2013年11月26日

こうして世界は誤解する――ジャーナリズムの現場で私が考えたこと

高校生から20歳くらいまでにかけて、落合信彦に傾倒していたことがある。今の若い人からすると、「え? 誰それ?」といった感じかもしれないが、20年前、1995年頃には若者に対してわりと影響力のある作家だった。結局は、だんだんと胡散臭さを感じてしまい離れてしまったが、高校時代のまだ右も左も分からない時期に、彼の本に触れられたことは幸せだったと断言できる。

落合に影響され、「これからの時代は中東だ!」なんて熱くなっていた俺は、九州大学で第二外国語としてアラビア語を学ぼうとした。でも、現在は分からないが、当時はアラビア語の講座は九大になかった。あっという間に諦めてスペイン語にしたが、ほとんどなんの身になることもないまま終わってしまった。

それでも中東に対しては薄らとした興味と関心が持続していた。そして、医学部一年生の時、2001年9月11日、あの同時多発テロが起きた。家に帰ってテレビを観ていたら、飛行機がビルに突っ込んだというニュースがあっていた。それも2機だ。そのニュースを見た途端、かつて読み耽った落合信彦の本の内容が一気に甦ってきた。
「テロだ……、そして多分……、今から中東が騒がしくなるぞ……」
まだなんの情報もない状況だったが、そう直感した。あのテロの真実が何だったのかはさておいて、確かにそれからの中東は荒れた(もともと荒れてはいたが)。


本書は、オーストラリアから中東へ派遣された特派員が見て体験して感じたこと。翻訳がこなれてないので、正直読みにくかったが、筆者が伝えたいことは分かった。世論は操作されているのだ。それはわざわざ指摘されるまでもなく自明のことなのだが、中東問題に関しては「どう操作されているのか」というところに意識が向くようになった。そしてまた、あとがきに書かれた、
「私もまた読者を操作しているということを、どうか心に留めておいていただきたい」
という一言に、彼の真摯さを感じた。

非常にタメになる本ではあったが、身内に読みそうな人もおらず、読み返すこともないだろうから図書館寄贈。

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