2014年6月8日

修学旅行生、被爆者に「死に損ない」 体罰禁止はやはりおかしい

修学旅行生、被爆者に「死に損ない」 大切なことを伝えきれない大人たちの続きである。

体罰禁止の人たちといろいろなやり取りをして、感じたことは3つ。

1.しょせんは他人事。
2.具体策がないか、あっても説得力に乏しい。
3.体罰禁止で育った子どもたちは、自他ともに危ない。

それぞれについて、なるべく手短に書いていきたい。

1.しょせんは他人事。
長崎には被爆者、被爆2世、3世が多い。妻の亡祖父も被爆者である。そういう立場からすると、この生徒らの暴言は自分の家族に吐かれたに等しい。恐らく、長崎、広島出身の人たちの多くが似たような気持ちを持つのではないだろうか。ところが、長崎に縁もゆかりもない人からしてみたら、このニュースは、70年も前に日本の端っこに落とされた原爆の生存者に向けられた暴言についてである。いまいちピンとこないのも当然だ。

これをもっと最近の出来事に置き換えてみる。例えば東日本大震災の被災地を修学旅行で巡り、慰霊碑で生存者から話を聞く場面を想像して欲しい。そこで中学生が生存者を「死に損ない」などと罵倒し笑ったなら、どう感じどう行動するだろう。阪神大震災、サリン事件、米国同時多発テロ、そういった事件・震災の生存者に対してならどうだろう。あるいはもっと身近で事例が多い「親が自殺した人」「火事や事故で生き残った人」に対して、生徒が「死に損ない」と笑っていたら? 記事によると、問題となっている中学生5人は、
周りの生徒に向けて「笑え」「手をたたけ」などとはやし立てた。男性教諭も注意したが暴言は続き
これでも、ひたすら口頭注意し続けることが正しい教育なのだろうか? 俺にはそうは思えない。それでも体罰は絶対にダメだと主張して、
「暴言を吐いた生徒の心に寄り添って指導する」
と言う人もいたが、暴言の被害者に対してそこまで「他人事」でいられるというのに、加害者の心に寄り添えるわけがないではないかと思ってしまう。


2.具体策がないか、あっても説得力に乏しい。
体罰が絶対にダメなら、このケースではどうすべきだったのだろう。体罰反対者で、そこまで具体的に述べる人はごく一握りである。「他者を尊重することを日ごろの教育で~」という抽象的な意見が多く、しかもそれは「今後どうすべきか」であって、「今回どうすべきであったか」ではない。いま目の前で、生徒が被爆者を罵倒していて、罵倒される被爆者が立ち尽くしていて、そこで「日ごろの教育が~」なんて言うのは無力、というよりバカバカしい平和ボケである。

上述したように、この生徒5人は教師に口頭注意されている。それでも暴言を続けたわけで、そこでどうすれば良かったのかを体罰反対者には具体的に教えて欲しい。ある人は具体策を提示してくれた。まとめると、
「暴言を吐いた生徒をバスに乗せるなどして一旦その場から離し、その生徒らから見える場で、教師が森口さんに誠心誠意で謝罪する。また、その後に生徒になぜ暴言を吐いたのかを問う」
というものであったが、なにせ相手は教師が注意してもやめなかった5人である。そうそう簡単にバスに乗るとは思えない。「来い」「嫌だ」「良いから来なさい」「なんでだよ「とにかく、ほらっ」「いてーな、放せよ」「バスに乗りなさい」「いてーっつってんだろ、これ体罰だよ体罰」という場面が思い浮かぶ。こういう徹底的な抵抗にあった場合について質問すると、
「もしも彼らがバスに乗らないようなら、現地教育を中止してクラス全体をバスに引き揚げさせる」
という答えであった。これだと日本人として絶対に学んでおかないといけない原爆について現地で学ぶ貴重な機会を、バカな5人の生徒のために生徒全員から奪うことになる。その場で張り倒して謝罪させてバスに引っぱって行って反省させれば済むのに、体罰反対を守るために生徒全員から学ぶ機会を奪ってしまう。まるで一部の部員の不祥事で甲子園出場を辞退するケースのミニチュア版を見ているようだ。これが教育のあるべき姿だとはとうてい思えない。


