2013年7月9日

コンチクショウ!! ぶっ潰す!!

親友が、蹴り殺された。

人目を忍んだような社葬の帰り道、私はそのままスポーツジムへ行き、入会手続きを済ませた。さらにボクシングジムに寄って入門もした。徹底的に鍛えたかった。

生まれつき体は弱い方だった。小学校でも中学校でも、どちらかといえばいじめられっ子だったと思う。先輩に逆らったことなどないし、同級生とケンカなんてしたことはもちろんない。それでも、大人になったら、いわゆる「ただの人」にはなりたくないという、そんな思いだけは、なぜだろう、小さいころからずっと持っていた。

大学で誘われたサークルは、全学連とか全共闘とか、そういったものを包括したような怪しげな組織だった。子どものころからマイナーなグループにいるのが当然だった私は、自然とそのサークルに入ることになった。サークルを取りしきるリーダーは不気味な人だったが、なんとも言えないカリスマ性を持っていた。新入部員の歓迎挨拶を聞いていると、自分も「ただの人」ではなく何者かになれる、そんな気がした。リーダーの颯爽と歩く姿にたなびくマントが美しかった。同期の連中も皆心酔した様子だった。そのサークルは全国の他大学のサークルとも連携していて、年に二回は全国集会があった。結束力は、18歳の私から見ても一流企業以上という気がした。

大学三年生の全国集会で、横浜の大学に通うヤスシと知り合った。ヤスシは空手三段、剣道二段、そして書道も初段という、いかつい顔をした男だった。私とヤスシは歳も同じで、下宿も比較的近かったことから、お互いの家を行き来して、夜遅くまで酒を飲んだ。ヤスシの口癖は、「ぶっ潰す」だった。何をぶっ潰すのか、それは分からない。私の口癖は、「コンチクショウ」。もちろん、何に対してのコンチクショウかは分からない。だけれども、私たちには、得体の知れないエネルギーがあった。何者かになるぞという志し。何かを成し遂げたい心意気。上に立ちたいという野望。それから、「ただの人」にはなりたくないという恐れにも似た感情。幼くて、泥臭くて、どす黒い気持ちを、時に鎮めるように、時に鼓舞するように、二人で安い焼酎を飲んだ。

ヤスシには恋人がいた。東北出身のタミコという小柄な子で、雑種犬のような顔をして気がきく子だった。ヤスシは、私といる時には亭主関白といった感じで、タミコに対する口も態度も悪かった。
「お前、早く酒をつげ。ぶっ潰すぞ」
ヤスシは、よくそんな風に言っていた。こんな扱いをされながらも、タミコがどうしてヤスシと一緒にいるのか疑問に思ったものだった。ある夜、私が酔いつぶれて寝てしまい、ふと目が覚めた時、ヤスシが優しい声でタミコに、
「ありがとう」
と言っているのを聞いて、妙に納得してしまった。柔道も剣道も有段者である彼の優しい言葉には、私なんかには及ばない力強く頼もしい感謝の響きがあった。寝返りを打つふりをして、
「コンチクショウ」
小さく呟いた。

大学を卒業して、私とヤスシは同じ会社に就職した。サークルとつながりの強い会社で、先輩たちもほとんどそこに勤務していた。私とヤスシは配属先が違っていたので、連絡を取り合うことは徐々に少なくなった。大学を卒業して二度目の三月。ヤスシから、結婚する、という電話をもらった。相手は、もちろん、タミコだ。タミコのお腹には、すでに新しい命が宿っているという。私は、電話口に大声で、
「コンチクショウ」
と叫んだ。嬉しさが度を超して言葉にならない時、人は言い慣れたセリフしか出ないのかもしれない。

「もうすぐ俺にも子どもができるんだよなぁ」
先週、電話口でヤスシは嬉しそうにそう言った。ヤスシの声は、決して明るくはなく、かといって沈んではおらず、敢えて表現するなら、寂しそうだった。理由は、なんとなく分かる。俺たちは、命を懸けて会社に尽くすし、命を懸けられないなら周囲を危険にさらす。
「この仕事、子どもがいたらやれないからな。週末のタスクで最後にするわ」
ヤスシは心底、今の仕事が好きだったのだ。私は、ヤスシの全てを分かっているわけではなかったが、タミコの次くらいには理解しているつもりだった。
「良いじゃないか、おめでとう……、コンチクショウ」
それが、最後の会話になった。

ヤスシが死んだと連絡があったのは、一昨日のことだ。駆けつけた私が見たのは、ヤスシの遺体と、お腹の大きいタミコだった。タミコは私を見るなり、ど汚い雑種犬の顔で大声を出して泣いた。彼女の金切り声に近い泣き声は、私を現実から引き離してくれた。私はヤスシの腫れあがった顔を見ながら、ただただひたすらに、
「コンチクショウ、コンチクショウ」
そう呟いていた。

ヤスシが死んだ翌日、貧相な社葬から帰る直前、タミコに呼び止められた。彼女は涙も流さず、気丈に言った。
「ぶっ潰して」
私は、タミコの目を半ば睨むくらいの勢いで見つめた。
「任せろ、コンチクショウ……、コンチクショウ」

二十キロのダンベルを持ち上げると、腕がつりそうになる。
「コンチクショウ」
私は叫びながら、腕を曲げる。ボクシングのスパーで殴られても、
「コンチクショウ」
そう叫びながらヤスシの顔を思い出し、右手でも左手でも、動く方の拳を相手に叩きつけた。スポーツジムやボクシングジムが終わると、家まで十キロを走って帰った。
「コンチクショウ、ぶっ潰す、コンチクショウ、ぶっ潰す」
白い吐息に混ざって、私の言葉が宙に浮かんだ。

家の近くに川原がある。私は、そこで毎日、こう叫ぶのだ。
「コンチクショウ!! ぶっ潰す!!」
タミコの大きなお腹と、ヤスシの腫れた顔を思い出す。学生時代の笑い顔が頭に浮かぶ。「ありがとう」とタミコにささやくヤスシの声が脳裏に響く。
「コンチクショウ!! コンチクショウ!! コンチクショウ!!」
結婚の祝いに叫んだ言葉が、今や憎い仇への呪詛と化している。
「ぶっ潰す!! ぶっ潰す!! コンチクショウ!! ぶっ潰す!!」
汗も涙も、蒸気となって消えていく。

来週末、私たちの支社で街を襲うことが決定した。そのタスクに私は志願した。タスクがうまくいくかどうかは関係ない。そんなものはどうでも良いのだ。あいつを殺る。それだけで良い。そんな私の覚悟が、会社上層部に通じた。

もはや私は、「ただの人」ではなくなった。ヤスシの仇を討ち、タミコの無念を晴らす。ヤスシの想いを継ぎ、タミコの悔しさを背負う。ヤスシの怒りを胸に刻み、タミコの悲しみを心に抱く。私は、「ただの人」ではない。仮面ライダーを倒すためだけに存在する生き物になったのだ。

私は、「ただの人」ではない。

私は、「ただの人」ではない。

私は、「ただの人」ではない。


私は。



もはや。




人ですらないのだ。

2 件のコメント:

  1. 父よ、母よ、電池を買ってくれ~…ですかね?

    最近は魔法だったり、宇宙だったり人類の英知を
    集結しても厳しいですね…。
    クリスマス近くなるとパワーアップしますしぃ…。

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    1. >ゆうさん
      最近のは、かなりイッちゃってますよね^_^;
      見た目もあまりカッコよくなかったし……。

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