2016年3月1日

正確さを犠牲にしなくても、分かりやすい翻訳文はつくれる! 『私の翻訳談義』


これまでに英文を翻訳したのは、大学受験時と、学生時代、それから研修医になって「抄読会」の担当になった時くらいである。いずれも、自分が分かることと、採点者や同僚に通じることが必要で、かつ、それで十分でもあった。すべてにおいて、日本語の美しさはさほど求められなかった。

あるご縁で、精神科に関する英語書籍の下訳をしないかと声をかけていただいた。英語は苦手ではないし、日本語の文章を書くのは好きなので、二つ返事で引き受けた。しかし、実際に翻訳というものをやってみると、これが案外に難物であった。なにも知らない人が読んだ時に、英語からの翻訳文だと意識させないような自然な日本語というのが、なかなか簡単に作れないのだ。

この機会に本書を読んでみると、今やらせてもらっている仕事にとって実に有意義だった。

「英語の構文が透けて見えるような翻訳文は読みにくい」
「名詞中心の英語から、動詞中心の日本語にするためには~」
「正確さを尊重すれば読みにくくなる、というのはおかしい。その場合の正確さとは、内容ではなく英語の構文について言っているにすぎない。だから、読みやすさを重視するために正確さを犠牲にするという考えも間違いで、読みやすくて正確に伝える翻訳は必ずできる」

本書はあくまでも対話形式の「翻訳談義」であって、翻訳テクニックの教則本ではない。主に、著者の翻訳家としての心構えや考え方を中心に語ってある。だから、英文もほとんど出てこない。プロの翻訳家を目指すわけでもなく、テクニックを身につけるような時間もない自分にとっては、本書のような翻訳への心構えを説くような啓発書こそ必要なものであった。

この一冊との出会いに感謝。

本を愛する者は、本の神様に愛してもらえるのだ。

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