「どうして、オウム信者と話し合うことを思いついたのですか」筆者である森達也と 右翼メンバーの会話である。
「だってさぁ、オウムがいったい今何を考えているのか、どれほど危険なのかを俺たちは全然知らないんだからさ。そのレベルで、出て行けとか殺してやるとか叫んだって何の解決にもならないだろ? 当たり前のことじゃないか。マスコミもさ、その辺りのことをもう少し考えて報道したほうがいいよ」
「どうしてそんな見解を持つようになったのですか?」
「きっかけは週刊誌だよ。群馬の藤岡で、信者と住民とが交流を進めているという記事を読んでね。それで俺たちも、もっとオウムを知って、本当に危険だと判断してから、行動を起こすべきだと考えたんだ」
「知らなかっただろう? 藤岡のその状況のことはマスメディアは全然伝えていないらしいじゃないか。あんたたちもさ、会社や局の都合もあるんだろうけど、報道というものをもう少し真剣に考えたほうがいいよ」また、荒木浩が地域住民から立ち退きを迫られる場面。住民の一人が、
「もう危険はないと言うのなら、麻原に帰依はしていないとあんたは断言できるのか」
と詰め寄り、麻原彰晃の写真を踏めと言う。まるで切支丹弾圧の踏み絵だ。
「じゃあお聞きしますけど、仮にあなたの父親が殺人を犯したとしたら、あなたは父親の写真を踏めますか?」A2
「踏めるよ。当たり前だろう」
腕章をつけた通信社のカメラマンが、一瞬言葉に詰まった住民にとってかわるように声を上げる。
「あなた、マスコミの方ですよね。名刺をいただけますか」
「必要ねえだろう」
「撮影しているのだから、名前くらいは名乗りなさいよ」
「荒木だよ」
その答えに一瞬戸惑う荒木浩に、カメラマンは声をあげて笑う。住民がもう一度同じ質問を大声でくりかえす。
「どうなんだよ荒木さん? あんたは麻原の写真を踏めるのかよ」
「危険かどうかと関係があるのですか?」
「大ありだよ」
「……私は誰の写真も踏めません」
マスコミが見せようとしなかった部分がこの本にある。なにも知らずに責めることは、なにも知らずにかばうことと本質的には同じだと思っているので、こういう本をより多くの人が読んでみれば良いのにと思う。
「世界はもっと豊かだし人はもっと優しい」
著者・森達也の想いである。
一連のオウム報道を見るたび、いつも不自然さを感じていました。一方的な視点からの、攻撃。
返信削除この方も同じように思っていたのかもしれませんね。
機会があったら読んでみたいです。
言いたい事が山ほどあってまとまらずに書けないまま、
この件についての下書きが何枚も積もっています。
いつかブログに載せたいと思っています。
>こばねさん
削除例えばオウム真理教信者や麻原の子どもの住民票不受理。住民票がないと保険証もないから、病院にもかかれなかったそうです。そういうことがなぜか「オウムなんだから当たり前」という風潮になっていた、それが怖いですね。
当時、まだあまり物事の見えない20歳そこそこの俺は、何の疑問も持たずに「オウムの連中だろ? 仕方ねぇよ」くらいにしか思っていなかったんですよねぇ。ほんと、怖いです。
そう、そういう風潮でした。
返信削除『責めない奴は非国民!』 みたいな(笑)
今でもどこかでそういう常識が
はびこっているかも知れないと思うと
ぞっとします。
>こばねさん
削除オセロ中島の洗脳疑惑で、やっぱりオウムが引き合いに出されていますもんね。