2012年4月12日

てんかん患者には運転免許を持たせるな!?

クレーン車が児童の列に突っ込み、6人もの小学生が亡くなった事故は記憶に新しい。運転手はてんかん患者で、薬を服用していなかった。その後、前日に飲み忘れた分まで朝から一気に飲んだという情報も出た。この運転手の罪は自己管理の甘さなどいろいろとあるだろうが、少なくとも、てんかんという病気であることそのものに罪はない。

てんかん発作の種類は、人によって非常に多岐にわたる。失神して全身がけいれんして泡まで吹くといった派手なものから、片手が無意識的に動いてしまうとか、あくびしてボーっとなるとか、一見しただけではてんかん発作とは分からないようなものまである。クレーン車事故はどうやらてんかん発作のせいだったようだが、今回の運転手の発作がどういったものかは分からない。運転手が死亡している以上、てんかん発作のせいだったかどうかも明らかではない。

ここで問題にしたいのは、
「てんかん患者には、運転免許を与えるべきではない」
といった意見が非常にたくさん見られることである。発作の種類さえ知らないような人たちが、さしたる根拠もなく、てんかん患者から自動車を運転する権利を奪うべきだと発言している。これは怖い。

クレーン車事故の時には、医師限定の掲示板でさえ中間議論をすっ飛ばして、てんかん患者への一律の免許制限論が出ていることに呆れた。この医師たちがてんかんの診断治療に携わっていないのは明らかだ。少し勉強すれば、こんな一律論は出てこない。
「他者から権利を奪う際には、慎重に議論を重ねたうえでなされるべきだ」
これを掲示板に書き込んだところ、どのような反応があったか。掲示板では、賛成、反対、不適切のボタンがあって、それぞれに人数が分かる仕組みになっている。それによると、賛成ゼロ、反対と不適切がともに票数を上げた。自分の書き込みは、
「てんかん患者から自動車を運転する権利を奪うべきではない」
というような権利はく奪に対する強い反対論ではなく、
「他者から権利を剥奪するかどうかの議論は慎重になされるべきだ」
と慎重な議論を求めるだけのものだったので、この過剰反応には驚いた。

クレーン車事故の加害者がてんかん患者で、かつ自己管理が甘かったのは確かだが、だからといって、てんかん患者から自動車免許をはく奪せよというのは暴論だ。その暴論が許されるのならば、酒を飲む者にも免許を与えるなという主張も通る。「いや、それは酒を飲む者の心がけの問題だ」というのなら、てんかん患者も同じで、症状、発作頻度、自己管理を問題にすべきだ。

また、てんかん発作以外にも、意識が低下あるいは消失する病気はたくさんある。ちょっと前には低血糖発作で交通事故を起こしたというニュースもあったし、狭心症や心筋梗塞の既往がある人だって次にいつどうなるか分からない。他にも、目の網膜動脈塞栓は、いきなり片方の目が見えなくなる。どんな人にでも、意識消失したり、感覚器や運動器が運転不能になったりする危険性はあるのだ。

とはいえ、どこかで線引きは必要かもしれない。どんなに薬を飲んでも発作を抑えられない難治性てんかんもあるのは確かだ。自動車は致命的な凶器になりうる以上、難治性てんかん患者の自動車運転には、何らかの制限が設けられても仕方がない。しかし、個々人の症状や発作頻度に違いがあることや、それぞれの事故状況などを無視して、てんかん患者を一括りにし、中間議論もなく、車を運転させるなと結論づけるのは、あまりにも軽率だし、医師にさえそういう姿勢の人が多いというのは非常に怖い。

結論は繰り返しになるが、てんかん患者の運転免許に関しては、感情的にならずに、もっと慎重に議論を進めるべきである。

82 件のコメント:

  1. 一律禁止にする方が、医者の責任問題として考えた場合、いいとは思います。運転可と判断した患者さんが事故した場合、可と判断した医師の責任が問われる可能性が出てきます。しかし、軽度の人から重度の人まで同じ対応にしたら、軽度の人の可能性を必要以上に狭めてしまう事になります。しっかりと考え続けることが必要だと思います。

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    1. >KABA0115さん
      確かにそうなんですよね。ただ、てんかん患者に限らず、例えば認知症患者にしても、その他の病気の人にしても、運転が可能かどうかなんて医師に判断させるのが間違っていると思っています。それは教習所でチェックして、しかるべき機関が判断して欲しいです。患者が運転する姿を見ることなどないわけですし、もし医師にそんな権限が与えられたら、患者はきっと症状を過少報告するだろうし、適切な治療を受けなくなるだろうなぁと、そう思います。

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    2. 問題は、運転可能な状況から、不可能な状況へ切り替わることですので、適切な判断は無理だと思います。
      運転技術や知識は教習所が判断できます、症状の軽重は医師が判断できるでしょう、けれどもそれを合わせたときに、該当者に免許を交付すべきかどうかの判断は、とても難しいものとなります。

      飲酒については、運転すると知りつつ飲酒を勧めた者も罰するように法が変更されました。
      病気持ちの人に限らず、運転することの責任の重さを、社会が要求し始めています。
      居眠りでの意識喪失は、事故責任が運転者本人に帰属するのですから、癲癇に限らず病気の症状での事故責任は、同様に運転者に帰属するべきでしょう。
      そして、その責任を自身が取れるのか、運転手こそが真剣に考えるべきです。

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    3. >匿名さん
      そうですね。
      最も大事なのは、運転する場合には、運転手に最大の責任があるということで、乗る乗らないの判断だって運転手の責任なんですよね。初発てんかん、あるいは初発の心筋梗塞や脳卒中など、誰も予測できないことについては多少の情状酌量の余地があるとして、しかし一度てんかんと診断を受けたなら、自己責任についてはしっかりと胸に刻んで運転すべきだと思います。発作が起こったから仕方ない、免責だ、では済まされません。

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  2. 自動車により、年間5000人近い人命が奪われ、失われています。
    自動車は一瞬にして大勢の人命を奪える、爆弾と同等の凶器。
    発作や意識障害で大勢を虐殺してしまいかねないような病気を持った人間の自動車運転=爆弾運転は
    社会不安や地域不安を強め、そして実際に大勢の児童、弱者、市民らが殺されています。
    てんかんを最後まで隠しとおし、表面に出てきていないケースも多いでしょう。
    もはや、転換点に来ているのです。市民らの安全のため、発作や意識障害を伴う病気をお持ちの方に、自動車運転という権利など、与えられません。絶対に許すことなどできない!
    遺族らの悲しみを知りなさい。そして市民らの不安や怒りを知りなさい。
    そして実際に、てんかんをはじめとした意識障害、発作を伴う病者が運転する自動車が暴走し、大勢の児童、弱者、市民らが殺傷され、未来を奪われている。
    自分勝手な権利を振りかざして、そのかわり、どれだけの犠牲が出ているか、お考えなさい。
    それでもこれまでと同様の論を展開するのならば、てんかん団体、ならびに同様の論理をふりかざすてんかん患者が、反社会的勢力とみなされるのに、時間はかからないでしょう。

    同じ努力をなさるのなら、自動車を運転せずとも済む社会の実現に取り組むべきです。
    皆が歩行や自転車、公共交通機関で健やかに、安全に移動でき、自動車運転が必要のない社会に。
    市民らが、自動車によって脅かされる必要がない地域、街、道路に近づけるため、尽力なさい。自動車運転に執着するより、社会の脱自動車を支援なさい。
    歩行者や自転車などの交通弱者の安全や人命を最優先で、道路というものは設計しなければならない。利便性より人命を!
    市街地への自動車通行制限、自動車進入制限を徹底的に実行するよう働きかけなさい。世界先進国ではライジング・ボラード等を徹底的に活用している。
    そうしなければ歩行者や自転車等の弱者は守られないからです。弱者が、自動車という害悪から守られてこそ、本来の姿なのですから。
    自動車の運転の権利を!というより、自動車運転前提という歪んだ社会を正すために、尽力なさるべきです。欧米先進地域は、はるか昔から、脱自動車を進めてきました。自転車や歩行者という弱者を、自動車という爆弾のような凶器から守るためです。
    脱自動車社会にすることで、てんかんなど障害をお持ちの方でも平穏に生活することができるようになったとも聞きます。
    自動車社会からの脱却は、すなわち、バリアフリー化なのです。

