2017年10月23日

原作ほど独善的ではないが、勧善懲悪的な描写が残念 映画『アメリカン・スナイパー』


クリス・カイル本人の自伝を原作にした映画。自伝では「悪者をやっつける」という独善っぷりが目立ち、まったく非のない市民を傷つけたことに対する反省の弁も一切ないものだったが、映画のほうではその独善ぶりはかなり薄められていた。

この映画を戦争賛美と責める意見もあるようだが、それはあまり感じなかった。むしろ、クリスの弟が軍隊に嫌気がさしたと吐き捨てるシーンもあるくらいで、決して戦争を煽ったり美化したりはしていないほうだろう。ただ、独善性は薄められているものの、「悪者をやっつける」という典型的で残念な構図が用いられていたのは確かである。

その最たるものが、非常に優秀な敵スナイパーの存在だ。映画の中では、彼にも家族がいて、オリンピックの射撃選手だったことを示す写真が出るなど、彼が「ただの敵スナイパー」ではなく「ムスタファという個人」であることが一応の申し訳程度に描かれてはいた。とはいえ、思い出す限り、彼は一度も言葉を発さず、家族とのやり取りも描かれていなかった。観客がムスタファに感情移入する要素は、ほとんどないと言って良い。

いっぽう、クリスのほうは少年時代から私生活がふんだんに描かれ、父との関係、弟との仲、妻との出会いや愛や葛藤、同僚兵士との友情など、感情移入できる部分が多々ある。クリスの自伝が原作なのだから、それは当然のことではある。

しかし、考えてみて欲しい。シリアの代表選手だったムスタファが、なぜイラクで人を撃つスナイパーなんてやっているのか。きっとムスタファにも「彼のみが語ることができる自伝、物語」があったはずなのだ。

さらに言えば、原作にムスタファと交戦したという記述はない。ムスタファという元オリンピック選手の一流スナイパーがいて、それを米軍の誰かが倒したということが書いてあるだけだ。そのムスタファを、映画ではわざわざ特別な敵役として登場させ、何人もの米兵を無慈悲に殺させ、そして最後にクリスに見事な退治を遂げさせる。

なんだこれ……。

この映画は「戦争賛美」でこそないものの、そして原作ほど独善的ではないものの、やはり一方的な「勧善懲悪」映画ではある。ムスタファさえ出さなければ、あるいは、ムスタファをもう少し丁寧に描いていれば、この映画は「互いに家族と守るべき信念のある者同士が殺し合う戦争の悲惨さと虚しさ」をうまく訴えられたのではなかろうか。そして、ムスタファをはじめとしたイラク兵士たちを軽視した本作がそれなりの評価を受けるところが、いかにも無邪気な保安官アメリカ、まさに監督イーストウッドが主人公を演じた『ダーティ・ハリー』の国という感じである。


<関連>
「イラク人のために戦ったことなど一度もない。あいつらのことなど、くそくらえだ」 政治的に大義名分を与えられて他国に乗り込む優秀な兵士は、これくらい独善的な単純バカでなければいけないということか…… 『アメリカン・スナイパー』

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメントへの返信を一時中止しています。
一部エントリでコメント欄に素晴らしいご意見をいただいており、閲覧者の参考にもなると思われるため、コメント欄そのものは残しております。
また、いただいたコメントはすべて読んでおります。