2018年2月15日

あらゆることに応用できそうな「スタートダッシュ」の効用 『スイッチ! 「変われない」を変える方法』

スタンプカードにまつわる興味深い心理実験がある。

ある洗車場がスタンプカードを導入した。そして、客を2つのグループに分け、片方は「8個のスタンプがたまると洗車1回無料」にした。もう片方のグループでは、「10個のスタンプがたまると洗車1回無料。ただし、そのカードには最初からサービスとして2回分のスタンプが押されている」というものにした。

どちらのグループも実質的には「8回洗車で1回無料」ということに変わりはないが、後者のほうには「最初から2個のスタンプが押されている」という「スタートダッシュ」がある。

さて、実験の結果はどうだったか。

数ヶ月後、無料洗車までこぎつけたのは、前者が19%であったのに対し、後者のスタートダッシュ組では34%がスタンプをためきった。しかも、ためきるまでの時間も短かった。

自分で何かを始めようとするとき、あるいは誰かに何かを始めさせようと思うとき、この「スタートダッシュ」の考えかたは非常に有効だ。

「自分(あるいはあなた)は、現時点でゼロではなく、小さな一歩を踏み出している」

と感じさせるのが、その先の行動に結びつくということだ。


これは、本書で紹介してあった実験である。

病院の診察室での応用を考えてみよう。

肥満、高血圧、高血糖、高脂血症といったものを改善するために生活習慣を変えさせたい場合、
「あなたには食事制限の必要がある」
と指導するより、食生活や運動習慣をもう少し細かく聞きだして、小さな行動を大きく取りあげ評価する。

「1日5分でも散歩し始めているんですね。それはもう、ダイエットが始まっているのと同じですよ」
「ジュースをカロリーオフにしているんですね。それはもう以下略」
「塩分控えるための調理本を買ってみたんですか? なるほど、それは以下略」

といった具合に、診察室で「あなたはすでに、改善のための一歩を踏み出しています」という「スタートダッシュ」のついた生活指導をプレゼントするのだ。

とても面白い本なので、ぜひご一読を。

2018年2月14日

原因探しではなく、成功例に目を向けよ! 『スイッチ! 「変われない」を変える方法』

1990年、ベトナム政府は子どもたちの栄養不足と戦うため、セーブ・ザ・チルドレンという国際組織に事務所の開設を依頼した。ベトナムの外務大臣は、セーブ・ザ・チルドレンのスタッフであるジェリー・スターニンに対し、
「半年以内に成果を出して欲しい」
と告げた。ただし、人手は最低限、予算もわずかである。

スターニンは、ベトナムの子どもたちをとりまく栄養問題に関する多くの文献に目を通していた。衛生状態が悪く、貧困が蔓延し、清浄水は普及しておらず、地方の人々は栄養に無知。こうしたすべての知識を、彼は「True, but Useless」(真実だが、役に立たない)と考えた。期限は半年、予算もわずかしかないのだから、貧困の撲滅や水の浄化、公衆衛生システムの構築など不可能なのは明らかだ。

彼には、もっと良い考えがあった。

スターニンは地方の村々を訪れ、現地の母親グループと会った。そして、手分けして村中の子どもたちの体重を測ってもらい、その結果をみんなで検討した。彼は、
「家庭が非常に貧乏なのに、普通の子どもより体格が良くて健康な子どもはいましたか?」
と尋ねた。女性たちはデータを見て、頷いた。
「います」

これが「お手本となる成功例」、すなわちブライト・スポット(輝く点)である。

さて、スターニンと母親グループは、ブライト・スポットである家庭の食生活を調査した。貧乏なのに健康な子どもがいるということは、貧困での栄養不足は必然ではないということだ。そしてそれは、実用的ですばやい解決方法が可能だという希望をもたらす。厄介な根本原因を解決することに集中するのではなく、ごくわずかに存在する成功例、ブライト・スポットを見つけ出すことから解決方法を探ったのだ。

これで出てきた結論は、一般の家庭が子どもたちに1日2食を与えていたのに対し、健康な子どもたちは1日4食をとっている、というものだった。ただし、食事の一日総量は同じ。子どもたちの弱った胃では、少量ずつのほうがよく消化できるということのようだ。また、健康な子どもの母親は、田んぼで獲れる小さなエビやカニを子どもの米に混ぜていた。一般的にこれらは大人の食べ物だと考えられていた。さらに、低級な食べ物と思われていたサツマイモの葉も混ぜていた。どんなに異様で低級に見えても、こうした工夫でたんぱく質やビタミンが子どもの食事に加わっていたのだ。


本書では、人間の感情を「象」、理性を「象使い」として説明してある。象使いはリーダーで、象を従わせることに成功することも多いが、もし象と争う事態になれば負けるのは象使いである。だから、いかにして「象」と「象使い」のそれぞれの目的地を一致させるかということが大切になる。

ベトナムのエピソードでは、「どんなに貧乏でもできる健康食」を全国の村々に広めるため、知識(理性すなわち「象使い」である)を普及させるだけでなく、
「あなたの子どもをもっと健康にしませんか」
という、母親の感情(これが「象」である)に訴えかけるキャッチフレーズを用いたのだ。

非常にためになる一冊であり、かなりお勧め。

2018年2月13日

疲れきった精神科医に小さく活を入れた本 『激励禁忌神話の終焉』


独り医長時代に読んだ本で、非常に面白かった。勉強になる、というか、独り医長としてやや疲弊した精神科医がよれてきた襟を正せるように、精神科の神様が出会わせてくれた本のような気がする。

