大災害時には、さかんに「こころのケア」という言葉が使われる。PTSDという病名も、マンガやドラマ、ワイドショーなんかによく出てくる。では、大災害時に現地にいた精神科医は、そのときどのように動き、なにを考えたのだろうか、というのが本書の中心である。
PTSDを治療する側の目標は、患者が、
「外傷体験について考えることも考えないことも自由にできるよう助力すること」
であるという。決して「頭から消し去る」ことを目的とした「臭いものに蓋」治療ではない。「考えるか、考えないか」を自由に選択できるというのは、自分自身への自信につながる。その自信はこころの余裕を生み、余裕がまた自由度を伸ばしてくれる。こういう良い循環ができあがれば、援助者の役割はほぼ終わりと言える。
本書は精神科医によるPTSD論であると同時に、阪神・淡路大震災の被災者による被災記録でもある。当時の混乱した様子、悩みや憤りなでも赤裸々に綴られている。例えば当時の「ボランティア・ブーム」について、「乗り遅れてはいけない症候群」という指摘もある。現地で活動するある医師はこんな愚痴を漏らしたという。
「なに考えてるんやろ。“どうやってそちらに行くんですか”“地図がほしい”、ひどいのになると“迎えに来てほしい”“宿泊所を世話してほしい”という問い合わせがあるんや」災害を病気に例えるなら、急性期、亜急性期、慢性期において援助者の役割は少しずつ異なる。急性期にはとにかく命を救い、亜急性期には後遺症を減らすことに努め、慢性期では安定した生活を目指す。急性期は、いわばICUでの治療のようなもので、専門外の人は邪魔になるだけのことが多い。災害の急性期も同じで、専門スキルのない人は「現地へ電話をかけない」「不用意に現地へ行かない」というのも立派な被災地支援になるということを知っておいて欲しい。
住むところがなくて大勢の人が避難所にいるのに、どうやって宿泊所を用意しろというのだろう!
地元のスタッフは、このような質問にひとつひとつ対処しなくてはならない。聞くほうは一回でも、答えるほうは同じ説明を何回もすることになる。
著者の安先生は、中井久夫先生が教授をつとめる神戸大学精神科での医局長時代に被災し、精神科ボランティアをコーディネートされた。その後、本書を執筆してサントリー学芸賞を受賞。このとき、まだ35歳過ぎである。ところが40歳になる年の5月、肝細胞癌が発覚し、同年12月2日、39歳という若さで他界された。次女が生まれて、まだ3日目であった。
本書には増補改訂版と文庫版がある。増補改訂版は、初版刊行後に本人が執筆した阪神・淡路大震災および災害精神医学に関する文章、中井久夫先生の追悼文などが追加収録されているが、精神医療に携わる人でなければ文庫版のほうで充分だろう。
精神科援助者として得ることの多い一冊で、東日本大震災での医療支援として南三陸町へ派遣される前に、この本に出会えていればと悔やまれる。
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