2016年2月2日

貧困の原因について社会制度の責任論に寄っているので、読んでいて、なんとも言えないモヤモヤ感がつきまとう 『現代の貧困』


当院の精神科患者には経済的に貧しい人が多い。まず生活保護受給者の割合が高い。正確な数字は把握していないが、外来の約2割くらいだろうか。生活保護を受けていなくても、障害年金だけの「貧困」と言える生活をしている人たちもけっこういる。そうしたこともあって、本書を手にとった。

著者は、
「長い人生で、絶対に貧困にならない人、一時的に貧困に陥る人、そして常に貧困に固定されている人がいる。若い一時期に貧乏を経験することは悪いことではない」
と言っており、それには俺も賛同する。若さゆえの体力と気力があれば、貧乏暮らしも面白いものだ。俺にしても、九大経済学部時代の家賃1万5千円のアパート暮らしは良い思い出である。

著者が問題視するのは、固定化された貧困である。そして、著者の意見としては、こうした貧困の固定化はとにかく社会制度に問題があるということだが、果たして本当にそうなのだろうか? 例えば貧困の原因として低学歴が挙げられており、親の貧困が原因で教育を受けられず、そのせいで自らも貧困に陥り、そして貧困が連鎖していく、固定化する……。確かにそういう人もいるだろうけれど、いわゆる低学歴の人たちの中で、純粋に本当に「貧困が原因」で高校への進学を諦めたという人はどれくらいいるのだろうか?

貧困の全てが自己責任と言うつもりはないが、全てが社会制度の責任ということもないだろう。本書はかなり社会制度の責任論に寄っているので、読んでいて、なんとも言えないモヤモヤ感がつきまとった。

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