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    1. >匿名さん
      お気持ちは凄く分かります。ただ、現実問題として、都会はともかく田舎だと車なしでは病院にもかかれないという人がたくさんいるんですよね。それはまぁバスをもっと普及させるとか、てんかん患者はタクシー無料にするとか、そういう方法が採れないこともないとは思いますが、ちょっと難しいでしょうね。
      俺は意識消失発作を繰り返すてんかん患者の免許制限に関しては何ら反対しません。それは記事に書いた通りです。問題は、てんかんの種類も知らずに「てんかん=意識消失、けいれん」と誤解して、無知のままてんかん患者全員から免許をはく奪するべきだと騒いでいることです。これは明らかに間違っています。
      過剰な擁護も過剰な糾弾も、ベクトルの向きは違えど中身は似たり寄ったりなのです。

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  3. >クレーン車事故の加害者がてんかん患者で、かつ自己管理が甘かったのは確かだが、だからといって、てんかん患者から自動車免許をはく奪せよというのは暴論だ。その暴論が許されるのならば、酒を飲む者にも免許を与えるなという主張も通る。「いや、それは酒を飲む者の心がけの問題だ」というのなら、てんかん患者も同じで、症状、発作頻度、自己管理を問題にすべきだ。

    ここはなんかおかしいと思うな。
    異常な状態がデフォルトなんだから。
    元がノーマルな人と比べるのは変だよ。
    酒飲む人ではなく、アル中の人がだったら理解できるし、どっちにしろ剥奪しろって思うけどね。

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    1. >匿名さん
      「てんかん=痙攣、意識消失」ではないんですよね。http://homepage.mac.com/smzh/semi/simple-sz.html
      こういう発作もあります。だから一律にってのは変なわけです。

      酒の例えが変なら、不整脈はどうでしょう? 不整脈の人も意識消失発作は起こしますし、突然の心臓発作もありえます。でも薬を飲んでおけば抑えられるとして、やはり異常な状態がデフォルトだからはく奪だと思います?

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  4. 田舎には車が必要だから、という視点からなら、「人口◯人以下の市町村なら使用可能な運転免許」みたいに、免許に段階をつける、という案はどうでしょうか?

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    1. >匿名さん
      そういう実務レベルというか、実用的というか、そんな意見こそが建設的だと思います。

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  5. 一番いいのは、てんかんを患っている人がその症状の度合いにかかわらず免許を返上してくれることでしょう。
    発作が起こってどうなるか、それを一番分かっているのは本人なんですから。
    中には自分は大丈夫という人もいると思いますが、そう言う人こそ免許を返上して欲しいと思います。

    てんかん協会は「てんかん患者の権利を奪うな」という風潮になっていると思いますが、権利を主張するならば
    事故を起こした時発作が原因であってもちゃんと責任を負うという義務も果たして欲しいと思います。
    権利だけ主張して「てんかんだから…」というのは遺族からしてみれば到底納得出来ることではありませんし。

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    1. >匿名さん
      てんかん協会の、何がなんでも擁護という姿勢は、結局は極端な糾弾と似たり寄ったりなんですよね。平行線のまま、まったく進歩しない。協会も患者も「義務は果たすから、権利も認めろ」という主張をして欲しいなと思います。

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  6. 人の命に関わることですから、一律に厳しめの制限を設定した上で、長期間てんかんの症状が出ていない人に徐々に制限を緩くする、という方向性の方がいいでしょう。

    車の運転をしなくても人は生きていけますので。
    そういう風に、運転免許を持っていない私としては思います。

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    1. >匿名さん
      いろいろ考えてみたところ、実際問題として、患者自身が返上するという以外に方法はないと思い至りました。というのも、一律禁止すればそれで済むという話ではないからです。てんかん患者には一律で免許はく奪、あるいは免許を発行しないということにしたら、車が必要だと考える患者は病院に来なくなるか、初発でも病院に行かないか、そういう闇に潜った患者が増えるだけですし、また記録に残らないように抗てんかん薬の闇取引も増えるでしょう。
      だから、自主返上、ただし免責はないというのが一番良いと思います。

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  7. 免許返上論が巻き起こった原因に
    2000年の四日市の事故が尾を引いているかと思います。


    発作を予見することは不可能-と主張、「注意義務自体がなく刑事責任は問えない」と全面的に争う姿勢

    これが原因で「だったら最初から持たせるな」という流れになってしまうのではないかと思います。
    持つのは自首責任で但しそれによって何らかの重大な事故が発生したら病気を理由に責任を逃れるのだけは一切してほしくないとおもいます。

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    1. >Ryujiさん
      そうですね。
      初発を除けば、免責はなくて良いと思います。その時が初めての発作の場合、それはもう誰にも予測できないので仕方がないとは思いますが……。

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  8. てんかん患者の方が交通事故をおこすと、普通の事故の重さが重くなります。それは、無意識の瞬間が長いからだと思います。そして、本人に事情を聞いても、「不覚」とか「相手側との事故状況に食い違い」が生じます。また、親族に病気の事を聞いてもうやむやに答えられます。しかし、この場合に調査を入れると「てんかん」という病気が浮き彫りになります。数件てんかんによる事故を扱いましたが、保険金がでない場合もあり、隠してしまうのです。だからといって「てんかん」だけをクローズアップする事も社会的にどうかなと思います。「睡眠時無呼吸症」が原因での事故も起きます。としたら、数百万人の方が「病気」による事故を起こしかねないと言えるのです。としたら、「肥満者・下顎の狭い人」は、全て「運転不能」というわけにはいかないと思います。(私もですが…)ただ、痛ましい事故が惹起されています。
    ここで、判断ができるのは、「医師」です。自動車免許の取得は、自由であり、眼鏡使用かどうかの条件をつけることもできます。ならば、「医師」の判断で「運転禁止」ができれば、いいと思います。ただ、運転可として事故を起こした場合、「医療過誤」ととらわれる事もあります。よって、国の基準のメルクマールを作り、安全範囲と危険を分けれればいいと思います。自動車保険も医師の判断と追加危険保険料を上乗せして、事故惹起の可能性のある病気に対応できると思います。老人に対して、保険料を上げるようにもなると思います。そして、「レッテル」を貼るのではなく、「責任の明確化」(酒酔い運転と同じ考え)の上での対応があればと思います。てんかんだから、という差別的な考えには反対です。そして、「自動車」に乗っている以上、病気があってもなくても「事故」は、起きます。

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    1. >匿名さん
      非常に納得のいくご意見です。医師側も防衛的になると「てんかん患者全員に運転禁止を言い渡す」ということになりそうで、現実に今そういう医師がいることも確かです。今回の事故で、またそういう医師が増えると思います。そのあたりを保険関係などから、感情論でなく実務的な観点で吟味していただけると、患者にも医師にも、それに被害者にとっても、メリットがあるように思えます。

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  9. 私、今回のことで初めて、てんかん発作は薬で抑えられる。ということを知りました。
    また運転免許にも一定の規制があることも知りました。
    一番大事なのは、そうしたことをもっと世間の人が知ることだと痛感しました。
    発作が抑えられることを、世間の人も、また患者自身もよく知り、患者は今以上にそのことに責任を持つこと。それを周囲が支援すること。
    今回のことがそうした方向に進むよう、私もできる範囲で(ブログやツイッターで)広められればと思います。

    そのこととは別に、今回の事故は、てんかん患者が起こしたことではありますが、てんかんの発作によって起こされたことではないようにも感じています。
    地元の人間なので、あの交差点のあたりはよく知っています。スピードを出すような場所ではありません。また目撃者の証言でも、交差点を突っ切った運転者が意識を失っているようには見えず前を向いて運転していたとあります。

