2012年5月25日

チャンバラ 『真説宮本武蔵』

子どものころ、チャンバラが好きだった。小さいころから祖父の家で過ごすことが多く、月曜の8時からは水戸黄門を必ず観ていた。そんな俺にとって、チャンバラは日常だった。

新聞紙を丸め剣に見たてて祖父に斬りかかる。子どもとはいえ、5歳くらいともなると棒を振り回されたら怖い。それでも、祖父は怖じ気る様子もなく、俺の剣を受けていた。そういえば、チャンバラといい相撲といい、祖父と戦って痛かった記憶がない。さりとて受け身に徹していては、子どもの遊び欲求は満たされない。どうやったら、手加減のない孫相手に、痛がらせずに面白がらせられるのだろう。

ところで、剣には鞘が必要だ。しかし、どうしても新聞紙では鞘が作れなかった。だから、つねに抜き身の剣を引っさげていたことになる。よくよく考えると、危険な少年剣士だ。

小学校に入って剣道をやらされたが、すぐやめた。あれはチャンバラではない。武士道とかなんとか、そういうのとも違う。根性のある子とない子をふるい分ける装置みたいなもので、やめた俺には当然、根性なんてない。

剣道は続かなかった俺でも、水戸黄門は小学校を卒業するまで観続けた。マンネリなんだけれども、観ていて落ちついた。悪者はいつか絶対に、例外なく退治される。退治されるべきなのだ。そんな勧善懲悪思考に染まっていた。

少し余裕をもって世間を眺められるようになったのは、本当につい最近。精神科医をしていると、いろいろな人に出会う。話していて、どうしようもない人だ、と思うこともあるが、しばらく接していると意外な一面に気づくことがあって、世の中に完全な善人悪人や強者弱者などいないとつくづく感じる。

そんな俺の心の成長に合わせて、ということもないだろうが、水戸黄門が放送中止となった。俺が子どものころスケさんだった里見浩太朗は、黄門さまにまで出世した。でも、違和感ありまくりだった。よれよれっとした御隠居さまと、キャラ豊富な仲間たちだからこそ、町人に溶けこむにしても、武家に入るにしても無理がなかったのに、里見の御隠居さまはあまりに恰幅が良すぎて、どこぞの偉い人という感が出まくっているのだ。

チャンバラ。いまもやっている子どもたちいるのかなぁ。自分の子どもにはチャンバラをやらせたいなぁ。

新装版 真説宮本武蔵 (講談社文庫)

宮本武蔵をはじめ、千葉周作など剣豪の話。昔は真剣で斬りあっていたんだよなぁ、と考えると怖い。いや、真剣でなくても、木刀で頭をかち割ったとかいう話も出てくるし、剣士たちは命をかけて果たし合いなどをしていたんだよなぁ、やっぱり怖い。短編小説集で、文字も多くなく、わりとすぐに読み終える。

2 件のコメント:

  1. ときどきテレビの時代劇を見ますが、あんな時代に生まれていたら俺はどうなったんだろうと、思うときがあります。
    まかり間違って武士にでも生まれていたら、腕力もなく体力に自信のない自分は、惨めな一生を送っていたのでは、とつい考えてしまいます。
    力(腕力)のあるものが地域を支配し、戦をして勢力範囲を広げていったんですね。極端な言い方ですが、暴力団とあまりかわりはないような気がしますが。
    但し、国を治めるには、腕力だけではなく政治力も必要としますが。

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    1. >海境惺さん
      分かります、その感じ!! 俺も時どき自分が幕末に生まれて、しかも武家に生まれていたらどうしただろうか、などということを空想することがあります。今も昔も、刃物で刺された痛みも死ぬ苦しみも同じのはずですから、みんな大変だったあろうなぁなんて、そんなことを想います。

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