3.体罰禁止で育った子どもたちは、自他ともに危ない。
体罰礼讃主義と思われそうだが、俺は決して体罰推進派ではない。俺自身がとんでもない体罰の被害者でもある。毎朝テストがあって80点未満ならビンタ、そういう学校なんてそう多くないはずだ。柔道の授業で、無言で近寄ってきた教師からいきなり股間を蹴りあげられる学校もそうそうないはずだ、しかも蹴った後に教師が述べた理由が「柔道着の中にTシャツを着るな」である(これは俺自身ではなく目の前で友人が受けた体罰だが)。高校の3年間、体罰が皆無だった日は一日たりともなかった。こういう体罰を受けてきた身として、体罰はむしろ大反対ですらある。

それでも、俺は「法律によって体罰を絶対的に禁止すること」には断固として反対だ。
「何をしても言っても叩かれない」
そこから生まれるのは、安心感でも信頼感でもない。できあがるのは、弛緩した空気、緊張感の欠如である。反抗期という大切な時期に、暖簾に腕押しのような大人に囲まれた子どもたちは、何がどこまで許されるのか、「ここから先はヤバい」というラインがどこにあるのか、そういうことを見極めることができないまま大人になっていく。誰かを傷つければ、そのしっぺ返しを食らうということを知らないまま育つのは、周囲のみならず自分の身さえも危険にさらすことになる。少年法に守られている間だからこそ、法律には明示されていなくとも、社会に厳然としてある暗黙のルールを叩きこまないといけない。いや、叩き込んであげることが、その子の将来のためなのだ。

繰り返しになるが、俺は体罰には大反対である。「テストの成績が悪いから」「部活で失敗したから」という理由での体罰は言語道断である。しかし、誰かの尊厳を傷つけ、口頭で注意したのにもかかわらずやめようとしないような場合、体罰はして然るべき、されてありがたく思うべきものである。

これは断じて、「いつ叩かれるか分からないビクビクした学生生活」を勧めているわけではない。「度を超すと叩かれることもある」という緊張感は持たせないといけないというだけの話である。教育効果があるかないかも問うていない。徹底した体罰で成績が伸びるという意味での教育効果は自分自身で実証済みだが、俺が体罰に求める効果はそういうことではなく、「超えるとヤバいライン」を身につけさせることにある。試験や部活で上を目指すための体罰ではなく、人としての最低ラインを死守するための体罰だ。警官が持つ拳銃に近い。撃つべき時には撃つ。そして、本当に撃つべきだったかをきちんと検証する。警察が拳銃を持たないようにすれば、今より平和な日本になるなんて考える人、いないだろう?

体罰の絶対禁止は、見直さないといけないのだ。


※家庭教育こそが最も大切なことは言うまでもないが、ここでは「学校での体罰の絶対的な禁止に反対」ということをテーマにしている。また近年では、
「勉強は家と塾でしっかりやらせるから、学校では躾をしっかりお願いします」
という親がいるなんて話も聞く。

17 件のコメント:

  1. ※コメント記入者文責は「昼飯日記」です。(コメント記入者欄にうまく記名できませんでした)

    「2具体策がないか、説得力に乏しい」の中で引用されている論は私の意見だと思います。
    出勤のため、ツィートでの私の意見が途中であり、それを知ったうえで、
    「教育のあるべき姿とはとうてい思えない」
    と早計にに結論付けられたことは非常に残念に思います。

    文字制限のあるツィートで、いちはさんは少しの考えしか伝えられない、
    という思いがあると思いますが、それは私も同じです。
    だからこそ、違う意見だからこそ、もう少し私の意見も聞いて欲しかった
    という思いがあります。

    もちろん、いちはさんの考えを変えてほしい、ということではなく、
    違う意見を「ある程度」聞いてから、いちはさんの考えを述べて欲しかった、
    ということです。


    ただ、ここは全くの個人サイトであり、「どのようなを発信をしても」責任は
    無いとは思いますが。。


    ちなみに私は体罰反対論者ではなく、体罰反対というツィートもしておりません。
    いちはさんも体罰肯定論者ではないですよね、あくまで今回の件では「使うべき」、
    と理解していますがいかがでしょうか。


    私は、「体罰を使うのは教師として力不足」「体罰は教師が使う教育技術とは違う」
    ということを一貫して述べたつもりです。
    教育のプロである教師なら当然の姿勢だと思うからです。

    私は具体案を出しましたが、述べておられるように、やすやすと言う事は聞かずに
    (教師の仕事はそんなことの連続ですが。。。)
    どんな方法を使っても、目の前で暴言を吐き続ける場合があるかもしれません。
    それなら、私も最後の手段として引きずってでも
    バスに押し込めます。そして、生存された方には精神誠意あやまります。

