2012年7月1日

見える人

幼い頃から、聡い子だと言われていた。四歳で近所のパン屋から金の計算を任され、お礼に一日一個の飴玉をもらった。六歳にしてすでに聖書を暗記し、近所の老人たちに頼まれては諳んじた。周囲の大人たちからは神童だ才子だと褒められていた。ところが、七歳を過ぎたあたりから、大人たちの態度に変化を感じるようになった。だんだんと、眼の奥に怯えのようなものが混じり始めたのだ。パン屋の仕事はやんわりと断られた。老人たちは私と目を合わせようとしなくなった。ついには私だけでなく、私の家族まで、徐々に周囲から避けられるようになった。

あの日の話をしよう。私は九歳になったばかりだった。あの日あの時、あの場所で、私にはすべてが見えていた。それなのに、「見える」と言わなかったのは、周囲の空気を察したからだ。見えてはいけない。そう感じた。いや、むしろ、「見えない」と公言したほうが良いとさえ思った。誰のためでもない。自分のために。だから私は、叫んだ。精一杯に、子どもらしい無邪気さを装って。

「王様は、はだかだ!!」

一瞬の沈黙、そして周囲の大人たちのホッとした顔。
「自分たちが王様に言えなかったことを、正直な子どもが指摘してくれた」
そんな安堵?
いいや。
ちがう。
そうじゃない。
「この子にも見えなかった」
そのことが、大人たちを安心させたのだ。これまで馬鹿な大人たちは、幼い私を頭が良いと褒めあげ、天才だと囃し立てた。それからだんだんと私を畏れるようになり、ついには不気味だと疎んじるまでになった。ところが、そんな私にも王様の服は見えないというではないか。大人たちは、私を囲んで談笑した。
この子も普通の子どもなのだ。
ちょっと賢こいだけだったのよ。
ただ勉強ができる、それだけのことじゃないか。
薄っぺらな阿保面で、嬉しそうに大人たちは話していた。そんな大人たちの向こうに見える王様は、怒りで体を震わせていた。見たこともない神秘的な、金色の光りを放つ服に身を包んで。

その日の夜は満月だった。二人の布織職人が生きて見た最後の満月。翌日、二人は広場で処刑された。弟子と称していた男は跪かされ、深いため息をつく途中、あっさりと首をはねられた。痙攣する体から吹き出す血を見て、大人たちは興奮気味に声をあげた。師匠と呼ばれていた男は裸にされ、二頭の馬で左右に引き裂かれた。破れた内臓から漏れ出た糞尿の臭いに、大人たちは顔をしかめ笑った。私は、そんな低能な大人たちを冷やかに眺めていた。

あの日、私は、王様の着た美しい服が見えていたのに、見えないふりをした。そのおかげで、私も、私の家族も、街の一員に戻れた。私は小遣い程度の賃金をもらって、より難しい会計を頼まれるようになった。老人たちからは、また聖書を諳んじてくれと頼まれるようになった。私は安い賃金に子どもらしくはしゃいで見せた。喜んだふりをして聖書を語って聞かせた。ふと目をあげると、パン屋の窓の向こうには、自らの首を抱えた男が立っていた。聖書を聞く老人に混ざって、体の裂けた男が内臓を垂らして座っていた。私は、彼らの姿など見えない素振りで生活し、今や七十歳をこえた。

ほら、今こうして語っている間も、二人はそこで、私をただ無表情に見つめているのだ。どうだ、お前にも見えるか? きっと見えないだろう。そう、彼らは知っているのだ。
私にだけ見える、ということを。
私にしか見えない、ということを。
恐怖?
彼らの亡霊につきまとわれて生きることなど、さして怖くはない。ここで話したとおり、私は見えないふりが得意なのだし、なにより亡霊たちは見えるだけで無害なのだから。そんなことよりも、この街の愚か者たちに囲まれて生き続けなければならないことが、苦しいのだよ、虚しいのだよ。心の中で身悶えしながら生きてきた。彼らの愚かさなど見ないふりをして、安い愛想笑いを浮かべて暮らしてきた。
毎日が苦しい。
生活が虚しい。
こんな私をただただ見続けること。
それが、彼ら二人の復讐なのだろうか。

3 件のコメント:

  1. >半可通素人さん
    ありがとうございます!
    こちらもフォロー&リンクを張らせてもらいました!
    パスティーシュというと、かつてハマって読んだ清水義範を思い出します。やっぱり影響はかなり受けているのだろうと思います。

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  2. ありがとうございます。
    パスティーシュについて調べると清水義範の名前がよく出てくるので、著作を読んでみようと思います。
    他記事も拝読しておりますが、お子様かわいいですね。写真から愛情が伝わってくるようで、見ているこちらも満たされるような気持になります。

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  3. >半可通素人さん
    清水義範の本は、人を選ぶようなところがあるかもしれません、特にパスティーシュに関しては。それ以外でもけっこう良い小説を書いていて、それにも大きく影響を受けていると思います。

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