2013年7月17日

コマ劇場前での出来事を思い出す 『新宿歌舞伎町 マフィアの棲む街』

新宿歌舞伎町にあるコマ劇場は、2008年に閉館した。仕事を辞めてブラブラしていた1年間のうち数回、夜中にこのコマ劇場前にギターを持って行って歌ったことがある。1999年か2000年のことだ。

そのうちの1回で、チンピラなのかヤクザなのか分からない、ちょっとドスのきいた感じの酔っ払い男にからまれた。スーツを着たパンチパーマで、30代後半くらいだったと思う。俺の前にやってきて俺に背中を向けて座り込んで、しばらくはタバコをふかしていた。なんだかやりにくいなぁと思って黙っていたら、男が半身で振り向いて、
「やらんのか」
と言う。
「はぁ……」
と少し頭を下げると、
「おい、お前どこのもんだ」
とかなんとか、そんなことを言い出した。困ったことになったと感じたが、路上でギター演奏するうちにいつかはこういう日が来るだろうとも予想していた。なんとか切り抜けられないかと、のらりくらりと男の質問をはぐらかしながら答えていたら、だんだんと男の声に苛立ちが混じり始めた。何が気に触ったのか、ついに男が完全にこちらを向き、
「おうおうおうおう」
と詰め寄りかけたその瞬間のことだ。
「ちょっと、あんた、何やってんだい」
そう声をかけてくれたのが、コマ劇場前の屋台で花売りをしていたオバちゃんだった。頭巾をかぶった痩せ型の、もう初老と言っても良さそうな人だ。
「さっきから、そっちで見てたんだけどさ」
ネオンの灯りでオバちゃんの表情はよく分かる。オバちゃんは不敵な笑みを浮かべていたが、眼光は鋭かった。
「あー?」
男が面倒くさそうにオバちゃんに目を向けた。
「あんた、そんな若い子に絡んで……、フンッ、ったく情けないねぇ」
そして、オバちゃんは俺のほうに、
「お兄ちゃん、無視しといて良いよ」
と言った。それで男が怒らないはずがなく、
「おいこら」
とオバちゃんに凄む。それに対してオバちゃんは怯むことなく、
「はぁ……、言わなきゃかねぇ。ほら、あんた、こっちおいで」
と男を手招きして、ゴニョゴニョと何やら話し込んでいた。数十秒くらい経ったころだろうか、男が、妙にペコペコし始めて、オバちゃんに、
「じゃ、これで失礼しま~す」
なんて軽い挨拶をした後、俺に向かって、
「おう、じゃ兄ちゃん、頑張れよ!」
と言って去って行った。何が何だか分からなかったのだが、オバちゃんは俺の近くに座って、
「まぁ、ここでこんな商売してればそれなりに顔が広くなるからね」
と笑った。
「花屋さんですよね?」
と聞くと、
「まぁ、確かに花も売ってるんだけど、こっちもやるのさ」
そう言って、オバちゃん、手のひらをヒラヒラさせた。
「ん?」
と悩む俺に、
「占いだよ、占い」
笑いながら、オバちゃんは俺の手を取って手相を眺め始めた。そして俺の顔を見て、また手相を、顔を、手相を、と見比べてから、
「お兄ちゃん、何してる人?」
「無職です……、一応」
なにが一応なのか分からないが、そう答えてしまった。そんな俺に、
「普通はタダじゃみないけど、まぁこれも縁だから」
オバちゃんはにっこり笑って、
「お兄ちゃんは、大丈夫だよ」
とだけ言った。
「はぁ……」
「あたしんとこにはね、政治家とかヤクザの親分とかがね、お忍びで来るんだよ」
「はぁ」
「そんなあたしが大丈夫って言うんだからさ、お兄ちゃん、ただの大丈夫じゃないよ」
かなり胡散くさいと思っていた俺の気持ちが態度に出まくっているのも気にせず、オバちゃんはご機嫌そうに屋台に戻って行った。

オバちゃんのところに政治家やヤクザがお忍びで来るという話が本当かウソかは分からず仕舞いだったが、それから1年半後、俺は医学生になっていた。あの「大丈夫」というのは、このことだったのだろうか。それともまた別の何かなのだろうか。永遠の謎ではあるが、オバちゃんの「大丈夫」という言葉に励まされたこと、そして今も時どき励まされていることだけは確かだ。

新宿歌舞伎町 マフィアの棲む街

ところで、この本を読んで、よくもまぁこんな危ないところで無防備にギターなんて弾いていたものだと、我ながら若かりし自分の無警戒さに呆れてしまった。歌舞伎町近辺で遊ぶ機会の多い人には是非一読して欲しい本。

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