    背景に、てんかん患者であり家族や医師から運転をやめるよう言われ、本人がそれに納得していなかったということがあるようです。(運転者の家族が話しています)
    そうしたときに、タクシーと接触事故を起こしてしまった。それで、運転者はこれが知られると免許を家族に取り上げられると咄嗟に思い、逃げてしまったのではないでしょうか。そしてアクセルを踏み……。そのあとは殆どパニック状態でしょう。もちろんこれは憶測ですが……。
    なので、事故と発作は別物と考えた方がいいのではと個人的に思います。

    だからこそ、この問題をもっとじっくりメディアが報道してくれればと願っています。

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  10. 上の記事に追記です。
    てんかんの発作は意識を失っているように見えなくても、一部の機能が麻痺ということもあるという意見を見たのですが、それでもタクシーとの接触事故後の運転者の行為を見れば、てんかん発作によるものとはなかなか思えませんでした。(私が詳しくないせいかもしれないですが)
    とはいえ、これはあくまでも憶測です。

    私が言いたかったことは、てんかんの病歴を隠すことや、薬を飲むことを軽視する患者の責任と、そうさせている社会のあり方を見つめ直す必要があるということです。

    くどくどと失礼いたしました。

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    1. >京都人さん
      今回の事故の原因は特定するのは難しいとは思いますが、仰る通り、てんかん発作は関係なかった可能性もあるみたいですね。しかし、世間のてんかんバッシングは止まらない……。

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  11. 遺族の気持ちを考えると議論されているような悠長な状況じゃないと思います
    容疑者の家族にも今回の件は責任の一端があり裁判で犯罪として刑罰で処罰すべきであると思います。それが実際可能かどうかは別ですが...
    一番厳罰化及び一律免許剥奪がはっきりしていてわかりやすくて良いと思います
    個人的意見ですが一度事故が起きると何人もの罪のない人達が毎回多く犠牲になっているわけですし、全てのてんかん患者を隔離し外出させないように法制化すべきであるとさえ思います。極論かもしれませんが生きていることさえ認めてはいけないと思います
    生まれてくるべきではなかった人達であると思います

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    1. 匿名Apr 13, 2012 05:50 AMさん

      最低ですね。吐き気がします。

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    2. てんかんは珍しい病気ではありません。あなたがいつ、てんかんになってもおかしくないのです。
      てんかんになったときに「あなたは生まれてくるべきではなかった」と言われたらどんな気持ちがしますか?

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    3. >匿名Apr 13, 2012 05:50 AMさん
      遺族の気持ちを考えて議論すると、どうしても極端な方向になってしまいます。だからこそ、第三者である我々は冷静に議論をするべきなのです。そして、それができない人は議論に参加すべきではないのです。さもなければ、魔女狩りに突っ走ってしまいますからね。後半で述べられていることが、まさに魔女狩りと同じ発想ですもん。
      半分は冗談だと思いますが、前半で「遺族の気持ちを考えると」と仰っているのに、後半でてんかん患者の気持ちを考えることには思い至らない。それは決してあなたが悪いわけではなくて、人は誰でもそうなりがちだから、第三者という自覚は常に持っておくべきだと思います。
      参考までに、
      http://psichiatra.blogspot.jp/2012/04/blog-post_7976.html
      こちらもご覧ください。

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    4. >京都人さん
      感情的になってしまう人はいるものです。どんなに冷静を装っていても。

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    5. >匿名Apr 13, 2012 08:31 AMさん
      上記過激な発言をしている方の前後の矛盾は上でコメントした通りです。無知から出る発言というのは、過激で的外れで無情なうえに滑稽なものですね。

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  12. いろんな意味で衝撃的な事件だったので、見聞きしただけの多くの人もショックを受けているのだと思います。傷ついている時、人は誰でも極端な反応に走りがちなので、言葉や表現がとがってしまったりしますよね。互いの知恵を集めて、なんとかいい方向を探しましょう。

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    1. >匿名Apr 13, 2012 08:33 AMさん
      そうですね。第三者である我々は、無関係だからこそ冷静にあるべきだと思います。

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  13. はじめして初めて医者さんのブログを読みましたてんかんに関して今までは「クレーン事故」、「祇園事故」等全国ニュースに初めて流れるまでてんかんと言う意味を調べ「偏見」や「差別」を産んだと思う。

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    1. >匿名Apr 14, 2012 07:14 AMさん
      調べる人は良心的ですよね。
      ほとんどの人が、調べもせずに発言しちゃう、それが怖いですね。

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  14. はじめまして。

    私は他の多くの人と同じようにてんかんについて交通事故のニュースで初めて知った一人です。
    医学はまったくもって囓ってないのでこのような稚拙な考え方しかできないことをお許し下さい。

    まず、思ったのが「てんかんを持つ患者に運転免許を与えてはならない」が差別になるのか否かです。
    「運転する権利と剥奪される」から差別になるのですよね?
    でも、食物アレルギーの方は「その食べ物を食べる自由」を剥奪されているように思います。
    理由は簡単、アレルギー反応が出るからです。
    そばアレルギーの方がそれを知っていてもそばが大好きで、食べてしまって死んでしまった、とするならばそれは罪になりません。
    自分しか害が及ばない自殺だからです。
    持病だろうが体質だろうが害が及ぶのが自分であれば、現在の社会では罪ではない。
    しかし、外部に害が及ぶならばそれは罪になる。
    ならば、てんかんだけではなく、他の人を危険にさらすようならば運転をすべきではない。
    自分の権利だけがそこにあるかのように振りかざすべきではない。

    そこでこうも思ったんです。
    てんかんの患者さんが薬を服用していながら車の運転最中に発作が起きる確率と、健常者がいきなり心臓発作になる確率は?
    または、健康だった人が突然てんかんになる確率は?
    車は動く凶器です。
    それを運転する異常、もっと資格認定に慎重にならなくてはいけない。
    赤緑色覚異常の方が交通事故を起こす危険性があるから免許を取れない。
    ならば、発作を起こして事故を起こす危険性があるてんかんなどの神経疾患の患者さんも同じではないでしょうか?
    当然、常に赤と緑を判別できない色覚異常といつ発作が起こるかわからないてんかんとでは違います。
    しかし、持病を持っている=万が一にも、周囲に悪影響を及ぼす可能性がある。
    権利を広く認める前に、それを補う医学や技術がまだないのです。
    てんかんの患者さんが発作を起こしたり、健常者が心臓発作を起こしたら徐行して路肩に止まる技術がないのです。

    私は、運転免許のハードルを上げるべきだと思います。
    より、他の人に害を及ぼさない可能性の高い人にこそ、運転免許を与えるべきです。
    ですから、てんかん協会をはじめとする、多くの団体とは逆行した考えを持っています。
    車がなくては生きていけない、ましてや就職できない地方というのもありますが、それは極少数です。
    そこに固執しなければ公共交通の発達と共に車を使う必要はなくなります。

    “より多くの人に権利を”ではなく、“適性がある人に権利を”ではダメなのでしょうか?

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    1. >匿名Apr 14, 2012 09:48 AMさん
      一応、その後の考察もお読みいただけたらと思います。
      http://psichiatra.blogspot.jp/2012/04/blog-post_7976.html

      差別云々の話を持ち出すと、話がややこしくなるし、本題から逸れちゃうんですよね。大切なこと、それは「安全を確保する」ということであって、てんかん患者を排除することではないはずです。もちろん、てんかん患者を排除すれば安全が確保されるのならそうすればいいと思いますが、交通事故の中でてんかん発作が原因のものは0.01%だそうです。それが多いか少ないか、どう感じるかは人それぞれだと思いますが、てんかん患者を排除してもその0.01%がなくなるだろうというだけで、もっと細かく吟味すれば、20代の男性の事故が多いとわかったら、「じゃ、20代男性の免許をはく奪しろ」という話になるかどうか。
      そういうことを考えてみることが大切だろうと思います。

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  15. 匿名にて失礼致します。
    今回の事件に際し、問題視されているのは危険性を知りながら患者団体の圧力に屈した道交法改正なのではありませんか? 実際にてんかん患者は申告しても、視力矯正の有無と違い免許への記載すらありません。これはもはや視力の弱い者に対する差別に他ならないでしょう。

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    1. 「患者団体の圧力」との言葉をよく聞きますが、事実誤認に近いのではないかと。調べてみると、何年ものあいだ署名運動をしての嘆願であるのが実際のようです。

      これが『圧力』であれば、栃木の件での被害者のご遺族の方々がされた嘆願も同様に定義されることになりそうですが?