    ただ、医療者であるいちはさんと決定的に違うのは、
    そういう手段しか使えなかった「教師としての未熟さ」
    を私は恥じるだろう、ということです。

    例えば、私が引率していた時に、たまたまいちはさんも同じ場に家族でいらしたとします。
    いちはさんが、がまんならずに、力ずくでバスに押し込めたとします。
    そのいちはさんを見て、私は「未熟」だとは思いません。
    医療のプロであって、教育のプロではないのですから。
    私が正確な診断、投薬ができないのと一緒で、
    いちはさんに「教育技術」を問うことはしません。

    長文失礼いたしました。

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    1. >昼飯日記さん
      ありがとうございます。議論の途中経過でありながら文章にしてしまい申し訳ありません。ただ話題がホットなうちに、多くの人が考える機会を持つことがここのブログの一つの存在意義でもあることをご理解いただけたらと思います。精神科障害者に対する偏見なども議論途中であっても、事件そのものが流れる前に敢えて日記にしてしまうことがあります。こういう正解不正解がないような話題の場合、個々人の考えるキッカケになることを目指しています。

      確かに仰るとおり、私は医療のプロであり、昼飯日記さんは教職のプロです。しかし忘れてはいけないもっと大事なことは、私も昼飯日記さんもともに「大人としてのプロ」(変な表現ですが)でなければならない、ということだと思います。だから、大人が子どもの教育についてこうやって意見をぶつけ合う姿を子どもに見せることも凄く大事だと思います。

      そして大人のプロとして、やはり現場の対応が未熟に思えて仕方ありません。

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  2. ※コメント記入者文責は「昼飯日記」です。(コメント記入者欄にうまく記名できませんでした)

    連続コメントすみません。
    「2具体策がないか、説得力に乏しい」の補足です。

    ①なにせ相手は教師が注意してもやめなかった5人である。そうそう簡単にバスに乗るとは思えない。
     
     これはいちはさんの根拠のない「想像」ですが、日本全国の教師が誰もできないとお考えですか?
     どの教師が、何人で、どのような言葉を使い、どう対応するのかが、私が繰り返し言っている
     「教育技術」です。それは、個々の教師によって当然変わります。そこを考えましょうということ
     です。

    ②「もしも彼らがバスに乗らないようなら、現地教育を中止してクラス全体をバスに引き揚げさせる」
    という答えであった。これだと日本人として絶対に学んでおかないといけない原爆について現地で学ぶ貴重な機会を、バカな5人の生徒のために生徒全員から奪うことになる。

     こういう生徒は実は小心物もいて、大勢でなければ行動できない子もいます。他の生徒達がその場か らいなくなることで、威勢が弱くなる場合もあります(あくまで経験からの印象ですが)
     また、他の生徒のバス乗車は一時的です。もしその場が収まれば、当然再度話を聞けるように
     します。 状況によっては、翌日にスケジュールを変更することもありあえると思います。
     このようなこと以外でも、急な事故などで臨機応変に予定を変更することは教師の仕事です。
     これも教師の技術に入るのだと思います。

    ③まるで一部の部員の不祥事で甲子園出場を辞退するケースのミニチュア版を見ているようだ。

     ツイートでもお答えしましたが、違います。②でお答えしたようにスケジュールを「変更」するという考え
     です。全く聞けない、経験できないということは想定しない答えでした。ただ、一部の生徒のために予  定を変更をすることもいけない、という意見の方もいると思いますが、いちはさんもそうですか?


    ※今回の問題について、学校に限定して言えば
    私は3つの問題があったと思っています。
    1)起きた現場での教師の生徒への対応(当事者5名と他の生徒も含む)
    2)森口さんに対するその場での教師の対応
    3)その後の学校・教育委員会責任者の森口さんと関係者に対する対応

    対応の方法としては、もちろん、いちはさんとは違う立場ですが。

    今回のエントリーとは内容がずれましたね。すみませんでした。
      
     

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    1. >昼飯日記さん
      ありがとうございます。
      まず頂いたコメントとはずれるのですが、「1.しょせんは他人事」についてひどく気にされる方がいたので、ここでも念のため書かせてください。
      私は精神障害者の犯罪についてこれまで何度か日記やツイッターに書いてきましたが、「自分が被害者や被害者家族になっても同じことが言えるのか?」という問いに対して、「言えるわけがないじゃないか」と堂々と答えるスタンスです。他人事だから見えること、考えられること、言えることってあると思いますから。

