『いじめと不登校』という本を読んでいて、こんな話があった。
あるお母さんが、いつもインスタントのカレーばかりだったが、子どもの誕生日かなにかのときに、手作りのカレーライスを食べさせようと思って、心をこめて手作りのカレーライスを作ったところ、子どもが、
「何か今日のは味ないな。いつものは美味いのに」
と言った、というもの。
これを読んで思い出したことがある。
俺の母は、弁当に決して冷凍食品を入れない人だった。
ある日、妹が友だちの弁当にシューマイやタコ焼きが入っているのを見て、帰宅してから母に、
「わたしの家も、あんな豪華な弁当のほうが良い」
と言ったそうだ。もう高校生になって寮に入っていた俺に、母はその話を笑いながらしてくれた。
それを聞いて、なるほどと思った。というのも、寮に入って初めて冷凍のハンバーグというものを食べたのだが、口に入れた瞬間に自分が何を食べたのか分からないくらい混乱して、思わずペッと吐きだしてしまったのだ。そこには、「ハンバーグのようなもの」があった。家では何気なく食べていた母のハンバーグだが、実はけっこう美味かったのか、とその時に思い至ったのだった。
弁当を作るかどうか、冷凍食品を使うかどうか。
そんなことで親の愛情が決まるわけではない。
しかし、「おふくろの味」というようなものが何か一つでもあるかないか。
そういうことは、ふとした時に心を慰めてくれるような気がする。
かあちゃん
33歳の主人公の母は、ちょうど還暦。
36歳の俺の母も、ちょうど還暦。
人には、出会うべきときに出会う本がある。
本は、その人が手にとるのを待っているのだ。
そして、言葉たちが、その人の心に入っていく準備をしている。
たくさんの人に、本を読んで欲しい。
本を待ちぼうけさせないで欲しい。
言葉たちの準備を無駄にしないで欲しい。
この本は、妹夫婦にも贈ろうと思う。
私もガキの頃、総菜屋に売ってるマカロニサラダが母親の作る物より好きでした。
返信削除理由のひとつが給食のマカロニサラダの味に似てるからでした。
母親にそれを言うと大いに不満げでしたが。
今思うに、妹さんが冷凍食品を好んだのも、私が母の手作りサラダより総菜屋や給食のサラダを好んだのも、添加物、とりわけ塩分の量の違いに根ざしたものでなかったかと思います。
やや異なった例をあげれば、今さらワサビ抜きの寿司は食えません。
うどんに唐辛子抜きでは困ります。
酒なしも・・・・。
人類は、そんな歩みをしてきたような気がします。
>ししとう43さん
返信削除むかし、
「なんで、人類って体にいいものが美味しくなくて、悪いものが美味しいんだろう」
と悩んだことがありましたw
野菜よりはお菓子が美味しいなんて、人類の進化の方向間違っているんじゃないかと。
俺はやっぱり給食よりは家のご飯が好きでした。
Ciao Willwayさん
返信削除重松清さん大好きです
私にも母の味の思い出がたくさんあって
それらがもう絶対に食べられないと思うと、ふと気が遠くなります
>junkoさん
返信削除重松さんは良いですよねぇ。
祖父が亡くなってから、いろいろと思いだすことが多くて、きっと母の時にはもっともっと多いのだろうなと思います。
今のうちにできるだけたくさん帰省して、色々と食べさせてもらっておかないとですね。