2012年7月26日

弟を殺した彼と、僕。

長谷川敏彦君は、僕の弟を殺害した男です。

こんな衝撃的な一文から始まる本がある。実の弟(原田明男)を殺害された原田正治が書いたものだ。このあと、文章はこう続く。
「大切な肉親を殺した相手を、なぜ、君付けで呼ぶのですか」
ときどき質問されます。質問する人に僕は、聞き返したい気持ちです。
「では、あなたはどうして呼び捨てにするのですか」
彼が弟を殺したことを知る前から、僕は、彼を君付けで呼んでいました。弟を殺したと知り、彼をどれほど憎んだでしょう。
「あなたは、僕が彼を憎んだほどに、人を憎んだ経験がありますか」
質問者には、こうも聞いてみたいものです。それともこう聞きましょうか。
「あなたは、僕以上に、長谷川君を憎んでいるのですか」
彼を憎む気持ちと、彼を呼び捨てにすることとは違います。長谷川君のしたことを知って、呼び捨てにしてすむ程度の気持ちを抱く人を、僕は羨ましく思います。
(中略)
被害者遺族が家族を殺した人間を呼び捨てにする、と思い込んでいる人は、世間に多いと思います。被害者遺族は、世間が求める姿でなければならないのでしょうか。(中略)どうか僕たち被害者遺族を型にはめないで、各々が実際には何を感じ、何を求めているのか、本当のところに目を向けてください。耳を傾けてください。
原田が、加害者、加害者家族、被害者遺族、世間の4者の関係を自らの実体験をもとにイメージしたものが非常に分かりやすい。
その頃、僕は、こんなことをイメージしていました。明男と僕ら家族が長谷川君たちの手で崖から突き落とされたイメージです。僕らは全身傷だらけで、明男は死んでいます。崖の上から、司法関係者やマスコミや世間の人々が、僕らを高みの見物です。彼らは、崖の上の平らで広々としたところから、「痛いだろう。かわいそうに」そう言いながら、長谷川君たちとその家族を突き落とそうとしています。僕も最初は長谷川君たちを自分たちと同じ目に遭わせたいと思っていました。しかし、ふと気がつくと、僕が本当に望んでいることは違うことのようなのです。僕も僕たち家族も、大勢の人が平穏に暮らしている崖の上の平らな土地にもう一度のぼりたい、そう思っていることに気がついたのです。ところが、崖の上にいる人たちは、誰一人として「おーい、ひきあげてやるぞー」とは言ってくれません。代わりに「おまえのいる崖の下に、こいつらも落としてやるからな―。それで気がすむだろう」被害者と加害者をともに崖の下に放り出して、崖の上では、何もなかったように、平和な時が流れているのです。
原田は、裁判で証言した時には「極刑以外には考えられません」と発言している。しかし、その後何年も経ってから、長谷川の死刑を中止するよう活動し、かつ死刑そのものを廃止するような運動にも参加した。その心境に至るまでにはかなりの紆余曲折や葛藤があり、それはぜひ本書を読んで感じて欲しい。
死刑は、人を殺すことです。「被害者が望むから」と言われると、「お前は、刑務官が首に縄をかけて人を殺すことを望む人間なのだ」と言われている気がして、打ち消したくなります。自分のことを、他人が殺されることを望んでいる人間だと考えることは耐えられることではありません。僕は、自分に貼られている被害者遺族のレッテルを考えるとゾッとしました。そのレッテルには「心の中が憎しみだらけで、復讐を望んでおり、加害者が殺されることを待っている」と書かれている気がするのです。
そんな死刑廃止運動には、必ずと言って良いほどに反発がある。
死刑廃止の運動をしている人たちは、いつも、
「あなたたちはそのような運動をしていますが、被害者のこと、被害者の家族のことを考えているのですか」
と反発されるそうです。死刑を考え、公に死刑に疑問を投げかけたことのある人は誰でも、「被害者のことはどうなのだ」と言われ、口をつぐんでしまうのです。しかし、僕から見れば、「被害者のことを考えているのか」と抗議する人もまた、僕のことなど一度も考えてくれたことなどない、と言いたい気持ちなのです。
原田の活動の甲斐なく、長谷川敏彦は死刑執行されてしまう。
「被害者遺族のことを考えて死刑はあるべきだ」と思っている人が多くいると聞いていますが、長谷川君の執行が大きく報道され、通夜、告別式が行なわれたとき、誰か一人でも僕に、
「死刑になって良かったですね」
と声を掛けてくれたでしょうか。所詮、国民の大多数の死刑賛成は、他人事だから言える「賛成」なのです。第三者だから、何の痛みもなく、「被害者の気持ちを考えて」などと呑気に言えるのだと思いました。僕は、ひとりぼっちです。
俺はこれを読んだ今でも、やはり死刑廃止には反対だ。できれば存置して欲しい。その理由を説明はできない。ただ、北欧の国で、厳罰化の反対(軟罰化とでもいおうか)を推し進めたところ、犯罪数も凶悪事件数は減少したそうだ。もちろん、その国では死刑もない。というか、死刑存置している先進国は日本とアメリカだけらしい。日本でも、もし同じような制度にして犯罪そのものが減るのなら、死刑廃止にも納得するかもしれない。

ただ、日本で犯罪に手を染める人たちの感覚を想像してみると、軟罰化すれば逆に犯罪が増えそうな気はする。欧米と日本で同じわけがないのだ。

弟を殺した彼と、僕。

<関連>
人を殺すとはどういうことか
死刑 人は人を殺せる。でも人は、人を救いたいとも思う
元刑務官が明かす死刑のすべて
死刑について考えるキッカケ、にはならないが、わりと面白い 『13階段』
彼女は、なぜ人を殺したのか

4 件のコメント:

  1. 何年も前に読みました。
    当時、私は身内との人間関係がうまくいかず悩み苦しみ
    人を恨んでました、衝撃的でこころうたれ考えさせられた1冊です。深いですよね~。

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    1. >匿名2012年7月27日 7:58さん
      本人が書いたのか、それとも口述筆記なのか分かりませんが、非常に良い文章でした。多くの人に読んで欲しいけれど、アマゾンには新刊は置いてないんですよね。

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    2. 私も死刑制度は必要だと思っています。しかし、犯罪被害者の遺族がそれに反対しているのは極めて異例です。原田さんが言いたいのは、遺族の中にもいろいろな人がいるということではないでしょうか。

      私もさっそく読んでみようと思います(図書館で)。

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    3. >クレーマー&クレーマーさん
      原田さんの言いたいことは、まさにそうだと思います。
      「俺をそんな風な人間と決めつけないでくれ!!」
      という叫びが伝わる本でした。

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