キリストの受難を描いた映画『パッション』を観ての雑感を、前回はイスカリオテのユダを中心に書いたが、今回は枝葉部分。
キリスト教圏では有名な『さまよえるユダヤ人』という伝説がある。芥川龍之介も『さまよえる猶太人』という小説(?)を書いている。どういった伝説か、大ざっぱに書く。
死刑の判決を受けたイエスが、ゴルゴダの丘へ十字架を背負って歩き、その姿を群衆が野次馬根性で眺め、ある人は罵倒し、ある人は嘲笑っていた。そんな中に、道端に家のあるユダヤ人がいた。疲労困憊したイエスが、このユダヤ人の家の軒下で足を止めた時、彼はイエスに、
「早く行けよ」
そういう風なことを言った。イエスは、ユダヤ人の目をじっと見つめ、
「あなたが行けと言うなら行くが、私が帰ってくるまで待っていなさい」
そう呟いた。このユダヤ人は、イエスに見つめられて自らの罪を悟ったらしく、ひざまずき、イエスの足に口づけをしようとしたが、イエスはそのまま歩き去ってしまった。周囲にいた人たちは、このユダヤ人の行為もイエスをからかってのことだと勘違いして、イエスを嘲り笑うことをやめようとしなかった。彼は懺悔の念で、妻が立ち上がらせようとしてもなかなか立てなかった。そして、このユダヤ人は、イエスの帰りを待って、今も死ぬことなく世界をさまよっているという。
ちなみに、ここで言う「イエスの帰り」とは、磔けの後の復活ではなく、最後の審判のことらしい。芥川の小説は著作権切れで、ネット上にも全文があるので興味のある人は探すと良い。さすがに、『パッション』にそのシーンは出てこなかった。
余談ではあるが、イエスは十字架にかけられ、死んだかどうかを確かめるため最後に脇腹を槍で刺される。この時に槍で刺した兵の名前がロンギヌス。この名は、エヴァンゲリオン好きなら、知らない人はいないであろう。彼が使った槍が、ロンギヌスの槍である。イエスの体からこぼれた血液がロンギヌスの目に入り、それによってロンギヌスは白内障が治り、彼は改心し、後に洗礼を受けることになる。映画『パッション』では、血液が顔にかかるシーンはあったが、それで白内障が治るといった描写はなかった。
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