      それで、①②③に関しては、確かに想定外というか目から鱗というか、コロンブスの卵というか、あぁそうか予定変更すれば良いのか、と納得しました。さらに、最後の3点には全面同意します。以下は改めて自分なりの回答です。

      1)ツイッターで同業の方と話していて気づいたのですが、現場の教師は他の教員にも連絡をとって大人数で対応しても良かったのではなかったかと思います。ただ、これは実際の現場がどうだったのか分からないのでなんとも言えませんが……。生徒への対応に関しても、1vs5。まして口頭注意が無効の連中であれば、この教師一人に実力行使を求めるのは酷だなと思い直しました。気持ちとしてはぶっ飛ばしたいですが。

      2)そこで、現場教師としては、口頭注意が無効な時点で、もう皆の目の前で「教育不足で申し訳ございません(ただし担任だったかどうか分からないのでなんとも……)」と土下座(まぁそれは行き過ぎにしても最敬礼くらいで)しても良かったのではないかと思います。ただこれも、もしかしたら実際に土下座したかもしれないけれど、記事になっていないだけかもしれないので

      3)これはもう最悪ですね。バッチリ記事にもなっていて、言い逃れの余地がない気がします。倫理うんぬんは置いておいても、危機管理という点で校長の能力を疑います。

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  3. 教師である方の中には色々な人がいてなかなかそう簡単には悪い子ことしていても
    何も言えない出来ない方もおられます。何回言っても止めないのなら少しの体罰も
    必要だと考えています。息子は現在大学卒業して働いて自立していますが小さい頃から
    優しい、おとなしい子と言われていましたしかし去年新人教育もあった中で
    「何回言っても分からないのがいて困るぶっとばしたい!」と悩んでいましたが
    とうとう手を出したようです。その後母親が怒って来たので上司と謝りに行ったと
    話していました。子供の時全て親に守られ大人になり就職!間違えたら大変なので
    何回も教えても分からないから叩いたら母親が怒鳴り込んで来た!ので
    謝りに行った!と不満そうでしたが少しの体罰もないといつまでも親は生きて
    いませんので本人がいずれ困るのではないかと思っています。
    体罰を知らないからどこまでが限度なのか分からず酷い怪我させたり
    するのではないかな~と私は考えています。

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    1. >はるこさん
      限度を分からせるのは、義務教育である小中学校までの間だと思います。限度を知ることなく育って、損をするのは誰なのか。
      体罰の副作用と同じくらい「絶対禁止の副作用」もあると思います。

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  4. 何が体罰かは最終的には裁判所で判断されますので、判例の見極めが重要になってきますが、やはり「肩を押さえる・腕を掴む」あたりが分水嶺になるのではと考えます。

    指先だけに力を加えすぎると骨肉に過剰な痛苦となるので、手の平による圧迫感を重視する。
    腕を掴む場合には、関節をひねると危険であるため、手の平の力だけでプレッシャーをかける。
    強いて歩かせる場合に、転倒は危険なので過度の興奮状態にある時は立ち止まる。
    等が、肉体的な痛苦を減らしつつ、こちらの表情や感情を「演出」することで、逸脱行為を制止する対応として考えられます。

    怒号→殴打、足払いといった古典的な体罰は、物理的な力のかけ方がシンプルすぎて怪我のリスクがコントロール困難です。
    体罰的であると見えつつも実際のダメージは低くして、心理的な面で制止させることは可能だと考えます。

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    1. >匿名2014年6月8日 16:37さん
      俺もやっぱり顔を殴るのはまずいと思います。ビンタも個人的には大嫌いです。表情を出す顔に手を出すのは最低だと思っていますので。
      これからの教職課程には、ケガをさせないように逸脱行為をおさめる、というトレーニングがあっても良いかもしれませんね。

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  5. 去年私は絶対手を出してはいけない・・!」と忠告して
    いましたが間違えたら人の命にもかかわることで優しい息子もとうとう
    違う!と手を叩いて多分!暴言を言ったのだと思います。
    航空自衛隊員でもう成人した大人なのに母親が怒鳴り
    込んで来たので上司と謝りに行ったと言うことですが
    大人なのです。いずれ誰が困ることになるのでしようか?
    (小さなことも体罰になるようです)
    やはり可笑しい!大人の世界のことです。

