情報のとり方には二通りあり、一つはいわゆる浮遊する注意(フローティング・アテンション)といって、あまり相手の話の細部に集中しない焦点をぼかしたような注意力の幕を広く張っているようなもの。これは比較的軽症な病人にある程度時間的余裕を持って治療を続けることが許される時のこちら側の意識の持ち方です。一方、総は言ってられない場面、寸刻をあらそって情報を得たいという戦場のような臨床場面もある。
そういうケースでは、私は自分を精神科の医者だと思ってないふしがある。自分を、捜査官、「刑事」だとみなしている。鵜の目鷹の目で訊きます。本当は生まれ育った環境もそこに出かけて見てみたいぐらいなんです。だけどそこは想像力で補うことになる。
イマジネーションなんていうものは訓練のしようがないわけだから、それぞれの適性でもってやるしかないけど。少なくとも話を聞く際の誠実さとしては「細部」にこだわる、それから「筋の通らない話」に「ここのところはどうも引っかかるな」、というふうな感性は必要です。別に問い直さなくてもいいんですよ。こちらが聞いていて、「あれ、ここはなんか変だな」ということをキャッチできるかどうか、ということ。そういう意味では、犯罪捜査みたいな供述の真実性を目的とした行為などとは違います。
「瞬間的な勘」と、持続してあんまり集中しないで、少し「ボワーッとしたような気持ち」で話を聞くのが大事ですね。一点に集中しないで。
計見先生の辛い口調による口語体での本。だから、読みやすくもあるが、時どき分かりにくくもある。ただ、若手精神科医には含蓄あると思えることが多かった。
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