      また、団体のかたちからしてかなり風説が広まっている感じがします。
      本部事務局には専従職員が何人かいるようですが、建物は他の障害者や難病の患者団体も多く入っているいわば『寄り合い所帯』です。県支部などは患者本人や家族そしてボランティアが運営していて連絡先も個人宅、圧力団体と言うには貧弱な実態しか見えてきません。

      疑問です。

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    2. >匿名Apr 22, 2012 06:21 AMさん
      患者団体の圧力なんてことは絶対にありません。そこまで強い団体じゃないです。そんな風説を広める連中は、目の前にパソコンがあるのになぜ調べようとしないのか不思議でなりません。バカなんでしょう。
      てんかんの患者団体は、正直脆弱な団体です。患者100万人にしては貧弱なのは、統合失調と同じで、隠しておきたい人が多いからだと思います。そんな状況で団体に圧力をかける力なんかあるかっつぅの、って話ですw

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  16. 今は抑えられていても、いつ発病するか分からない。でもそれって誰にでも言えることだと思うんです。いつ誰が、てんかんになるかなんて分からない。だから一定期間設けて、2年何もなければ、安全と定めているんでしょう。
    問題は、2年間ということを守らず、薬を忘れたりして飲まない患者にあると思います。
    2年発作がなくて、薬もきちんと飲んでいた患者が、どれくらいの確立で発作を起したことがあるのか、またその前兆はあったのか、そこがわかってからでないと話は進まないと思います。
    本当に患者次第なところだけど・・・しかし、自己申告制では何も解決されない。
    医師から免許を剥奪するシステムは構築されないのだろうか。
    心臓にペースメーカーを入れている人ってどうしているのだろう??

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  17. ひとたび発作が起きればどんな病気でも意識を失うことはありえるでしょう。しかしもし今回のが「てんかん」が原因ならばアクセルをフルスロットルで踏みながら気絶するような病気なのですか。
    逆に意識はあり、制御がきかなかったという説もありますがだとすればなおさら「てんかん」は危険でしょう。
    日本という国は法整備などにおいて事後的な対応をとるお国柄と聞きます。ならば今回のはまさにそれを迫られている風潮にあるのですから。

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    1. 「てんかん」が危険では無いのです。
      「そういった症状のあるてんかん」が危険なのです。
      もっと言えば「そういった症状があり、薬でコントロールできないてんかん」です。難治性てんかんですね。
      そういったてんかんをお持ちの方には、現時点で免許取得できないルールがあります。
      病名だけで判断せず、個人の症状で判断すべきでは無いでしょうか?

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  18. 私はてんかんです 三歳の頃に発病し今は34才になります 小学生の頃は週に一度位の高頻度で発作を起こしていましたが 中学に上がるくらいから徐々に減っていき 18の時を最後に16年間発作は起こしていません
    私も運転免許を持っています バイクも運転します 最近のてんかん患者への差別?区別?は当事者として大変心苦しいです
    しかし 厳罰化は今の流れでは仕方ないとも思います ただ資格停止 剥奪については反対です 度々話題になってますが 症状も重度 軽度様々です 全てをまとめて免許剥奪ではあまりにも乱暴かと…私は16で中型免許を取りました 当時はてんかん患者は免許を取る資格が無いため不正取得?になります 発作を起こす危険性は十分に理解していました 薬を飲み忘れなければまず発作は起きないので これには気を付けています 幸い事故は起きてませんが何時も もしかして…と思ってました 今でも薬は服用しています 五年程発作が起きなければ 薬の量を減らし最終的には無くして行くらしいのですが 仕事の都合上 経過観察の為の休暇も取れないので 少量ですが続けています 事故を起こす患者さんは自分の症状を甘く見ている所があると思います 大人になってから発症した方を知っていますが 非常にてんかんを舐めてかかっていました 患者同士でも自己管理
    の仕方は様々ですので 免許を取り上げるのではなく 患者 健常者共に理解と勉強が必要だと思います 患者には事故の危険性と自己管理の方法を 健常者には病気への理解を… 長文駄文すいません では失礼しました

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    1. >匿名Apr 22, 2012 08:05 PMさn
      最近の現象は「区別」ではないですね。ただし、「差別」というのともちょっと違うとは思っています。無知からくる偏見なので、もっともっと知識の普及に力を入れるべきだと考えています。
      子どもの頃のてんかんも10代20代と歳を重ねるごとに自然消失する人もいるんですよね。もちろん、その逆もあるでしょうけれど。
      生まれ持ってのもの、あるいは自分でなりたくてなったわけではないもの、そういうものを槍玉にあげるのって、凄く嫌いなんです。だから、俺はこんなことを書いているのだろうと思います。
      匿名でも、声を上げてくださる方がいらっしゃると嬉しいdす。

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  19. 初めて投稿させて頂きます。
    私は、28の主婦です。3年前にてんかんと診断されました。
    始めはてんかんと診断されても実感がわかず、薬をサボり大発作が起きた事もあります。
    しかし、今はきちんと服用し発作は、出ていません。

    私は、てんかんと診断され会社に診断書を提出をしたら、同時に仕事をクビになりました。
    上司は、面倒な事から逃れたかったのでしょう…当時結婚まじかだった為それを理由に辞めさせられました。

    その為今は、専業主婦をしています。家の中に入り浸りも出来ません。買い物や習い事には、どうしても車は必要になってきます。

    今、車が無くなってしまったら、何も楽しみがなくなってしまう…

    自分に合った薬を、服用すれば発作が出ない事を健常者の方に分かってもらいたい!
    自分に合った薬を探すにも、多少は時間がかかる事。
    また、てんかん患者には、もっと自覚をもって治療にあたって欲しいです。

    後は、てんかん患者が受け入れてくれる世の中になってくれるのを、願いたいです。

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    1. >匿名2012年6月13日 11:44さん
      どうしても車が必要な人はいますよね。特に俺の住むような田舎では公共交通機関なんてないに等しいですから。
      だからといって意識消失発作がバンバン起こる人も車を運転して良いわけじゃないのですが、少なくとも、発作を完全に抑えられている人までも「てんかん」と診断されているから免許はく奪、というのはあまりに暴論だと考えています。そういう暴論を並べる人がてんかんに関する知識が皆無だと、俺の中での反感はますます高まります。

      受け容れられる世の中、まだまだ先だと思いつつ、こういう草の根運動は大事だろうなと思っています。

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  20. こういう記事を見ていつも思うのですが、運転に適さないてんかん患者が
    事故を起こした、自動車免許へのてんかん患者のスクリーニングやアフターケアが
    適していないというときに、「軽度のてんかん患者もいる」というのは
    全く反論にならないです。

