2012年4月3日

寝たきり婆あ猛語録

寝たきり婆あ猛語録

日本の在宅介護の大変さは分かる。作者の言いたいことも充分に伝わる。しかし、である。ここまで知識も考察力も文章力もある人でも、事態が自分たちのことになると、アレレな患者家族となり、社会背景を無視して病院を悪しざまに言ってしまうところが不思議だ。例えば、こんな話があった。在宅介護されているのは骨粗鬆症で腰椎の圧迫骨折を患った母。4、5日様子を見たが、寝返りも打てなくなって病院に電話して受診後に入院。
整形外科の医者が明日くるまでは詳しいことは分かりません、と宿直の医師がレントゲンを見ながら言う。
これ、翌日の受診じゃダメだったのか? 確かに、母の腰が痛いのは分かる。しかし、なぜ宿直の時間帯に受診する? 我慢して一日待てとは言わない。一日早く昼間に受診しておけば良いのだ。こういうことをしておいて、
(退院後)座薬が全然効かなくなった。となれば入院して痛みどめの注射を打ってもらうしかないが、もう入院はこりごりだと言う。骨粗鬆症は病気だと思ってないのか、治療ができないため儲からないからか、医者は実に冷淡な扱いをするのも事実である。
とまぁ、こんなことを書く。病院は治療をするところである。治療することがないのに入院をさせたら、それは医療ではなく福祉であり介護である。そうやって治療のゴールがないままに福祉・介護的な入院(社会的入院)が増えていった結果、本当に治療が必要な人たちに対して病院側が「ベッドが一杯です」と頭を下げるか、社会的入院の患者や家族に対して「申し訳ないですが、退院を……」と切りださないといけなくなる。そもそも、入院はこりごりだと言っているのは母親なのだ。「医者は実に冷淡」という話とは全く別問題である。作者は介護の辛さや不平を病院や医師への不満にすり替えている。

作者の思い込み、一人突っ走った記述は医療関係以外にもある。
母も私も結婚して子を産んだけれど、一人前になれたとはとても思えない。それは一人前になる努力を怠ったからではなく、母が腰が抜けるほど働いても、私が真面目に会社勤めをしても、社会が一人前として認めてくれなかったからだ。現在も公務員以外は女は男の賃金の六割、パートタイマーだと四分の一で、女は半人前かそれ以下なのである。
言いたいことは分かるが、下線部は言い過ぎだ。1996年出版当時、公務員以外の仕事が全部「女は男の賃金の6割」なんてことなかろう。「パートだと四分の一」に関しては、フルタイムで働く方が賃金が高いのは当然だし。作者の女性としての個人的恨みから大げさな表現になっているとしか思えない。

作者は実の母から虐待を受けていたようだ。そして作者自身が気づいているかどうか分からないが、現在の母にまつわる文章から、作者と母との間に共依存関係ができていることが分かる。

女性が中心となって支えることが暗黙の了解となっている日本の介護問題に光を当てたという点で、作者の功績は大きいと思うが、医療に関しても同じように勉強したうえで書いて欲しい。

最後に、面白かった部分を抜粋。
「こんな精進料理じゃ肉ばなれしちゃう。あたしゃ血の滴るようなステーキが食べたいね」友人の母上がつれあいの葬儀の席で叫んだという。母上はこのとき九十歳。これを受けた嫁さんのセリフも凄い。「あら、すみませんね。お義母様のときはそういたしますから」
本書をお勧めするなら、現在、在宅介護に疲れている人たちを対象にする。「あるある~、こんな不満ある~!!」そう思ったり言ったりしながら読んでストレス発散。

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