2012年11月5日

ユキちゃんと、ユウキと、オナベと、キスと

まさかのまさか、だった。彼女は、僕にこう言ったのだ。 
「ごめん、男、好きじゃないんだ。そういうの、オナベって言うらしい」
お互いに二十歳。僕は、オカマもオナベも知識としては知っていたけれど、自分の身の回りの男は女を、女は男を好きになるものだと信じて疑っていなかった。それから、恋はひたすら願えば叶うものだ、なんて、そこまで能天気じゃないけれど、強い想いは少しは報われるはずだ、報われても良いだろう、報われて欲しいです神様仏様、なんてことを思うくらいにはバカだった。彼女はそんな僕なんかより断然クールで、それが女の子だからなのか、それともオナベという立ち位置によるものなのか、それは分からない。とにかく、彼女は、クールだった。

彼女の名前は、ユキコ。大学に入ってからずっと、僕は彼女をユキちゃんと呼んでいた。身長は、低めのヒールをはけば男子と並ぶほど高い。ショートカットで、色白で、長いまつげと切れ長の目。女の子にしてはちょっと低めの声。いつも白いシャツにジーンズをはいていた。大学に入ってから同じ学部で知り合って、ユキちゃんとはかなり仲良かったと思う。二人で飲みに行って酔いつぶれて、お互いの部屋に寝泊まりしたり、授業を一緒にサボってカラオケやゲーセンに行ったり、これはもう、僕から「付き合って」と言いさえすれば交際開始なんだと、そう思っていたからこそ告白したのだ。それが、まさかまさかの、こんなフラれ方。

そしてユキちゃんは、その日から、ユウキになった。 心の中でのイメージとしては「ユーキ」。ユキちゃんを、もっと馴れ馴れしく呼んでいるような、そんなニュアンスで。別にそう呼んでと頼まれたわけではないけれど、僕の気持ちの整理をつける目的が半分、いや、七割で、ユキちゃんになんとなく気をつかったのが三割。オナベにちゃん付けが正しいのか分からなかったし、君付けは変だと思ったから。ユウキと呼び出してから、僕たちはさらに仲良くなった、ような気がする。遊びに行く回数も増えたし、お互いに軽口を叩きあう頻度も増えた。正直なところ、僕には、微かな恋心が残っていた。ユウキはというと……、きっと気が楽になったのかな。そんな関係で、僕たちは学生生活を送った。

ユウキから、好きな人ができたと言われたのは、二年生の後期、十一月を過ぎていた。僕はユウキに連れられて、相手の学部の授業に忍び込んだ。授業が始まる直前、ユウキが顔を少しだけ赤くして、前の方の席を指さした。

一番前の席。

そこに座っていたのは。

違う学部の。


女の子。


当たり前だけど。いや、当たり前なんかじゃない。当たり前なはずはないんだけれど、うん、納得した。そして。 ショックだった。これまた、当たり前だけど。それから、相手が女の子でホッとしたのも偽らざる気持ち。男心、意外に複雑。そんな心境だったけれど、そこはもう、男と男の友情、くらいの勢いで、
「良かったじゃん、可愛いじゃん」
そう言うしかなかった。実際のところ、小さくて女の子ぽいだけで、顔はそれほど可愛くもなかったけれど。

その日から、だと思う。ユウキとは何となく疎遠になった。僕は淡い恋心をユウキに抱いていたけれど、ユウキは小さな女の子が好き。その事実を突き付けられたから、なのかもしれない。ユウキがオナベだっていうことを、実感したからかもしれない。よく、わからない。そうこうするうちに、僕にも彼女ができた。彼女の名はサキちゃん。ユウキと違って小さくて、ユウキと違って目がパッチリしていて、ユウキと違っていつもスカートをはいていて、ユウキと違って声も高くて、ユウキと違ってものすごく女の子ぽくて、ユウキと違って、ユウキと違って、ユウキと違って……。僕は本気でサキちゃんを好きになったし、サキちゃんからも好かれていた、と思う。だけど、恋愛って、一寸先は闇。
「好きだけど、キョリをおきたいの」
ありきたりのそんな言葉を真に受けて、そのあけたキョリに別の男が入ってくるなんて思いもしなかった。僕のサキちゃんは、一夜にして、誰かのサキちゃんになってしまった。女心は、やっぱり複雑だ。

