あるアンケートでは、一番泣いたゲームはファイナル・ファンタジー10らしい。
俺は、違う。
小学六年生で、我が家にツインファミコンがやって来た。ファミコンとディスクシステムが合体したゲーム機だ。すでにファミコンを持っていた親友のモンちゃんと話し合って、二人同時に「ドラクエ3」を買った。
モンちゃんは、ちょっと体の弱い子で、ついでに頭もちょっと弱い子だった。だけど、持ち前の明るさと、それから柔らかい優しさで、クラスでは好かれていた。そんな人気者のモンちゃんだったが、どういう気持ちからか、根暗気味の俺を親友と公言していた。お互いの家でよく一緒にゲームをする仲だった。俺も体力がなかったから、ウマが合っていたのかもしれない。
そんなモンちゃんは、ゲームの腕がぴか一で、スーパーマリオはノーミスクリアできるし、初代ファミスタでは最弱のナムコスターズを選んで、仲間内では向かうところ敵なしの戦績をおさめていた。
ドラクエ3を買った日。俺とモンちゃんはどちらからともなく、「二人で同時にクリアしよう」という約束をした。時々、お互いのドラクエの進行具合をチェックした。俺が女僧侶に付けたサオリという名前を見て、モンちゃんは、
「ふーん、ムラヤマのことが好きなんだね」
と言った。
図星だった。
頭弱いくせに鋭いな、と思った。
モンちゃんのパーティには、モンちゃんの名前の勇者と、それから、俺の名前の魔法使いがいた。うしろから見ていて気づいたが、俺の名前の魔法使いは、戦闘中に過保護なくらいに守られていた。モンちゃんは、ゲーム世界の中でも優しいモンちゃんだった。
そんなモンちゃんが長く欠席した後、入院することになった。今の俺は医者だから、病名を聞いたら忘れないと思うけれど、当時の俺には難しくて、病名がなんだったのか覚えていない。もとから病名なんて聞かされていなかったのかもしれない。
そして、モンちゃんはいなくなった。
葬式の記憶はほとんどない。泣かなかったことだけは覚えている。不思議なことに、ああいう時には泣けないものだ。モンちゃんのお父さんから呼び止められて、モンちゃんのドラクエ3をもらったことだけは鮮明に覚えている。お父さんの顔がクシャクシャで、大人も泣くんだな、と思ったことも覚えている。
家に帰っても、モンちゃんのドラクエをファミコンに挿入する気にはなれなかった。一年経って、俺は中学一年生になって、モンちゃんの命日で墓参りをした。そして、ふとモンちゃんのドラクエを思い出した。俺はすでにドラクエ3はクリアしてしまっていた。モンちゃんはどこまで進めたんだろう。
家に帰ってファミコンにモンちゃんのドラクエをセットして電源を入れた。冒険の書が三つあった。上の二つはモンちゃんの名前。最後の一つは俺の名前だった。
一つ目の冒険の書を開いてみた。クリア直前、レベルアップも完ぺきだった。当然、パーティには俺の名前の魔法使いがいた。
二つ目の冒険の書も、クリア目前。もちろん、魔法使いの俺がいた。モンちゃんのことを思い出して、ちょっと泣きそうになった。
三つ目の冒険の書を開けた。最大四人で冒険できるのに、なぜかパーティは三人。勇者は俺で、レベル99。それから、サオリという名前の僧侶。サオリも、レベル99。最後の一人は、モンちゃんの名前で、遊び人。モンちゃんも、レベル99。三つの冒険の書の中で最高レベルだった。俺は、涙が止まらなかった。
俺と一緒にクリアするために、モンちゃんは二回、クリア目前まで行ったのだ。学校を欠席しだして時間が沢山あったから、多分飽きるほどドラクエをやったんだろう。そして、モンちゃんは三つ目の冒険の書を作ったのだ。きっと、俺とサオリとモンちゃんの三人で、世界中をあちこち旅したんだ。
パーティにサオリがいるのは、俺に対するモンちゃんの優しさ。俺を勇者にしたのだって、モンちゃんらしい。ゲームの中で、遊び人モンちゃんは、レベルアップしても賢者になんかならず、俺とサオリの間で遊び跳ねていたんだ。
俺が一番泣いたゲームは、ドラクエ3。
俺は泣きながら、冒険の書を一から全部クリアすることに決めた。冒険の書の一番目をプレイしようとしたら、呪いの音楽が流れた。そんなことは初めてだったから驚いた。そして、冒険の書は全部消えてしまった。きっとモンちゃんが成仏したんだ。バッテリバックアップの脆弱性など知らない俺は、自分にそう言い聞かせた。
モンちゃんが“モンハン”に見えました。3DSで目が(頭?)やられてる証拠かもです。。。
返信削除>あっこ
返信削除3DSは脳が疲れるって、耳鼻科の先生が言ってたもんなぁ。