本書を中ほどまで読み進めた日の深夜1時半、病院から急患の連絡が入り、押っ取り刀で駆けつけて入院させた。22時からの3時間は睡眠が取れていたので、始業まで病院に残ることにして、また本書を読みふけった。その日の外来は、それぞれの患者との面接が濃密で、ある摂食障害の人からは、
「先生と話して、すごく気持ちが楽になりました」
という感想をもらった。

いつもわりと淡々と話して終わることの多かった人だったが、今回は何かが違っていた。それはきっと、俺自身からではなく、俺という媒介を通して、本書が、というより井原先生が、彼女に何らかの影響を及ぼしたということだろう。この本が凄いのか、本一冊で診療が良いものになっちゃう俺が単純なのか……。

各章のタイトルが興味深く、それらを眺め渡しただけでも若手精神科医は興味を魅かれるんじゃないだろうか。

「激励禁忌神話の崩壊」
「仕事こそ諸悪の根源か」
「超短時間精神療法の経済倫理」
「精神科医は薬のソムリエにあらず」
「薬に依存しない治療」
「リストカットの臨床」
「接遇に慎重な配慮を要する人々」
「危機管理と精神科医」
(上記二つはクレーマーや医療事故時の対策の話)
「旅立つ人に何を語るか」(これはターミナルケアにおける精神科医の役割)

2018年2月9日

転勤のご挨拶をしながら思うこと

3月の退職に向け、最終診察になる人たちに挨拶をしている。今回が最後の診察であることを伝えると、涙を流して惜しんでくださる人たちがいて、とても嬉しく、ありがたい。

「残念です」と言われることもあり、それに対して思わず「こちらも残念です」と答えそうになったが、思い止まった。こちらは希望して退職するのであって、決して「残念」ではないのだ。嘘の気持ちを言葉にすることはできない。正しい表現を見つけ、こう伝えている。

「ぼくも、こころ残りです」

始まりは「医師と患者」という関係でも、数年間にわたって月に1-2回も顔を合せていれば、そこに「個人と個人」という要素が少なからず入ってくる。良かれ悪しかれ、「人と人」というのはそういうものだろう。

これからも治療を続けていかねばならない患者さんたちに「こころ残り」を感じる。それが、彼らを治療してきた主治医としての正直な気持ちである。

ある高齢女性は、付き添いのご主人さんと娘さんも含め、三人そろって泣いて惜しんでくださった。彼女を引き継いだときには、ご家族が心労で倒れるほど派手な症状だったが、診断を見直し、薬を変更し、本人やご家族への精神療法をやっているうち、ある時を境にして劇的に改善し、以後はずっと落ち着いている。当院で診療したなかでも、胸を張れる治療の一つだ。

重度認知症の初老男性は、出会ったころには会話できていたが、いまはもう意味のある言葉を話されない。退職のお話しをすると、付き添いの奥さんが涙を流しながら、
「この人が喋っていた姿を知っているのは、先生だけだから……」
そう惜しんでくださった。そういえば、本人と二人で話しながら院内を散歩したこともあった。そんな数年前を振り返って、こちらも胸が詰まる想いだった。

認知症をはじめとした精神科の「慢性疾患」は進行が遅いものだが、出会って8年間も経つと、知り合ったときとは状態が大きく違う人たちが多い。亡くなった人も少なくない。だからこそ、「主治医が患者の元気なころを知っている」ことが、ご家族の慰めになることもある。転勤前の最終診察で、また一つ大切なことを教わった。

ある若年女性も、唇を震わせながら涙ながらに残念がってくださった。精神科の患者が偏見から受ける社会的な困難や壁を、二人三脚に近い形で乗り越えてきた。この2-3年で、ようやく安定した生活となった。やはり「こころ残り」な人である。彼女には、こんなことを伝えた。

わたしと創りあげてきた診療には、きっと良い点も悪い点もあったでしょう。次の主治医には、良かったところを同じように求めてみて良いと思います。逆に、わたしには言い出しにくかった悪いところもきちんと伝えて、そうならないようにお願いしてみましょう。
絶対に忘れないで欲しいのは、一番大切なのが、あなた自身、あなたの人生ということです。
もしかすると、この先、まったく合わない主治医が現れる可能性もあります。でも、それも一つの「出会い」という糧だととらえて、今後のより良い人生につなげて欲しいと願います。あなたなら、きっとできるはずです。


多くの「こころ残り」な患者さんたちやご家族に教えられ、与えてもらったことを、これから出会う患者さんたちに受け渡していきたい。それもまた一つのご恩返しであろうと信じている。

2018年2月8日

あなたの中の差別意識を克服するには…… 『人間この信じやすきもの 迷信・誤信はどうして生まれるか』

差別や偏見といった話題が出て、
「自分には正しい知識があるから、差別や偏見はない」
と考えた時には、どうかこの絵を思い出してほしい。



この絵の縦線は同じ長さである。実際に測ってみると確かに同じだ。しかし、どんなに頭では同じ長さだと分かっていても、どうしても右が長く見えてしまう。

差別意識や偏見も同じである。正確な知識で理解していても、いざ実際に目にするとどうしても脳が騙されてしまう。自らの中にある差別意識や偏見を克服するには、正しい知識を持つだけでは足りない。

騙されようとする脳に、常に鞭を入れ続けないといけないのだ。