「ベッドがなくても受け容れて欲しかった」
そんな風に仰っていた。
その時には、朝から小倉さんが吠えていた。
「ベッドがなくても、受け容れることくらいできるだろう」
まさに、ここに、一般人と医療従事者の間にある『言葉の壁』を感じた。この言葉の壁に関して、一般人と医療従事者のどちらが悪いのか、それは圧倒的に医療従事者が悪い。
「ベッドに空きがない」
「満床だ」
これは「物理的にベッドが空いていない」というだけの意味ではない。物としてのベッドがないから受け容れきれないと言われたら、家族としては高価なベッドを買ってでも入院させてあげたいと思うのが当然だし、病院側だってベッドを買うなり借りるなりして済むのならそうしている。
しかし、足りないのは、物としてのベッドではなく、人手である。
病院でベッドが一床増えると、そのベッドに充てるべき人員も必要になる。物としてのベッドを臨時で増やしたからといって、人員が臨時で増えるわけではない。無理してベッドを増やすと、他のベッドに充てられるべき人員は削られる。簡単な算数だ。
「ベッドはなんとかするから」
「ストレッチャーでも良いから」
「床で寝てもいいから」
そういう問題ではない。
問題は人員が足りていないということなのだ。
もしも、入院患者で手一杯にも関わらず、ストレッチャーで患者を受け容れたとする。当然、その患者の救急治療には医師や何人もの看護師が必要になる。その時、病棟で入院患者の急変があったら、いったい誰が駆けつけるのだろう? 無理して受け容れたせいで人手不足になった結果、入院患者のほうが亡くなってしまったら、ご遺族は誰を責める? マスコミは誰をやり玉に挙げる?
それでも医療従事者は、使い慣れた「ベッドが足りない」「空床なし」「満床」という言葉を使ってしまう。そしてこのせいで、一般人と医療従事者との間に齟齬が生じるのだ。
「ベッドくらい、どうにでもなるだろう!」
これをサラリーマンに例えるなら、無理な仕事を押しつけられて、
「スケジュール“帳”が埋まっている」
と断っているようなものだ。
「だったら、スケジュール帳に付箋を貼れば良いじゃないか!」
そんなバカげたことを言わせないためには、「時間がない」と表現しないといけない。
「ベッドに空きがない」
と言われたら、医療従事者なら、
「あの病院は人手が足りないか。仕方がない、他を探そう」
と言外の意味を汲み取ることができる。しかし、それをそのまま患者や家族、マスコミに使ってはいけない。
「○○病院はベッドが一杯のようです」
と言われても、納得できるはずがないのだ。ハッキリと、
「○○病院では人手が足りないようです」
と伝えなければならない。
受け容れきれなかった病院の対応もまずく、マスコミに対して、
「ベッドに空きがなかった」
を連発してはいけない。ねじ曲げた解釈や無知による敵意から、病院を悪者に仕立て上げられて報道されるのがオチなのだ。
この件で病院や医療者を責めている人たちに悪意があるわけではない。むしろ多くが、善意、純真無垢な良心を持つ人たちだろう。そして、それが厄介なのだ。医療従事者は、悪意には毅然として立ち向かえるが、無知からくる残酷な善意や良心には敵わない。そして、そういう善人たちによる「正義の鉄槌」ほど、現場を落胆させ疲弊させるものはないのだ。
1発殴られたくらいで死ぬことは少ないが、100人から1発ずつ殴られると危ない。しかし、その場合、殴った100人のうち、「自分が殺した」と自覚する人は少ない。医療崩壊も、善意の市民からのジャブ1発で起きたことではない。そして誰も、自分が崩壊させたとは思っていない。— いちは (@Willway_ER) 2017年1月14日
救急搬送36回断られる 埼玉の男性死亡
(日本経済新聞 2013/3/5)
埼玉県久喜市で1月、呼吸困難を訴え119番した男性(75)が25病院から計36回救急搬送の受け入れを断られていたことが5日、久喜地区消防組合消防本部への取材で分かった。男性は通報の2時間半後に搬送先が決まったが、到着した病院で間もなく死亡が確認された。
消防本部によると、男性は一人暮らしで、1月6日午後11時25分ごろ、「呼吸が苦しい」と自ら通報。自宅に到着した救急隊員が、各病院に受け入れが可能か照会すると「処置困難」や「ベッドが満床」などの理由で断られた。
翌7日午前1時50分ごろ、37回目の連絡で、茨城県内の病院への搬送が決まり約20分後に到着した際、男性は心肺停止状態で、その後死亡が確認された。男性は当初、受け答えが可能だったが、次第に容体が悪化、救急隊員が心臓マッサージなどをしていた。
消防本部は「正月明けの日曜日で当直医が不足していたのかもしれない。現場の隊員だけでなく、本部の指令課とも連携し、早期に病院が確保できるようにしたい」としている。
総務省消防庁によると、重症患者の救急搬送で医療機関から20回以上受け入れを拒否されたケースは2011年に47件あった。調査を始めた08年以降では、最高で08年に東京都の48回があるという。
久喜市は、今回のケース後に市内の病院に救急患者の受け入れに努めてもらうよう要請した。
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