2012年8月6日

本当に「医は算術に成り下がった」のか!?

医療問題がマスコミで取り沙汰されると、よく「赤ひげのような医者はいなくなったのか」とか「医は算術に成り下がったのか」とか、そういうことを言い出す人が出てくる。きっと彼らはこの本を読んでいない。もし読んでいたら、そんなことは言わない。そもそも「赤ひげ」自体、一応モデルとなった人はいるもののあくまでも架空の人物なので、いなくなったというより、そんな医者はそもそもいないのだ。


本書を読んだことのない人が「赤ひげのような医者」と言う時、いったいどういう医者をイメージしているのか知らないが、赤ひげこと新出去定(にいで きょじょう)は、疲れてくると怒りっぽくなるし、イライラしている時には言葉遣いも荒くなるような男だ。全体として憎めないキャラではあるが、そういう医者が現代にいたら、強いバッシングを受けること必至である。

また、赤ひげは金を持っている患者からは多めに礼金を取り、貧しい者には無料で医療を施す。この「貧しい者」というのは、現代で言えば最低賃金で働いているような人たちで、今の日本では、大多数の人たちが「赤ひげからボッタくられる」側に入る。それで貧しい人たちが無料で医療を受けられるわけだが、考えてみるとこれは生活保護制度と同じである。生活保護がこれだけ批難の的になっている状況で、赤ひげ的医療が称賛されることはあり得ないと思う。

「医は算術に成り下がった」などと言う人は、実際の医療の現状を知らなさすぎる。むしろ江戸時代から近現代までの医療のほうがよほど貧乏人に厳しい算術医療だったわけで、それは年金世代の人たちに若い頃どうだったかを聞いてみたら分かるんじゃないだろうか。

それはともかく、この本は面白かった。

子どもたちを売春宿に売り払って、その金で酒びたりの生活をする40歳女に対して、主人公の保本登は憤る。そこへ現れた赤ひげこと新出去定がこの女を「犬畜生にも劣る、臭いから出ていけ」など散々に罵り、女は捨て台詞を残して去っていく。(以下、省略引用)
「どうもいけない、あんなに怒鳴ったり卑しめたりすることはなかった、あの女は無知で愚かというだけだ、それもあの女の罪ではなく、貧しさと境遇のためなんだから」
「私はそう思いません」と登が言った。「貧富や境遇の善し悪しは、人間の本質には関係がないと思います。私は先生の外診のお伴をして、いろいろの人間に接してきました。不自由なく育ち、充分に学問もしながら、賎民にも劣るような者がいましたし、貧しいうえに耐えがたいくらい悪い環境に育ち、仮名文字を読むことさえできないのに、人間としては頭の下がるほど立派な者に幾人も会ったことがございます」
「毒草はどう培っても毒草というわけか、ふん」と去定は言った。「だが保本、人間は毒草から効力の高い薬を作りだしているぞ、あの女は悪い親だが、怒鳴りつけたり卑しめたりすればいっそう悪くするばかりだ。毒草から薬を作りだしたように、悪い人間の中からも善きものを引き出す努力をしなければならない。人間は人間なんだ」
赤ひげのこの人間愛には胸打たれる。そして、そんな愛ある赤ひげでさえ、やっぱり怒鳴ったり卑しめたりしてしまうものなのだ。そんな赤ひげに師事して一年の主人公・保本登が医術について語ろうとして、赤ひげにたしなめられる。
「私もまたここの生活で、医が仁術であるということを」
「なにを言うか」と去定がいきなり、烈しい声で遮った。「医が仁術などというのは、金儲け目当ての藪医者、門戸を飾って薬礼稼ぎを専門にする、エセ医者どものたわ言だ。 彼らが不当に儲けることを隠ぺいするために使うたわ言だ」
これは「医は算術に成り下がった」などという人にも当てはまる。つまり、自分自身の健康に対する責任をあまり自覚せず、それを医療従事者に押し付け、結果が望み通りに行かないと訴訟を起こし、しかしそれに見合った報酬を医療者へ与えることには不満がある人ようなたちのことだ。そういう人たちには、赤ひげ先生は唾を吐いて顔をしかめるだろうな(実際に、本書の中にそういう話もある)。

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