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    1. >はるこさん
      自衛隊、警察、海上保安部などの人たちで受診する人の中に、いわゆる注意力の極度に足りない人たちがいて、周りを危険にさらすんですよね……。ADHDだと診断をつけたからといって改善するわけでもなく、得意分野に配置転換が一番いいとは思いますが、一緒に働いていたら思わず手が出る気持ちも分かる気がします。そこにお母さん含めた家族が入ってくるのもよくある話で、診察室に「ADHDとは納得いかない」と来られたこともあります……。

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  6. 少しのことで体罰!で母親が怒鳴り込んでくるから教師に
    鬱病の人が多いのでは?授業中歩きまわり話しして
    現実はそれでも何も出来ない所もあるのです。
    見た人にしか理解出来ません。そう頭で考えるより
    経験してみてください。そんな中で育った人間がそのまま
    大人になる・・怖いことです。

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    1. >匿名2014年6月9日 0:47さん
      やって良いこと悪いこと、それをどうやって伝えていけるのか。また伝えられないまま大人になった人たちをどう扱っていくのか。体罰問題は、今現時点からさらに進んだ未来への考え方も問われますね。

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  7. 敗戦以来、この国は教育に関しても失われたしまったものが多いとは思いますが、自分個人的な考えでは体罰に関しては、基本的に反対ですが、一定の基準を設けて、教員の個人的な判断でなく管理された?体罰のようなものは必要ではないのかと考えています。「公(おおやけ)」の精神を破壊されてしまったこの国の若者は、
    いったいいつその精神を学べばいいのでしょうか。家庭で?学校で? 核家族化も進み、家庭における上級者に対する敬いという精神すら学ぶことを失った環境に育った子供たちに将来の不安を感じています。

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  8. ↑すみません。匿名で書くのはやめようと思います。
    自分は小中高生の時には頭が変形すると感じるほど頭を叩かれていましたが、納得はしています。
    ただし日本はいわゆる大津事件以来、法に則って行動する野蛮な国ではないという国に変わったのだと信じたいので、どうしても必要ならば、体罰に関してもガイドラインとまでは言わなくても法整備は必須だと感じています。まぁ、ほとんど妄想化ですが、実際に整備している国はあるようです。

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    1. >たわしさん
      頭が変形するほどというのはさすがに激しいですね……。
      俺のイメージする体罰は、平手で頭をはたく程度でした^_^;
      そして、俺もガイドラインは賛成です。極端な話、教育学部にいる時にみっちり教えても良い。それは医学生や看護学生が互いに採血の練習をするのと同じように、互いに叩きあうんです。そうすれば、叩かれた人の痛みや屈辱も感じるわけで、教員になった時に活きる気がします。
      これまた超妄想ですが(笑)

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  9. たわしさんは酷い体罰でしたね!私は殴る先生はいませんでしたがみんなの前に立たされ怒られ
    恥ずかしい思いしたことはあります。今難しいでしようね手を触っても肩を叩いてもセクハラ・・
    正坐させたら親が「家の子の足がまがる・・!」と言うこともあるそうです。
    私も体罰は親からも先生からも受けたことがないので子供にも殴ることは
    したことありませんが雪が降る日「家から出て行きなさいもう帰らなくてもいい!」
    と言って一度怒ったことがありますが家から様子を見ていたら雪が降る中どこにも
    行かず泣いていたのですぐ家に入れキチンと言って聞かせましたが我が子は
    可愛いのですよね一番!体罰も運動場一周とかあっても良いと思うのです。
    (頭は一番大切な所なので叩くのは良くないと思います。)
    家庭の中で躾は早くからするべきなのでしようが昔の鍵っ子と呼ばれていた
    時代とは違いほとんど共働きが普通なのでこれから何人かの老人?が
    そんな子を見てくれるとお互い良いようなことも時々、考えるのですが
    無理かな~!?

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    1. >はるこさん
      正座も立たせるのも、今は文句を言う親がいるみたいですね。全員ではないかもしれないけれど、文句を言われるかもと思うと教師も萎縮してしまうでしょう。
      うちは幸いまだ叱ることがあまりないのですが、危ないことをした時にはちょっと怖い顔で怒ります。普段怒らないからか、ビックリしてフェーッと泣きますが、それで良いと思っています(笑)
      俺、20年後30年後にどういう日本社会になっているのか心配です。

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