僕は傷心でしばらく大学を休んだ。一人暮らしの部屋でボーっとして過ごして、ゆっくり、ゆっくりと、僕は立ち直った。元気になると、誰かと話したくなったけれど、かといって男友だちと話すのは、なんとなく嫌だった。からかわれるのはごめんだし、同情されるのは最悪だ。失恋をネタにされたら、そいつをぶん殴るかもしれない。だから僕は、久しぶりに話す相手をユウキに決めて、ユウキの携帯に電話をかけた。
「もしもし」
久しぶりのユウキの声。
「久しぶりに、飲みますか」
軽さを装ってそう言うと、ユウキは、
「オッケ。今家だから。いろいろ買ってきて」
と、これまた軽そうに答えた。久しぶりに会ったユウキは、前より少し髪が伸びていて、大して整えたりしていないんだけれど、それがまた似合っていた。僕たちは、缶ビールで乾杯をした。 アルミ缶のクニャンとした音が鳴った。それから、買ってきたお菓子やおつまみを食べて、チューハイを飲んで、日本酒も少し飲んだところで、僕はもう、良い感じで酔っぱらっていた。他愛もない話をしている時、何気ないふりをして、
「彼女がいたんだけどさ、結局、ふられたよ~」
そう言った。何気ない風にしたはずが、ため息と声をブレンドしたような口調になった。ユウキは、しばらくだまって、ふぅと長いため息をついた。ユウキも、かなり酔っているのかもしれない。

「キスしようか」
そう言ったユウキの目は、切れ長というより、細かった。色白の頬が、赤かった。声は多分、いつにもまして低かった。そんなユウキを見つめる僕も、酔っていた。心臓は大太鼓を打っていたけれど、なぜか気持ちは冷静だった。ドクンドクンと心臓が動くたびに、アルコールが脳に運び込まれて、脳細胞の一つ一つがにぶくなっていく。そうして、脳全体にアルコールが行きわたったように感じても、頭の芯、もしかしたら、それは心の真ん中なのかもしれないけれど、その部分だけはキンキンに冷えて、ギラギラと冴えていた。ユウキはぎゅっと目を閉じて、僕はまぶたを開けたまま、くちびるが重なった。僕は、ユウキの肩を抱いた。ユウキは、両手を床につけたまま。僕はユウキの背中に手をまわして、強く抱きしめた。ユウキの体が硬くなったのが分かった。僕は、自分のくちびるを開いた。ユウキのくちびるは、瞳と同じで、かたく閉じたままだった。ゆっくりと、ユウキの右手が僕の胸に当てられて、それからユウキは、僕を押しやった。ユウキと目が合った瞬間、ユウキが何か言った。 
「ゴ……」しか聞こえなかったけれど、ユウキが言いたかった言葉は分かる。なぜなら僕も、そのあとに「ゴ……」としか声が出なかったから。僕は下を向いて、目の端でユウキを見ていた。ユウキも、うつむいていた。数分、もしかしたら数十秒かもしれない。ちょっとした沈黙の後、ユウキが顔を上げるのが分かった。それに合わせて、僕もユウキを見た。また、目が合った。

何か言わなきゃ。
そう思った僕が口を開きかけた時、
「オェッ」
ユウキはそう言って、顔をしかめ、それから少しはにかんだ。僕は、ユウキのその顔を見て、立ち上がった。そして、洗面所まで行って、わざと大きな音でうがいした。遠くの方で、ユウキの、
「ひどーっ」
と叫ぶ声、それから笑い声が聞こえてきた。しばらくお互いに笑いあった。洗面所から戻った僕に、ユウキがポツンと言った。
「同性とキスするのって、やっぱり抵抗あるし、キモチわるい、ね」
僕には何となく、ユウキはユウキで、辛いことがあったのかもしれないと思った。僕は、心も体も、完全に男。ユウキは、本当は女の子のユキちゃんで、だけどオナベで、だから、オナベのユウキ。ユキちゃんと付き合いたかった僕は、ユウキとキスをした。

そして、恋心は、消えた。


ユキちゃん、さようなら。


だけど。


友情は、残った。


ユウキ、今後とも、よろしく。

2 件のコメント:

  1. やっぱりこういうのを書かせたらERさんは最強ですよ^^

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    1. >キム兄さん
      いやー、ほんと、そう言ってもらえると嬉しいです!!

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