    ざっと考えても
    ・医師の診断書さえあれば免許取得可能という条件がゆる過ぎる。
    ・診断書を書いた医師への責任追及が無い(医師患者関係の悪化を恐れて甘い
     評価を下す可能性を否定しきれない)
    ・一度免許を取得してから再発した場合の取り決めがまるでなされていない。
    ・自己申告制であり、罰則も無いため守らない人間が出る。
    ・病院は免許取得後にけいれんが1度でも発生したら通報する義務を持つべき。
    ・100%服薬できる前提なのが意味不明。どんなにまじめな人間でも、0.01%でも
     服薬を忘れる可能性があるなら、その非服薬日への対処が必要。
    ・服薬日を含めて統計を取れば非てんかんと事故率は変わらないだろうが、
     服薬を忘れた日に限れば事故を起こす確率は何十倍にも跳ね上がるはず。
    ・服薬を忘れた場合には出勤不可能になる。つまりてんかんに関し理解ある
     会社以外への就職は不可能。隠して就職すれば、服薬を忘れた日に休めず、
     大事故を起こす。
    ・免許取得が困難なら、無理やり免許を認めるのではなく、免許が無くとも
     大丈夫なように社会保障をするべき。他にも免許取得困難な人間はいる。

    といった問題点があります。

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    1. >匿名2012年6月29日 19:03さん
      大切な話なので、他のコメントより先にお応えします。

      >・医師の診断書さえあれば免許取得可能という条件がゆる過ぎる。
      これを突き詰めて、てんかんに限らずさらにどういう条件があれば取得可能かを考えていきましょう。俺個人としてはIQ検査を義務づけても良いと思っています。今の免許保持者の1-2割くらいは排除できるかもしれません。

      >・診断書を書いた医師への責任追及が無い(医師患者関係の悪化を恐れて甘い評価を下す可能性を否定しきれない)
      医師患者関係の悪化は怖くないですよ、まったく。まぁそれは俺がそうなだけかもしれませんが、そんなことで悪化するような関係じゃないです。問題は、医師の責任追及を問題とした場合、ほとんどの医師がたとえどんなに軽症のてんかんでも「免許不可」にするかもしれないということです。

      >・一度免許を取得してから再発した場合の取り決めがまるでなされていない。
      ありますよ。免許の条件がそれです。

      >・自己申告制であり、罰則も無いため守らない人間が出る。
      >・病院は免許取得後にけいれんが1度でも発生したら通報する義務を持つべき。
      この二つは関連していると思いますが、医師に限らず医療者は守秘義務が課せられます。もちろん、届け出義務を法律で課してくれたら従います。ただし、そうなった場合に、「けいれんが起こったけれど病院には行かない」という人がどれくらい出るかは分かりません。

      >・100%服薬できる前提なのが意味不明。どんなにまじめな人間でも、0.01%でも服薬を忘れる可能性があるなら、その非服薬日への対処が必要。
      これを言い出したら、飲酒運転の逮捕歴がある人はもう免許取得不可、スピード違反も不可、とすべきでは? だって逮捕以降に100%守れる前提なんてないのだから。

      >・服薬日を含めて統計を取れば非てんかんと事故率は変わらないだろうが、服薬を忘れた日に限れば事故を起こす確率は何十倍にも跳ね上がるはず。
      こういう意見をもっている人には、ぜひてんかんの勉強を少しで良いからして欲しいと思う。てんかんの薬は血中濃度を確認する必要のあるものが多くて、一日飲み忘れたから一気に濃度が下がるというものでもない。だからといって、「昨日飲まなかったから今日も大丈夫、なんて思うな」ということは、口を酸っぱくして患者に伝えている。

      >・服薬を忘れた場合には出勤不可能になる。つまりてんかんに関し理解ある会社以外への就職は不可能。隠して就職すれば、服薬を忘れた日に休めず、大事故を起こす。
      どんな人でも、自分の病気に関して隠す権利はあると思います。もちろん、義務づけられている場合を除いて、ですが。服薬忘れて大事故以降は上記回答を参照ください。

      >・免許取得が困難なら、無理やり免許を認めるのではなく、免許が無くとも大丈夫なように社会保障をするべき。他にも免許取得困難な人間はいる。
      大賛成です。そして、これがまったくもって実現しそうにない日本ですね。

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  21. てんかん持ちの俺から言わせてもらえば、てんかん患者でもない奴に何が分かる?自分でも知らない時に急に意識が無くなるのを自分でどうしろと(笑)
    今までてんかん患者の事故はてんかん持ってる事を隠して免許どった奴ばっかりだろ。一緒にすんなよ。
    して、てんかん患者でもない奴がてんかん語るな

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    1. >ARA PONさん
      俺は、患者でなくても患者の病気や社会的待遇に関して語ることは大事だとは思っています。でも、あまりに不勉強な人たちが勝手な思い込みで言いたい放題なのは気に入りません。

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  22. 初めまして 自分は現在41才になるのですが3年前に服従発作を起こし てんかん と診断されました。運転代行の仕事をしているのですが明日主治医に診断書を書いてもらい免許センターにいくつもりです。
    免許がなくなる=仕事ができなくなる そこの問題点はちいさなものだと思うのです。
    自分の状況を主治医に証明してもらい公安委員会に判断をゆだねます いちはさんのブログを見て
    決心しました。
    てんかん発作の種類もいろいろありまだ自分も勉強中ですが あれ?これなんだ?と思っていたのが発作の一部だったようです 脳波検査何度もやっているのですがどうしても左半身の力がぬけないようで 脳波ではまだ不明なようです。
    薬は飲んでますが一生飲み続けないといけないようです。
    幼少のころから てんかん発作おこしてたみたいなのですが親は熱性痙攣だと思い病院にいかず市販薬で直ってたみたいです。
    てんかん患者さんで 車の運転されてる方々責任を考えてください

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  23. >nightさん
    脳波検査での異常はなかなか発見できないものなんですよね。逆に脳波異常があっても発作がない人だっているし。

    今こういう時勢なので、行政側は発作が起きていなくても免許交付には慎重になるかもしれないですね……。

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  24. はじめまして。
    私は小学校の頃に小児てんかんと診断され、服薬や脳検査、血液検査などを繰り返し、高校生の頃に完治しました。
    自動車免許を取るために診断書が必要なことを、教習所卒業直前に知りました。つい一週間前のことです。
    それまでは自分が何の病気のために薬を飲んでいたのか、しっかりと把握していませんでした。
    小さい頃から入院が多かったため、服薬が生活の一部になっていたことも理由だと思います。両親が気を遣っていてくれたのだと思います。
    全身が痙攣し、泡を吹き気を失ったことが小学生のときにあったにもかかわらず、病名すら知りませんでした。本当に恥ずかしく思います。
    小児てんかんと、成人の方のてんかんでは症状が多少違うかもしれませんが、てんかんについて調べているうちに、このまま免許を取って良いのか不安になってきました。
    現在の社会ではてんかん患者に対しての風当たりが非常に強いです。
    免許を取る際、過去に小児てんかんであったという記録は間違いなく残ると思います。
    もし私が事故を起こしてしまった時に(完治しているとはいえ)過去の病気のせいにされないか、他のてんかん患者の方に迷惑がかかるのではないかと考えてしまいます。
    かといって、病気を隠してまで免許を取りたくありません。
    現状を変えられないことが悔しいです。

    いろいろな意見が出ている中、駄文を長々と申し訳ありません。

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    1. >匿名2012年9月2日 17:46さん
      このエントリを書いて約5ヶ月。まだ半年も経っていないのに、あれほど過熱したてんかん患者攻撃も今やほとんど見かけない。パッと燃えて、パッと消える、これは国民性でしょうね。
      小児期からのてんかんは、成人してから完治するものが多い、というのは知識としては知っていましたが、完治した人は精神科には来ないので実感があまりありませんでした。
      完治しているのであれば、俺は隠さずに堂々と免許を取って良いと思います。もしかしたら、行政が免許発行に及び腰になっているかもしれませんが、それは行政が間違っているのであって、あなたが悪いわけではまったくありません。

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  25. 匿名で失礼します。
    こういう難しい問題を感情論にならないように運営されていることに、まず敬意を表します。
    私はてんかん患者ではないので、できるだけ客観的に思いを述べさせてもらいたいと思います。

    てんかん症状のある人を一律に制限した方が医師としても責任問題を問われることが無いし、実際にてんかん患者が症状を秘匿して事故を起こした時の被害者の意識にも合致した手段の一つであると認識されるのは否めません。

