2011年12月17日

妻への贈り物 ~十六年後の煙突に願いを~

【1】

二年前の夏、妻が流産したことをきっかけに、俺たち夫婦の関係はおかしくなってしまった。

原因がはっきりわかっていたのに。
いや、はっきりわかっていたからこそ、長い間、修復することが出来ずにいた。

二人の間に横たわった大きくて深い溝。
その溝の中には、やがて小さな嘘と裏切りが積み重なっていった。
俺は自身の中だけで抱えきれなくなった悲しみや怒り、
後悔の念といった感情を、相手を傷つけることで慰めようとしていた。
でも、嘘や裏切りが増えていく度に、結局、傷ついたのは自分自身だった。

相手の問題じゃない。
本当に許せなかったのは、自分自身。
そのことに気付いたとき、俺は妻に何度か歩み寄ろうとした。
それは俺だけではなく、妻も、きっと同じだったはずだ。


【2】

「別れようってどっちかが切り出したら、きっと別れることになるね……」

あるとき妻が呟いた。
その通りだと思った。
でも、できることなら、元通りの二人になって、明るい生活を取り戻したい。
固くなってしまった心の中に、そんな感情が芽生えてきたことに気がついた。
ただ、同じくらい、この苦しい状況から早く逃れたいという相反する感情は依然として残ったままだ。

俺たち二人はその葛藤の毎日に疲弊しきっていた。

妻がつくる笑顔は、「寂しさ」そのものだった。


【3】

「最後の努力はしたのか?」

久しぶりに会った友人にそう言われた。
酒の席だというのに元気のない俺を見て、夫婦関係がうまく行ってないことをすぐに悟ったようだった。
「最後の努力?」
俺は意味がわからずに聞き返した。
「お前は努力はしたと言う。ま、それは嘘じゃないだろう。
たださ、努力ってのは積み重ねて行くもんだよ。果てしないもんだよ。
積み重ねて、積み重ねて、それでもどうしても駄目って時がある。
そんな時にやるのが、最後の努力なんだ」
友人が俺のグラスにビール瓶を傾ける。
「お前、まだ最後の努力、やってないよな。諦めるのはそれからだよ」
「最後の努力、か……」
妻の顔が浮かんだ。


【3】

「奥様は普段、どのようなアクセサリーをお付けですか?」
今風の若くてハキハキとした女性店員に真っ正面から話しかけられ、正直、俺は目のやり場に困った。
アクセサリーを一人で買うなんて何年ぶりだろうか。
店はクリスマス当日ということもあって、買い物客で賑わっていた。
「いやぁ、普段はあまり付けてないんですよねぇ」
俺は視線を逸らし、覗き込んだってわかるはずもないショーケースをまじまじと見つめながらそう答えた。
居心地の悪さに耐えられなくなっていく。
「例えば、シルバーとゴールドだと、どちらがお似合いだと思われますか?」
そんな簡単な二択さえ、分からない。
やり直すために埋めるスペースは、まだまだたくさんありそうだ。
「シルバー、かな……」
適当に答えた。
結局、店員に進められるまま、俺は銀のピアスを買った。


【4】

『人身事故の影響で、当駅にてしばらく運転を見合わせます』
こういう時に限って電車が止まる。
ドアが空きっぱなしになってから、もう十分が経とうとしている。
あと二駅だというのに。
しばらく車内で待機していた他の乗客達は、しびれを切らしたように、まばらに車両を後にし始めた。
あと十分待って動かなければ、タクシーで向かおう。
俺はスーツの胸ポケットから携帯を取り出し、妻へ少々遅れる旨のメールを入れた。


【5】

「待たせてごめん」
「大丈夫」
ぎこちない会話をした。
寒空の下で赤と白のイルミネーションが輝く。
駅前に設けられた特設ステージでは、若者の集団がクリスマス衣装をまとい、ゴスペルを披露していた。
俺たちは予約していたレストランに入り食事をした。
静かな時間が流れた。

「あのさ……これ」
食事の後、俺は買ったばかりのプレゼントを妻に手渡した。
「え……?」
妻はちょっと驚いた表情を見せた。
「あなたが買ったの?」
「あ、うん」
妻が箱の中を見る。
「そう……。ありがとう」
ちょっと嬉しそうな顔をした。
「でも、わたし、もうシルバーが似合うほど若くはないよ。三十六だもん」
「そんなこと、ないよ」
「わたしが普段つけてるアクセサリーなんて知らないでしょ」
「そんなこと……、そう、だね……」
歯がゆさだけが残った。


【6】

「もう一度やり直そう」

その言葉が出ないまま、俺たちは家路についた。
部屋に入り、着替えようとした俺に妻は、
「コーヒー入れるからもう少しこのままでいよう」
と言った。
リビングのソファで一人、コーヒーを運んでくる妻を待つ。
少し酔った頭で俺は、今日が最後になるかもしれないと思った。
そして。
それはいやだ。
そうはっきりと思った。

「あのさ……」
リビングにやって来た妻に話しかける。
「ねぇ、今度アクセサリーを選んでくれるときは……ゴールドにしてね」
俺の言葉をさえぎって、妻はそう言って、そして少し微笑んだ。
雪解けのしずくのような、小さな笑顔。
だけど、春が近づいて、雪は確実に溶けていく。
「今夜は、そっちのゴールドで我慢する」
妻は優しくそう言うと指さした。

妻の指の先。
俺の下半身に。

金玉がぶらさがっていた。




翌朝、俺の枕元には小さなプレゼントが置かれていた。

添えられていたメッセージカード。

"メリークリスマス from Kaoru"

妻の書いた文字を、久しぶりに見たような気がした。



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マイミクの方が、俺の『煙突に願いを』を読んで、自身の日記に十六年後の二人を書いていた。
それがあまりに秀逸(特にオチがw)だったので、転載許可をもらった。
それにしても、金玉てw

7 件のコメント:

  1. 秀逸!文章の展開が似てるなぁ。落ちの持って生き方もw

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  2. >たに
    俺、三回くらい読んで、そのたびに笑ってるわw

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  3. これも雰囲気たっぷりで朗読するべきですか?(笑)

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  4. >あっこ
    するべきですw

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  5. あっこの学校での真面目で清楚で可憐な昼の姿は崩れ落ちますねww確実に。

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  6. 涙がでます。
    胸のむかむかがいつもと違う感じです。
    若いって良いな。

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  7. >ゆめさん
    胸のむかむかですか……。
    なんだか、ドキっとしますね。

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