もう4回くらい観た。「続編は前作を超えられない」という法則(?)が微妙に当てはまる。『28週後』も決して悪くはないのだが、『28日後』のほうがまとまりが良かった。続編はやや冗長かなぁ。
それはそうと、これは厳密にはゾンビ映画ではないが、人から人へ、しかも攻撃(の結果の血液・体液)を介して感染することと、全体的に世界終末的な雰囲気を醸し出していることから、ゾンビ映画というカテゴリに入れることは決して間違いではないはず。
ゾンビ映画の難点は、死体が歩き回るという非現実さにある。このての映画の鉄則として、頭を破壊すればゾンビは死ぬというものがある。観ていていつも不思議なのだが、仮に脳から出る何らかの電気刺激で体が動くとして、心臓まで動いていたら、それは生きているということだから死体じゃない。では心臓は止まっているとして、ゾンビが発する声はどこから出ているんだろう。ゾンビは呼吸しているのだろうか? 呼吸は、体に必要な酸素を取り込み、不必要な二酸化炭素を排出するためにするわけで、ゾンビが酸素を必要とするというのは、どう考えてもおかしい。時どき、肺のないゾンビが声を出す映画がある(『バタリアン』など)。エンタテイメントとしてこだわらずに観ればいいようなものだが、細かいところが気になってしまう、そんな自分は悲しいゾンビファンなのである。
さて、この『28シリーズ』は、ウイルス感染による病気であり、感染者はあくまでも生きている人間で、燃やしたり体を銃で撃ったりすれば死ぬようだ。これだと、「死体が歩く」という非現実さを克服できる。しかも、感染者はしばらくすると餓死するというのだから救い(?)がある。
この映画、というか『28日後』のもっとも素晴らしい場面は、最初の方の、主人公ジムが目覚めてからしばらく街をさまようところだ。静かな音楽が、ゆっくりゆっくりとエレキギターの暴力的な感じに変わるのだが、そんな激しい音楽にも関わらず、街は沈黙し、ジムも困惑しながら歩くだけ。観ているこちらは、なんだなんだ、何か出るのか、と緊張してしまう。あのシーンは怖い。
怖いと言えば、ゾンビ映画(特にロメロ作)は、ゾンビ数体ならなんとか対応できるのに、数の暴力というか、圧倒的な戦力差で押し切られてしまうところに絶望を伴う恐怖を感じる。しかし、この映画の感染者は動きが活発過ぎて、タイマンでも勝てる気がしない。そういえばリメイク版の『ドーン・オブ・ザ・デッド』のゾンビも人間離れしていた。やっぱりゾンビ映画はノロノロタイプに追いつめられるパターンが一番だ。
子どもの頃、初めて観たゾンビ映画は『バタリアン』だったと思う。その次がロメロの『ゾンビ』で、こちらは非常に衝撃的だった。どうやったら、こういう事態の時に生き残れるかを考えるのが楽しかった。まず武器になるのはなんだろう、包丁かな、とか。近辺で逃げるなら、やっぱり学校が一番か、とか。そんな根暗な妄想をする少年時代を送ったことを、ゾンビ映画を観るたびに思い出す。
話のまとまりがなくなってしまったが、最近、こんな本を見つけた。
ゾンビ解体新書―ゾンビハザード究極マニュアル
同じようなこと考える人たちがいたんだなぁと思って、ちょっと親近感もった。
イギリス留学中に見ていたら、そういうモノが好きだと勘違いされ、その後ロンドン塔のお化け屋敷でゾンビに追いかけられ、相手の外国人の男の子にブチ切れした思い出の映画だw
返信削除>あー太
削除名作が想い出、想い出が名作。
素晴らしいじゃないか!!