2017年8月28日

見たことがないものを「ニセモノ」と決めつけるのは、見たことがないものを「ホンモノ」と盲信するのと同質ではないか?  『職業欄はエスパー』

精神科の人格障害という診断のなかに、統合失調症“型”と統合失調症“質”というのがある。医学生時代には、どちらがどちらか覚えにくかった。型のほうはカタカナで「スキゾタイパル」「シゾタイパル」、質のほうは「スキゾイド」「シゾイド」という。それぞれの詳しい説明はWikipediaにゆずる。
統合失調症型パーソナリティ障害
統合失調症質パーソナリティ障害

ここでは、とくに「型」、シゾタイパルの人の話をする。彼らは、子どものころからオカルト系を好きなことが多い。それが高じて、世間から「特別に変な人」と思われ避けられるようになり、そのせいで対人交流がうまくいかず本人が悩むとなれば、これは障害といえるだろう。そこまでいかなくても、子どものころから幽霊や超能力、占い、宇宙人など、いわゆる超常現象、オカルトが大好きという人たちがいる。対人交流にも問題なく、場の空気を読んで、自分の趣味を出したり隠したりできる。

たとえば、俺。

子どものころから、オカルトが大好きだった。幽霊、守護霊、妖怪、占い、宇宙人、超能力、つのだじろう、あなたの知らない世界、新倉イワオ(もう亡くなっている、合掌)。今でも好きだが、子どものころほどのエネルギーはない。時どきテレビで見て、ホンマかいな、とツッコミを入れながらも半分、いやそれ以上には信じている。

そう、俺は信じる側に入る。特に超能力に関しては。

信じない人に問いたい。
なぜ、信じないのか。

俺には、信じる理由がある。「超能力がある」と言われる人に会ったことがある。その人は、俺の祖母の名前「つる子」を言い当てた。しかも、「本当は“つる”だけど、なぜか子がついてますね」と。確かに祖母は結婚したあとに、舅(俺の曾祖父)から「つるだと呼びにくいから子をつけろ」と命じられ、通称「つる子」になったのだった。驚いた話はまだある。俺が渡した500円硬貨を片手であっさりと曲げられた。別の日に連れて行った友人はまったく信じておらず、パッと見では分からない傷を500円硬貨につけて用意していた。その硬貨も、やはりあっさりと曲がり、友人は信じるようになった。

トリックがある。そうかもしれない。だが、どんなトリックなのか、誰も教えてくれない。ただ単に、見たことがないことについて、「トリックがある」と信じているだけだ。そういうのを「妄信」というのだろう。新興宗教や似非科学を盲目的に信じることと、ベクトルが真逆というだけで、本質は大して変わらないのではないか。


胡散臭い3人の超能力者を、ドキュメンタリ作家の森達也が追ったノンフィクション。あえて書くが、相当に胡散臭い。精神科の診察室なら「統合失調症」と診断されてもおかしくない言動だってある。それなのに、なんとも言えない説得力がある。もし、彼らが対人交流に障害があれば、シゾタイパルと診断されるかもしれない。だが、むしろ彼らは自分たちの独自性を商品化し、大金を儲けていた時期もあるし、今でもそれなりの立ち位置をもち、一定の人間関係を築いている。決して、障害、ではない。

森達也は、『A3』(ブログ内レビュー)で俺に衝撃を与えた映像作家。今回も引きこまれて読んだ。読んでいて、森の自問自答、悶々とする姿が目に浮かぶ。森は純粋なのだ。だからだと思うが、彼はどっちつかずだ。超能力を目の前で見ても「信じる」とは言えない。だけど、見てもいないのに「信じない」という人たちにはムキになって反論してしまう。

この本は、超能力を信じる人にも、信じない人にも読んでもらいたい。

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