2013年5月22日

出生前診断「ダウン症→異常なし」の誤告知で損害賠償請求

出生前診断の検査を受け、ダウン症と判明したにもかかわらず誤って「異常なし」と伝えられたため、両親が損害賠償を請求しているというニュースがあった。このブログでもダウン症に関して記事を書いたことがあり、それは全期間を通じて最も読まれている。できれば、読んだことがない人にはぜひ一読して欲しい。

誤解している人もいるようだが、俺は出生前診断に断固反対しているわけではない。それも別の記事で書いている通りで、そういう検査を受ける自由は保障されるべきだとさえ思っている。その結果として親が中絶を選ぶのなら、それもその子の運命であり、そういう「母体環境」だったということなのだ。

ところが、このニュースに関しては違和感を拭えない。決してこの両親を批難する意図はないが、感覚的には受け容れきれない。他人事ながら哀しいというか、切ないというか、そういう気持ちと、なんで訴えるなんて発想が出てくるのだという疑問。このダウン症で3ヶ月半で亡くなった子は、両親にとっては「中絶する機会を逸した子」ということなのだろうか。要らない子どもであって、そんな存在を中絶する機会を奪われたから、1000万円の賠償金を支払えと、そういうことなのだろうか。

いやそれは言い過ぎだ、記事中には「継続するか中絶するかの選択の機会を奪われた」とあるではないか、選択する機会を奪われたから訴えたのだ、と指摘する人もいるだろう。ただ、それはもの凄く綺麗ごとな言い分で、実際には「異常なし」という結果を受けて「妊娠継続を選択している」のだ。選択の機会は決して奪われたわけではない。選択するための情報が誤っていたということだ。この誤りにより受けた損害に対して賠償請求するということは、正しく「ダウン症だ」と伝えられていたら中絶していたということではないだろうか。

最初に書いたように、「ダウン症だと分かっていたら中絶していた」としても、それを責めるつもりは全くない。それはその子の運命だ。しかし、「ダウン症じゃないと言うので生んだら、実はダウン症だった」ということで損害賠償を起こすことに、ただただひたすら違和感があるのだ。

もちろん、検査結果を誤って伝えた病院側にも大きな責任はあるし、賠償責任もあるだろう。ただ、これが逆に「異常なし」を「ダウン症」と誤って伝えた結果、両親が中絶を選択し、さらにその後に実は「異常なし」だったということが判明した場合を考えてみよう。読者のみんなは賠償請求額が1000万円より高いか低いか、それとも同額か、どう思うだろう。そしてそれはなぜだろう。

もし本当に「継続するか中絶するかの選択の機会を奪われた」というのが損害賠償の根拠であれば、それはつまり1000万円は「誤った告知」に対しての金額だと主張しているわけで、それなら逆の事態でも同額の損害賠償であるはずだ。でもきっと、逆の場合なら到底1000万円では済まされないような気がする。

そういうことを考えると、やっぱりなんだか、この亡くなった子が哀れに思えてしまう。

と、ここまで書いておきながら、これから真逆のことを述べる。

この両親、「要らない子を生まされたから訴える」なんて発想はさらさらなかったのかもしれない。子どもを喪った哀しみや怒り、そういった感情のぶつけ所が病院になってしまったのかもしれない。もし、この子が今も生きていたら、両親はそれでも病院を訴えたかどうか。そういう見方をすると、この子はただ哀しいだけの生き方ではなかったのかもしれないと思える。

これは別の場所で同様のことを書いて、医療職ではない友人から受けた意見ほぼそのままであり、確かにその通りだと思った。お金目当てではなく、ただただやり場のない怒りを病院にぶつける、というのは医療訴訟では珍しい話ではない。それなのに、そういう視点を見失っていた。正直なところ、話題性に引きずられて目が曇っていた。

それでもやはり、最後にこの問いだけは残る。
もし、逆の事態だった場合の賠償金は、どれくらいになるのだろうか。

<関連>
ダウン症児は親を選んで生まれてくる
ある未来を選ぶことは、別の未来を捨てること


出生前診断:ダウン症を「異常なし」 函館の医院を提訴
毎日新聞 2013年05月20日

北海道函館市の産婦人科医院で2011年、胎児の染色体異常の有無を調べる羊水検査でダウン症と判明したのに、男性院長が妊婦への説明で誤って「異常なし」と伝えていたことが、19日までの関係者への取材で分かった。妊娠継続の判断に影響を及ぼす出生前診断でこうした問題が表面化するのは極めて異例。専門家は「あってはならないミス」としている。

生まれたのは男児で、ダウン症の合併症のため3カ月半で亡くなった。

両親は「妊娠を継続するか、人工妊娠中絶をするか選択の機会を奪われた」とし、慰謝料など1000万円の損害賠償を求め函館地裁に13日付で提訴した。(共同)
http://mainichi.jp/select/news/20130520k0000m040121000c.html

8 件のコメント:

  1. こんにちは、以前ダウン症の記事の転載の許可を頂いたryoukoです。
    今回の事も私もとても違和感を感じていました。
    又転載させて頂いてよろしいですか?

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    1. >ryoukoさん
      どうぞ!
      できれば一緒にリンクも掲載してもらえるとありがたいです!

