2013年7月11日

じゃ、死ねば?

「じゃ、死ねば」
そう言われた時の衝撃は、15年以上経った今でも忘れない。
忘れきれない。

「俺、自分のこと好きになれないんだよね」
そんなことを言うのがカッコいいと思っていた19歳。大学には行かず、バイトもせず、仕送りだけでダラダラと生きる。中途半端な知識と、過剰な自意識と、溢れ返る性欲で、平日はあっという間に過ぎるのに、土日だけは時間を持て余していた、あの頃。

大学に行かず引きこもっていた俺にとって、友人たちと飲むことだけが俺が持つ社会との唯一の接点だった。「社会」とはいえ、全員が学生。狭い、狭い社会だ。そんな中に、彼がいた。

俺は、同級生の中でも、ぴか一に出席率が低かった。よく言うたとえ話だが、俺は4年間でルーズリーフ1枚も埋めていない。いや、シャープペンの芯を1本使い切ってさえいないのだ。4年間で300日、大学へ行っただろうか。それくらい、俺は大学へ行く気がなかった。不真面目さが理由ではない。むしろ、すり減るほどに真面目だった。だからこそ、大学なんてバカバカしいと思い、その想いを行動に移していた。

彼は、本質的には俺と同じだった。いや、俺から見ると、そう思えた。それは、俺の勘違いだったのだけれど。共通点は、大学には気が向いた時にしか行かない、実はそれだけしかなかった。彼は自分の目的のためにバイトをしていたし、俺なんかより、ずっと女性とうまくやれていた。

そして、彼と俺は、大学二年生から卒業までをルームシェアするほど、気の合う親友でもあった。

ルームシェアを始める数ヶ月前。大学一年生の頃だ。そんな彼と二人で飲んでいた。場所は、彼のおんぼろな部屋だった。俺は、斜に構えて、ウィスキーのコーラ割りを飲みながら、カッコつけて言った。
「俺、自分のこと好きになれないんだよね」
そういう言葉をたれることが、カッコ良いと、そう思っていた。自己弁護じみてしまうが、そんな風なことを考えたり言ったりするのは、俺だけではなく、多くの人が経験するのではないだろうか。どうなんだろう。

さて、俺のそういう何気ない一言に対して、彼のサラリとした言葉。
「じゃ、死ねば?」
俺は言葉を失った。置時計の秒針のカチカチという音がしっかり聞こえるほど、二人きりのその場は静かだった。俺には、返す言葉がなかった。彼は、笑いながら、いや、怒っていたのかもしれない、続けて、こう言ったのだった。

「でも、お前が死んだら、俺は大泣きするよ」

数秒、俺は黙ったと思う。俺はじわりと出てきた鼻水をすすって、コークハイを飲んで、それから、
「死ぬか、バーカ」
そう言って彼と笑いあった。

お互いに、もうすぐ二十歳になる春の夜だった。




自分のことが嫌いなんて、思うものではない。
まして、声に出して言うものでは決してない。
それは、目の前にいる親しい人に対して、すごく失礼なことなのだ。




上記は、半分はフィクションだ。俺の大学生活が自堕落だったのは事実だし、実際に3年間ルームシェアした友人はいた。実はその彼こそが、
「俺は自分のことが嫌いだ」
と言っていたのだ。そんな彼とは、たまにはちょっとしたケンカもしながら3年間を過ごした。そして卒業間際に彼が、
「お前といて、俺は自分のことが好きだと思えるようになったよ」
と言ったことは、嘘のような本当の話。怠惰に生きながらも自分を愛し続ける俺を見ているうちに、彼の中の何かが変わったのだと思いたい。

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