2016年2月19日

『ネット禍』 ネットの精霊について

『山月記』(人間が虎になる話。国語の教科書にも載ることが多い)で有名な中島敦の作品に『文字禍』という短編がある。少し長くなるが、だいたいこんな話である。

舞台はアッシリヤという国。毎夜、図書館の闇の中でひそひそと怪しい声がする。そこで国王はエリバという博士に命じて、文字の精霊について調べさせる。エリバ博士は街に出て、最近になって文字を覚えた人々をつかまえては、
「文字を知る以前に比べて、何か変ったところはないか」
と尋ねまわった。その結果、文字を覚えてから急にシラミをとるのが下手になったとか、空のワシが見えにくくなったとか、そういう訴えが圧倒的に多かった。要するに目が悪くなったということである。

また博士は、文字が人間の頭脳を犯し精神を麻痺させているということにも気づく。例えば、文字を覚える以前に比べて、職人は腕が鈍り、戦士は臆病になり、猟師は獅子を射損うことが多くなったというのだ。博士は「文字というのは影のようなものではないのか」と考えた。獅子という字を覚えた猟師は、本物の獅子の代りに獅子の影を狙い、女という字を覚えた男は、本物の女の代りに女の影を抱くようになる。以前は、喜びも知恵も直接に人に入ってきたが、人々が文字を覚えてからは、文字というヴェールをかぶった「喜びの影」と「知恵の影」しか知らない。
人々は物憶えが悪くなった。これも文字の精のいたずらである。人々は、もはや、書きとめておかなければ、何一つ憶えることが出来ない。着物を着るようになって、人間の皮膚が弱く醜くなった。乗物が発明されて、人間の脚が弱く醜くなった。文字が普及して、人々の頭は、もはや、働かなくなったのである。
博士は国王に、
「武の国アッシリヤは、今や文字の精霊のために蝕まれてしまった。しかも、これに気づいている者はほとんどいない。いますぐに文字への盲目的崇拝を改めなければ、後に痛い思いをするだろう」
と報告した。これを文字の精霊が許すはずがなく、数日後に起きた大地震の時に、博士は文字の書かれた大量の粘土板の下敷きになって圧死してしまった。

中島敦は現代のネット文化を予言していたのではないかと、そういう気がしてくる。ネットから情報を得すぎることで、「現実の女性の嫌なところをたくさん知って、バーチャルな女性を求めるようになり」「結婚生活の理想と現実は全く違うということを知って、結婚を避けるようになり」「子育ての大変さと支援の少なさを知って、子どもを欲しがらなくなり」「薬の害を知って、薬を極端に忌み嫌うようになり」……などなど。そして、『文字禍』の結末のように、ネットの精霊は、時に人を死に追いやる……。

ネットを捨てる必要はないが、毎日のネットが当たり前の我々現代人は「ネットの精霊」のようなものがいること、そしてその精霊は、自分自身も含めたネットに参加する者たちで創り上げているということを、意識しておいて良いのかもしれない。

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