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  2. あぁ、これってそういうニュースやったんですね。
    このニュースが掲載された時、ちらっと見て、
    ダウン症って分かってたら出産時に適切な処置が取れてもっと長生きできたかもしれないのに、
    という訴訟かと思っていました。
    「(ダウン症の胎児を)継続するか中絶するかの選択の機会を奪われた」ことですが、
    「(予後3ヶ月の胎児を)継続するか中絶するかの選択の機会を奪われた」という意味にはなりませんか?
    実際、もしダウン症ってわかっていたら、
    胎児心エコーだったり胎児MRIといった詳しいフォローがあり、ある程度の予後がわかったかもしれなくて。
    産もうと産もまいと、やはりそこを知っているかどうかは、疾患が何であるかより命をかけてお産にのぞむ母にとって重要だと思います。赤ちゃんも苦しい思いして生まれてくるのに、3か月しか生きられない。その子を産むか。
    一医師としては訴訟はNoですが、一母として、この訴訟は気持ちがわかる気がします。
    良いように解釈しすぎかもしれませんが(笑)

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    1. >遥さん
      >ダウン症って分かってたら出産時に適切な処置が取れてもっと長生きできたかもしれないのに
      これ確かにそうですよね。ただまぁ、出生時に亡くなったわけではないし、もし出生時トラブルが原因で命が短くなったのであれば、恐らくそういう理由での訴訟になっただろうなと思います。が、これは俺が悪いほうに解釈しすぎなのかもしれません^_^;

      出生前診断というのは悪魔の誘惑で、ここでいろいろ書いている俺でさえ、ふと惹きつけられるものがあります。とりあえず出生の時点でのトラブルがない子が欲しい、そんな気持ちになることもあります。でも妻と話し合って、この先もっと良い検査ができたとしても、こういう検査は絶対に受けないでおこうと決めています。

      第1子がダウン症で、次の子も同じだと経済的に苦しい、とか、高齢出産なので、とか、そういう理由での受検ではない人たちにとって、この検査を受けるかどうかというのは、価値観、哲学、生き方の問題なのだろうと思います。

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  3. こんにちは!コメントさせて頂きます。
    以前紹介されていた本で「ルポ児童虐待」の中の文中に

    「里子は本気で自分を無条件で愛してくれるか?と
     無意識に問題行動で試してくる。」

    と、ありました。
    私自身も子育てをしていますが、どんな子供であれ
    「お手軽な子育て」なんて無いと思います。

    それが生まれ持っての身体的な事だったり精神的な事だったり
    さまざまだとは思うのですが、子を産むという事は
    「親としてどれだけ本気で正面から関わるか?」
    なんだと私は個人的に思います。

    例え障害を持って生まれる、生まれないにしろ
    授かった命に対してどれだけ、
    ありのまま受け入れて本気になれるか…というか。

    このニュースは本当に違和感だらけですが
    私が感じたままの気持ちで申し訳ないですが

    「子供には生まれる前から愛されるための条件」

    が、付いて無いと生まれる事すら許されないのかな…。
    どんな子であれ、無条件で受け入れて欲しい…と思う反面。

    基本、この世は厳しい世なので
    「弱い遺伝子」もしくは「生き残る(命をつなぐ事の)確率の低い遺伝子」
    というのは淘汰されるのもまた自然な流れなのかな…?
    人間の感情や考えとか命の尊厳とかキレイ事は横に置いて

    「優れた遺伝子が生き残る。」

    という観点から見れば、私は感情として否定したいニュースですが
    本能とか遺伝子レベルで考えると、動物的には
    真っ当な考えや行動になるのかなぁ?と
    考え込んでしまうニュースですね。

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    1. >ゆうさん
      その考えこむ感じ、分かります。
      実は俺も医学部に入るずっと前、高校生や経済学部生だった時には、同じようなことを考えていました。自然界なら淘汰される遺伝子なんじゃないのか、とか。今となっては、そういうことを考えていた自分が恥ずかしいですが、きっと多くの人が一度は考えることなのかなとも思います。

      「オーダーメイド医療」なんて言葉は最近はあまり耳にしませんが、そのうち「オーダーメイド子作り」というような時代が来るのかもしれません。俺自身は福引みたいな子作りのほうを望みますが。

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  4. 私は羊水検査をして、ダウン症(21トリソミー)をもった長女を産みました。
    NTなどでかなり可能性が高くなっていましたので、夫婦で産む事を決めてから検査をする事を決めました。
    結果、出産をNICUのある大学病院に替えてもらい(実際出産後NICUに入りました)遺伝科のカウンセリングなども受けました。
    ダウン症のお子さんを持つお母さん達にもお会いして、今でもお付き合いいただいています。
    NTなどからの確率だけでは、敷居の高い大学病院に替えてもらうのは意外と難しく、お母さん方に会っても、お互いの気持ちがやはり少しだけ違うような気がしますし、診断から出産までの期間はとても貴重なものでした。
    出生前診断のそういった意味合いもあります。
    我々家族は娘を心から愛し、慈しんでいます。
    でも、命の選別の為に出生前診断をする人を否定したいとは思いません。どうしてかはわかりませんが…。下手にきれいごとを言われるほうが、当事者としては腹が立つかも知れません。

    今回の事件のご両親は、息子さんの死を悲しんでいられるのだと思いたいです。
    裁判は「診断を間違えて伝えられた」事への怒りであり、それを訴えられたらなんでも良かったのだ。裁判をするにあたり、「選択」という言葉が有用であるというような意外なからくりがあるのかもしれませんし。
    何よりも、この世に生まれてきて3ヶ月頑張って生きてくれたその男の子のご冥福をお祈りしたいと思います。

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    1. >さのこいさん
      俺は他の方のコメントにも返したように、出生前診断に魅力を感じる自分が怖いので、出生前診断には近づかないようにと心に決めています。さのこいさんみたいに、結果を受けて、それでも生むという決断ができる強さ(?)に自信がないからです。それよりは、出たとこ勝負で、愛する覚悟だけ決めておく方が性にあっていると言いますか……。
      この話題の夫婦、確かに法廷戦略としての言い分なのかもしれませんね。3ヶ月、愛されたことを信じたいです。

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