2018年3月2日

病める人の健康な部分に目を向けるために

精神科関連の本を読んでいると、
「患者の病んだ部分ばかりではなく、健康な部分にも目を向けよう」
といった記述をよく見かける。さて、これはどういうことだろう。

まず、身体を例にとってみよう。身体の不調から食事がまったく取れなくなって入院した患者が、徐々に回復する。すると、その患者について、
「○○さんは好き嫌いが多い」
という少々批判めいた意見が出ることがある。もともとは食事がとれずに入院した患者なので、食べものの好き嫌いを言えることは大いに前進なのだが。

さて、肝心の精神科について。興奮状態で家族の手に負えず、医師も看護師も関係なく攻撃的な患者がいるとする。入院は保護室からスタートで、落ち着きを取り戻して閉鎖病棟へ移り、しばらく経過する。精神科医が患者と話すと、かなり状態が良いように感じられる。そこで、スタッフに対して、
「だいぶ良い感じですね」
と言うと、猛反対を食うことがある。
「あの人、先生の前では“イイ顔”をするから」
そして「ずるい」とか「いやらしい」とか、そう評価を下してしまう。しかし、身体の例と同じで、この患者についても、「医師と看護師の区別さえつかなかった状態」から、「医師の前では取り繕い、看護師にはワガママな部分を見せる」、そんな裏表を持てるくらいに回復しているということなのだ。

入院したときは無表情で涙さえ流さなかったうつ病患者が、しばらくして一日中泣いて暮らすようになれば、それは感情を表出できるようになってきたという回復の証であるし、アルコール依存症の患者が入院して性欲を前面に出すようになれば、それは酒によって低下していた男性機能の回復だろう。

「健康な部分に目を向ける」とはよく言われることだが、目を凝らして健康部分を探すとなると案外に難しいものだ。もっとシンプルに「変化したことは、すべて良いもの」という極端な前提で考え、解釈し直すと「健康な部分」が見つかりやすいかもしれない。

1 件のコメント:

  1. コメント失礼します。
    なるほど。点だけで物事を見るのか?点と点を線で視るのか?
    全体でみてどうなのか?その点と点の差異は何なのか?
    その時系列の前後であるとか、みる箇所は多そうですね。
    小さな変化に気がつくというのも、普段からその人を見ていないと気がつけないでしょうし、
    病気や障害に目を向けながらも人をみる。

    小さな変化を見つけたときに「悪」とジャッジするのか?好転とみるか。
    その後のアプローチも違ってきますね。

    いちはさんはそのような小さな変化を見つけたときに、
    何かアプローチしますか?もしくは何もしない。観察し続けるのか?
    私はとても興味があります。

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