いもかけぬ歴史の証言を聞き出すことがしばしばあり、そうした確かな記憶が再現したことが老人自身にも確認されることで、人としての自信が回復し、自己制御の機能が瞬時に向上するものである。これが痴呆という状態への精神療法である。
理想像とは、旅人にとっての北極星のようなものである。旅人はそれを目指して歩いてゆくことで、方向を間違えることなく北へ進むことができるが、その結果、北極星に到達するわけではなく、ほとんど近づいてさえいない。
家庭内暴力は、暴力の快感への嗜癖ではない。一見怒りや攻撃のように見えるものは、悲しみの変形物もしくは悲しみへの慰撫工作である。家庭内暴力に限らず、一般に、悲しみに支えられていない怒りは持続性をもたない。非専門家が買っても、あまり得した感のない本だと思うが、時どき琴線に触れる名フレーズの多い本でもある。
含蓄に富みますねえ。
返信削除痴呆老人から返答を引き出すことで彼自身の自信が回復するというのは一人で自問自答して考えている場合にも起こりうることですね。わからないことを無理に考えない方がいいともいえるのかな。
合奏は音楽療法のなかでも注目されてますよね。
返信削除良い音楽を聴くより効果があるそうで、自閉症の子の治療?にも良いと勉強会で言われていて興味深かったです。あとは料理を一緒に作ったりとか。
自閉症セミナーで子ども達とケーキを作った時は自分の無駄に高いお菓子作り能力が役に立ちました。人間身につけといて損する技術、知識っていうのはないものですね。
>佐平次さん
返信削除この認知症の精神療法は非常に頷けるものでした。
そして、いかに自信喪失させるような接し方をしている家族の多いことかと……。
精神科医と家族では、視点の置き所も違うだろうし、緊迫感も違うから仕方がないのかもしれませんが。
無理やり考えて分からずに自信喪失……、もあるかもしれませんが、
でもやっぱり「考えよう」という意志が残っているうちは考えたほうが良さそうですね。
>あっこ
返信削除音楽療法、良いよね。
俺の病棟でもやってみたいけど、ボランティアで来てくれそうな人がいない。
探せばいるのかなぁ……。
俺もギター弾き語りで患者さんのハートをキャッチしたから、
やっぱり芸は身を助くというのは本当だね。
とても魅力的な記事でした!!
返信削除また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
>面接の特技さん
削除ありがとうございます!