2019年1月4日

患者さんや家族を勇気づける

患者さんや家族に「治りますか?」「前のようになれますか?」と問われたとき、病気について詳しく説明するのも一つの方法だが、
「同じような病気・症状から、回復して元気にされているかたはいます」
という経験例を語るほうが、彼らを勇気づける。

小児がん病棟のなかには、回復した子どもたちの写真を貼っているところがあるらしい。いままさに我が子が入院して闘病している親は、そういう写真の中から、我が子と状況の似ている子どもを見つけ、そこに我が子の未来を見て希望を抱くのだ、と。

里見清一先生の本に、そんなことが書いてあった。

さて、精神科の場合である。身体の不調を訴えて内科や他の身体科を受診し、各種検査したものの異常が見つからなかった人が精神科に紹介されてきたときは、初診で、
「大丈夫! 同じような人を何人もみてきたし、たいていみんな良くなっていますよ」
という声かけをしてきた。

間違っても、
「症状を全部とろうとは考えず、上手に付き合えるようになりましょう」
なんて説明はしたことがない。

そして、初診で「大丈夫!」と声かけするようになってからのほうが、それまでより患者さんたちの治りが良いように感じる。

あとになって「治せるって言ったじゃない!」と責められることを恐れて防衛的な説明をするより、大船に乗った気になってもらうほうが治療的ではあるのだろう。

もしも「治せるって言ったじゃない!」と責められたら、初診時のカルテをパラパラとめくりながら、
「ふぅむ……、こちらに初めて来られたときは、いまよりだいぶキツかったのではないでしょうか?」
と振り返ってもらう。そして、そこで初めて「症状とうまく付き合う」という選択肢について「そっと触れる」。

この「そっと触れる」も大切だ。

なぜなら、患者さんだってそれくらいのことは薄々察しているからで、それを精神科医がダメ押しする必要はない。というより、そういうことはやってはいけない。

そしてこのとき、患者さんには、
「自分がうっすら考えていることと、主治医の考えとは、ゆるやかに重なっているようだ」
と感じてもらうくらいが良いだろう。

ここでも「ゆるやかに重なる」程度が良い。というのも、いくら自分の意見と一致しているからといって、主治医がそのものズバリを明言してしまうと、なんとなくしらけたり反発したりするものだからだ。

たとえば、こういう場面を想像してみて欲しい。

尊敬や信頼や親しみを寄せる人と話していて、自分の意見を言おうかどうかというとき。相手がこちらの意見を支持することを、明言ではなくさりげなく、しかもタイミング良く言及する。それで、思わず心強くなって自分の意見に自信が持てる。

そんな経験はないだろうか。それに近い感覚である。

だから主治医として、尊敬は無理でも、患者さんから信頼や親しみくらいは感じられるようでなければならない。そして、さりげなく支持する言葉をタイミングよく発するための感覚を磨いていく必要がある。

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