    しかし、一律に制限をするべきという考え方は単に危険因子を排除するという消極的な手段であり、根本的な解決には結びつかないと思います。その方法を取り続けると、先にも述べられているように、制限する症状が増殖していくだけで、最終的に「車」という移動手段を排除するべきということに行き着くはずです。

    車に限らず自転車から戦闘機まで、須く移動手段が発明され、人がその利便性を享受し始めた時から事故という危険因子が発生します。長い歴史の中で統計的に「比較的」に飛行機、鉄道などが安全な乗り物だとされているだけであって、どこにも「確実に安全である」という保証は無いはずです。極論すれば、「一律に危険因子を排除せよ!」と言っている人が舌の根も乾かぬうちに事故の加害者になる可能性があるということです。

    どれだけ安全注意義務を払っていたとしても、健常者でも事故を起こす確率がゼロになることは無く、完全に事故を無くす安全設備や装置を作ることも不可能です。
    では、「車の無い社会」が実現可能かと考えると、それも現実的な解決方法では無く、先述の通り、全ての移動手段が事故を起こしうる危険を有しているので議論に無理があります。

    少し危険な発言になりますが、原子力発電というものが重大な事故を起こしたにも関わらず、国民が「原発は危険だ、反対!」と騒いでも、国が「原発は40年間の運転制限を厳格に適用し、一部は廃止を前倒しして"原発ゼロ社会"をめざす」としか言わないのは何故なのでしょうか?

    http://www.nikkei.com/article/DGXDZO45836620X00C12A9EA1000/

    上記の記事によると「脱原発依存」から「原発ゼロ」へと大きく踏み込むとありますが、「目指す」ことと「無くす」ことでは全く意味合いが違います。

    かく言う我々も、エアコンで湿温度が調整された照明がある明るい室内で、冷蔵庫で冷やした飲み物を飲みながら、テレビで放映されている原発事故のニュースを見て、「原発をゼロにしろ!」とパソコンからインターネットに書き込んでも、なにか説得力を持ちにくいのでは無いでしょうか。

    火力に頼らない危険な原子力というものを見つけ出し、平和利用に限って原子力は安全だと言う神話を創り出しまで、原子力の利便性を享受した結果が、その危険因子が具現化するまで対応できる策を考えることを二の次にした責任は存在しないのでしょうか?
    それで事故が起きたら「一律に原発は危険だから、反対・排除」という論法は、その土台自体が緩いと思います。

    当方の意見は、「てんかん患者の運転免許の制限には慎重であるべき。」という考えに寄っています。なぜなら、私自身も肝機能に障害があり血液の検査を受けるとNH3値が基準範囲を若干上回っていることにより、産業医から職務上も私事上も車の運転を禁止されているからです。

    確かに肝性脳症は自覚症状がないこと、失見当識障害の危険性があることは熟知しておりますが、基準値を上回っていることだけを根拠に「いつ意識障害が起こるか分からないので車の運転を禁止する。」と診断されても納得の持って行きようがありません。

    実際、基準値を上回っている状態は2年近く続いておりますが、数値自体は横ばいで安定しています。肝機能障害を加療後は、復職に際して当初は14日に一度の血液検査、3ヶ月後からは28日に一度の血液検査を行い予後を観察することを産業医に就労の条件として義務づけられており、履行しております。

    個人的には、何のための、誰のための検査なのか?と感じつつも、逆に自分が医師の立場であったとしたら、万が一就労先で事故があった場合に雇用者から「産業医に瑕疵があった。」と言われないために仕方が無い行為なのかとも考えております。

    どちらにせよ、産業医からは加療以前と同内容のデスクワークは不可能であり、花壇に水をあげたり、造花に花びらを付ける程度の仕事しか出来ないと診断の度に言われている患者であります。

    もはや私の病名は、患者本人の症状とは乖離した所で議論がなされ、本人の意思を挟み込む余地すら与えられず、単なる雇用者と産業医の責任の押し付け合いが論点になっています。
    私と産業医の間には病気を治療するための信頼関係は全く存在せず、ただ無意味に血液検査結果の値だけがやり取りされるのみで、肝機能障害以外に肺炎を患っていた時も肺炎の症状は診てもらえませんでした。結局、連休を利用して別の病院に入院しましたが。
    もしも、これが本来あるべき医療行為の姿であるのならば非常に残念で仕方がありません。

    長々と駄文にお付き合いいただきありがとうございました。
    今後ともご活躍をお祈り申し上げます。

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    1. >匿名2012年10月17日 21:53さん
      コメントありがとうございます。
      俺の主張に冷静に同意してくださる方がいて安心しております。

      ところで、後半部分を読んで、やり場のない憤りのようなものがわきました。肝機能障害は確かにアンモニアが上昇しますが、意識レベルに異常をきたす可能性があるからというのを理由にデスクワークまで制限されるとは……。いったいどういう産業医なんでしょう……。基準値を若干上回るくらいの人なんてたくさんいますよ。まさにご指摘の通り、責任の押し付け合いです。

      以前、産業医からこういう手紙をもらい怒ったこともありました。
      http://psichiatra.blogspot.jp/2012/04/blog-post_4820.html

      匿名さんの産業医は、自ら制限を告げている分、まだマシなのかもしれませんが、それはあくまでも「マシ」に過ぎませんね。詳しい事情は分からないのですが、いただいたコメントを読む限り、俺には不当に感じられて仕方ありません。それは「医療の在り方」ではないと思います。

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  26. 病気隠しに罰則規定 クレーン事故受け提言 てんかん患者などの免許制度
    http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121025/dst12102512550003-n1.htm

    きっかけは祇園ではなく去年の鹿沼の事故ですけど、この件に関して進展があったようです。
    鹿沼から1年半、祇園から半年もかかりましたけどきちんと考えてくれている事は評価したいですね。

    もっとも虚偽申告に対する罰則がどこまで抑止として機能するか疑問です。
    その点は「医師が患者の情報を任意で都道府県の公安委員会に届ける仕組み」に期待したいところです。

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    1. >kotyiさん
      この問題は、「誰もが自分の病気に関して秘匿する権利を持つ」ということと、「自動車の運転をする者すべてに、最大限の注意安全義務がある」ということの並列で、運転は他者に損害を与える可能性のある行為なので秘匿の権利より安全のための義務のほうが重視される、ということで、この流れそのものは仕方ないことだと思います。
      あとは、病気の有無に関わらず自動車運転には危険がつきものだと個々人が認識しているか、病気のある人はどれくらい責任を持って運転できるか、病気そのものに対する偏見の解消など、周辺の問題が多いなぁと感じます。

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    2. >「誰もが自分の病気に関して秘匿する権利を持つ」ということと、「自動車の運転をする者すべてに、最大限の注意安全義務がある」ということ
      世の中善人(?)だけだったらこれらの両立も可能だったんでしょうけど・・・。
      こればかりは私も仕方の無いことだと思います。

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    3. >kotyiさん
      俺の中では、一律禁止は間違っている、というもので変わらないのですが、世の中には諸事情というものがあるのもまた確かなんですよね……。

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  27. サイトを作った後で実名を出します。2012年11月1日 19:55

    皆様、色々とてんかんに対する運転免許の話をなされているようです。
    では国際社会という事で世界中の自動車運転免許制度についてみていきましょう。
    調べればすぐにわかりますがてんかんに免許を一律禁止を行っているのはごく僅かです。
    これは単純に利便性だけの問題ではなく、本当に病気を知っている人が定めているからです。
    日本はその点では鎖国のように国際社会から遅れていると言わざるを得ません。
    日本国は地方においても公共交通手段が整備されており自動車を必要とする事がないのなら不要論も誰しも納得できます。国際運転免許制度を使えば理論上は取得できるわけですよね。自動車大国日本においてローカルルールを押し通すのには無理があると思いますが。
    てんかんの一番恐ろしいところは治療費の1割だけで全く補助がない事です。
    これは交通事故よりも恐ろしい事だと思いませんか。全患者の公的保護を可能にできる財源はどこにもありません。支援策一つない。
    本当に危険なのは日本の生産力が落ちる事です。なぜなら患者に限って健常者以上に真面目で勤勉に働いているんです。収入(国力)の低下を促進し、支出(生活保護など)の増大を可能にできるほど日本は裕福なのでしょうか。消費税で賄うなら「てんかん税」として10%は必要な時代が来るでしょう。廃止論者はそれを望んでいるのでしょう。実際に10%で収まると断言できませんが。
    管理人様、ご苦労様です。

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    1. >サイトを作った後で実名を出します。さん
      世界の情報は初めて知りました。ありがとうございます。
      最近みていて怖いのは、一つのことにワッと盛り上がる時には知識の有無に関わらず、断片的な情報のみで「正しいと信じる意見」を一方的に叫ぶ人の多いことです。視野狭窄に陥って、支援策など思いもつかない。とりあえず禁止すれば良いじゃないか、と目先のことしか考えない。その後の混乱、補助のことなんか眼中にない。
      そういう人たちが増えているのか、それともネットの普及で表に出るようになっただけなのか。
      なんだか息詰まる世の中です。

      削除
    2. >てんかんの一番恐ろしいところは治療費の1割だけで全く補助がない事です。


      患者本人の負担額が「上限1割」なのでは?
      http://www.jea-net.jp/tenkan/seido.html

      >日本国は地方においても公共交通手段が整備されており自動車を必要とする事がないのなら不要論も誰しも納得できます。
      今回の祇園の事故をきっかけとした議論でよく討論さてていた点ですよね。
      自称てんかん患者という方でやたらと「運転免許の必要性」を説く方がいたので気になっていた点です。

      私は日本で暮らす上では「運転免許は必要でない」というのが結論ですけど。

      削除
    3. >kotyiさん
      >日本で暮らす上では「運転免許は必要でない」

      これに関しては、賛成できません。というのも、今現在まさに自分が離島という僻地にいるからです。また出身地も中学校の全校生徒70人という僻地でしたので、車がないといかに不便かということが身にしみているからです。

      この島では、病院に来るのに違法タクシーを雇って往復1万円かかっている人がいます。正規のタクシーなら倍くらいするようです。またバスも発達していませんし、高齢者が長時間乗るのには過酷な気もします。往診や衛星診療所が機能するほど医師は足りておらず……。

      残念ながら、車なし社会は僻地住民には厳しいです。

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    4. >残念ながら、車なし社会は僻地住民には厳しいです。
      確かに日本にはそういう土地もあります。

      では何故そのような交通の便の悪い土地に暮らすのですか?

      という第二の疑問が浮かびます。
      というのも少し酷な言い方にはなりますけど、「運転免許必要論」って運転免許不正取得のいい口実にされているんです。

      自動車の必要な生活も、安全運転が出来るのであれば何の問題もないでしょうけど、
      「運転が出来ない状態」になった場合は、真剣に身の振り方を考える必要があります。

      本当に車が無いと生活できないか?
      自分自身が運転を行う必要があるか?

      当然、個人の努力や工夫でどうしようもない場合は行政の補助が必須ですし、
      それが「現状明らかに不足している」というのでしたら拡充していく必要があります。

      私自身、車両の運転は出来れば二度としたくないので、
      公共交通機関の拡充を進めていってもらいたいですけど。
      ただ過疎地ではそう簡単にはいかないのが実情なんですよね。

      削除
    5. >kotyiさん
      まず「へき地住民の全てが地元民といわけではない」ということを御理解下さい。そこに人が住む限り、小中高校、役所、病院、警察、郵便、電気、銀行など、様々な職業の人たちがへき地「外」からへき地「内」へ、望む望まないとに関わらず転勤してきます。そして、俺も含めて、そういう人たちには車がないと、とてもではないけれど生活できません。

      では地元民はどうか、と考えると、そう簡単に引越しができるのかどうか……。例えば東日本大震災の後でも、引越ししたくないという人は結構多いように見えます。いざとなると、人というのはそう簡単に生地を離れられないものなんだろうと思います。それから、例えばこの島で言えば、交通の便が悪いところが漁場だったりもするんですよね。だから、交通の便は悪いけれど仕事には都合がよくて、ただ出荷するにしても買い物にしても車は必須、というような。

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    6. >まず「へき地住民の全てが地元民といわけではない」ということを御理解下さい。
      理解してます。
      理解したうえで「日本で暮らす上では「運転免許は必要でない」」という結論です。

      結局、運転免許が無いと出来ない生活や仕事っていうのは、運転免許のある人間にしか出来ないわけで、
      運転免許がない、あるいは取得できない人は、免許がなくても出来る生活環境で暮らして、免許がなくても出来る仕事に就くしかないんです。

      この不景気な世の中、後者の生活スタイルを確立するのが難しい場合があることも承知してますけどね。

      ただ「生活に困る」という理由で免許の不正取得が許されていいはずはありません。

      削除
    7. >kotyiさん
      >結局、運転免許が無いと出来ない生活や仕事っていうのは、運転免許のある人間にしか出来ないわけで、運転免許がない、あるいは取得できない人は、免許がなくても出来る生活環境で暮らして、免許がなくても出来る仕事に就くしかないんです。

      これには同意します。また、

      >ただ「生活に困る」という理由で免許の不正取得が許されていいはずはありません。

      これにも大いに同意します。ただ、「日本で暮らす上で車の免許は不要だ」という論にだけは賛成できないのです。不正取得が許されないのは当然ですが、免許が必要な土地で、不正なく免許を取得できるのも当然だし、車が不必要な社会でないこともまた確かなのです。

      削除
    8. >ただ、「日本で暮らす上で車の免許は不要だ」という論にだけは賛成できないのです。
      だから運転免許が必要だという人だけが、運転免許を取得すれば良いだけの話です。
      日本人すべてが離島や僻地に暮らしているわけではないので。
      同様に日本人すべてが運転免許が必要な生活をしているわけではありません。

      運転免許に対する価値観っていうのは人それぞれですけどね。

      削除
    9. >kotyiさん
      必要、というのをどのレベルで認めるか、という問題ですね。東京その他の都市部、歳まで行かなくとも県庁所在地くらいならギリギリ車は必要ないと思いますし、むしろないほうが生活にゆとりが出ることもあるだろうと思います。でも、そうじゃない地域の方が圧倒的に広いんですよね。

      削除
  28. いちはさん、はじめまして。
    小児神経専門医、てんかん専門医のさむと申します。
    「子どものてんかんのブログ」を運営しております。
    いつもブログとTwitterを拝読させていただいております。
    てんかん患者さんの運転免許につきましては、
    「てんかん」があるが「てんかん発作」のない患者さんと、
    「てんかん」があり「てんかん発作」もある患者さんに、
    完全に区分して議論しなければ、
    なかなか議論が成り立たないように考えますが、
    現状ではそれが混在していることが、
    混乱に拍車をかけているように感じます。
    私もブログで取り上げておりますが、
    よろしければご一読とご意見を賜れれば幸いに存じます。
    どうぞよろしくお願い申し上げます。
    http://kodomonotenkan.cocolog-nifty.com/blog/cat23383198/index.html

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    1. >さむさん
      まさに仰る通りです。ところが、世間は「てんかん=発作」と思い込んでいる人が多すぎますね。いくら「8割は発作がない」と説明しても、「残りの2割が怖いんだ、だから8割も免許禁止だ」と本人たちが論理的だと思っている理論で攻められますから手に負えません。
      どうやって彼らに耳を傾けさせるか、結局はそこに尽きるのかもしれません。そしてそれは、俺のような若干攻撃的な文章・ブログでは成しえないのかも……、と思っているところです。

      削除
  29. >いちはさん
    さっそくのご意見をありがとうございます。
    私もブログを通じて考えてまいりたいと存じます。
    今後ともよろしくお願い申し上げます。

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    返信
    1. >さむさん
      こちらこそ宜しくお願いします。情報発信、していきましょうね。

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  30. 私はてんかん患者であり、家庭の事情によりそれは伏せられている。
    冗談と思える話かもしれないが、両親が伏せようとするのは一応医者家系というのが関係するのだろう。(まぁ、一人っ子である私は次ぐ気がない。故に診療所は潰れる。)

    ついでに、アスペルガーらしきモノも併発してたりする。
    昔からコミュニケーションはとりづらい傾向にある。
    しかし、勉学においては神童と呼ばれてたこともあった。
    (今では見る影もないが)
    重度のものではなく、高機能自閉症かアスペルガーと言われたら、
    アスペルガーの方が近いんじゃないのかという程度。

    あくまで、アスペルガーや自閉症等の患者は一般人と線引きするのはほぼ不可能で、
    どちらの方が色濃く出てるかという考えのもとに。
    さらに、発達障害をかかえてるとてんかん等と併発しやすいという確率より。

    (ついでに、運転免許は去年くらいに取得したぜ。[現在19歳])
    以上より案外私は犯罪者に近い立場と言えるのかもしれない。
    (さらに、ロリコン、もといペドフィリアだからさらに大変だ。)
    (あと、ここ最近自分を洗脳する[自己暗示でいいと思う]実験を行い、
    記憶操作等をしたことがある。
    その実験の中に、人に対する憎しみと空腹のオペラント条件づけを行ってみた。
    結果、人を憎むと空腹になり、空腹になると人を足や腕からから丸かじりしたくなる。
    一言で言うと人食感情だ。さらに犯罪者に近づいた。
    [似てるんだよね、空腹と憎しみという感情は。よくわからないけどそんな気がした。])
    昔はチックや精神崩壊を味わったことはある。
    しかし、上記のペドと人食という後遺症を残して治った。

    もっとも、私自身、警察にも刑務所にもお世話になりたくないと考えている。
    故に、車は持っているが、両親に強制的に運転させられるまで運転なんてしない。
    (いや、特急の止まる駅が近くにあるからさして使う必要がなかったりするんだよね。
    しかし、それでも車は必要だ。)
    また、幼女に手を出すのは必至で抑えている。
    (笑い事ではなく結構辛いんだぜ、これ。
    今の日本の二次元文化が無ければとっくに犯罪者になってたよ。)
    さらに、人と会うときはなるべく満腹で。
    (でも、一度は食べてみたい。)

    [でもさ、昔からそうだけど、独裁主義でない限り法律とかって一般的な人、【村人A】によって決まるよね。もちろん、それが自然であり、私の本性を出したような人間は、排除されるべきなのだろう。(私は本性は出していないから大丈夫なはず。)悪意があったかどうかは問わず。常識と法律は常にそれに振り回される。
    でも、逆にこう考えるわけよ。【周りの人すべてをアスペルガーやてんかんにしてしまえばこちらが村人Aだって。】とりあえず、私は幼い頃、自我の芽生えの時には、てんかんを患っていた記憶がある。さらに、真性のてんかんであるが故に、【脳を治すより、脳に異常を来たすほうが楽だと思う。】
    ついでに、精神異常の苦しみをみんなに理解させたいという感情の方が大きい。
    (やばい、さっき晩飯食ったのにお腹減ってきた。)
    だから、一般人がギャアギャア喚き散らしているのを見てると、すんごくお腹が減ってくるからさ、幼女でない限り、てんかんを患うなり胃に収まるなりしたほうがいいよ。(もちろん冗談だけど。)てんかんについていろんな所見て回ってると好き勝手なことばかり発言している村人Aが多いからホント困っちゃうぜ。]

    もし、国がてんかん患者に対して何か負担するなら、譲歩して
    【てんかんの患者にはタクシーや電車賃、治療費等を数割引にして国が負担する、】
    [4割引ほど]
    といったところでしょうか。
    もしそうならなければ、私が3大欲求の一つの食欲に負けるのだろうな。
    普通である周りの人間を嫉妬し、憎んで。
    私が強力な飢餓感に襲われる前に国が動けばいいのですが。
    (でもまぁ、やっぱり私は警察とかにお世話になりたくないな。)

    以上、てんかんと、その他もろもろ患っている人からでした。
    ※()や[]は本音等。

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    1. 間違えた。
      真性てんかんではなく特発性てんかんだと思う。
      よくわからんが。

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    2. >Fタカマサさん
      非常に興味深く読みました。まずは自己暗示を解きましょう。犯罪者になってしまったら、バカバカしいですよ。

      国が交通機関費用の援助をするのは当然だと俺は思っています。世の中には、そう思わない人が多数いることが残念ですが。

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  31. てんかん患者ですが私はまだ危ないので免許は取れませんがてんかんの中には完治して
    もう薬の飲んでない人!また薬で発作が出ない人もいます!
    てんかん患者だから事故を起こす確率は非常に少ないのです例えば心臓の病気でも
    意識がなくなり事故起こしたバス運転手もあれから何人かいたことご存じでしようか~
    病気がある人全て免許禁止!にしろなら分かりますがあなたはてんかん発作が何故起こるか
    から勉強した方が良いですよバカバカしい・・・事故起こした中で一番少ないのですよ!
    てんかん患者だけが何故そこまで言われなければいけないのか非常に人権侵害、人種差別
    しないでください。 又これから病気隠しての運転免許取れば罪になるように変わりました。
    意識失う病気全部ご存じでしようか?

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    1. >匿名2013年7月17日 10:15さん
      多分、このブログ記事そのものではなく、コメントしている人のうちの誰かに対しての意見だと思いますが、まったくもってその通りだと思います。

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    2. 私はてんかん以外にも病気があり今一応、自宅から通院することで
      久しぶりパソコン見たらこの記事が目に入り非常に腹立たしい方も
      何人かおられつい投稿しましたが大変失礼致しました。


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    3. >匿名2013年7月18日 16:51さん
      俺も、どうして知識がないのに、少しでも知識ある人の言葉に聞く耳を持たない人がこんなにも多いのか、暗澹たる気持ちになってしまっているところです。ふっとあきらめたくなる時もありますが、こういうのは逃げちゃダメだなと自己叱咤しています。

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  32. 心臓病でてんかんもある。
    買い物に車の運転はかかせない。
    心臓病もてんかんも薬で保たせている。通院も車を使用するのが日課になっている。
    それでも、皆さんはてんかんの人は免許禁止と言うのですか?
    家から近くのバス停までは歩いて15分それで、体力消耗します。
    出来る限り車を使用するのを控えています。

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    1. >匿名2013年10月27日 10:19さん
      薬を飲みながら発作を抑えて、そしてその薬をもらうために車が必要だという患者さん、たくさんいますよね。一律に禁止しろと言っている人たち、自分がてんかんになる可能性も含めて、なーんにも知らないか、知っていても想像力が欠けているんです。
      気にするなと言っても難しいと思いますが、乱されず、淡々と生きることです。

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  33. いや、ふつうの人より少しでも事故になっちゃう可能性が多いのは否定できないでしょ。
    てんかんが槍玉にあがりやすいというだけで、突然車の制御ができない状態になる病気が
    ある人は、個人的にはすべて運転禁止にしてほしいと強く思う。
    そのぶん国からいくらか交通やら生活面で補助的なものは出してあげないとよくないとも思うけども。
    もう誰も書き込んでないけど気になったので。

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    1. >匿名2016年12月15日 8:51さん
      「ふつうの人より少しでも事故になっちゃう可能性が多い」人は運転させないようにするべき、という考えは確かに理にかなっていると思います。
      だから、交通事故のデータで明らかになっているように若年者から免許を取り上げる(保険会社はデータにシビアなので、若い人は保険料も高いですよね^_^;)というのも一案だと思っています。もちろん高齢者も。
      車は凶器になりうる以上、運転は統計的に最も安全とされる層だけに限られるべし、というのもアリです。
      ただ、「ふつうの人」の基準をどこにするかが常に付きまとう問題にはなってきますが。

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