2017年7月18日

「本当の自分」症候群の人たちへ。見ろ、嗅げ、そして息をしろ。そこに自分があるじゃないか!

「本当の自分」なんてものはない。あるのは「今そこにいる自分」だけである。

そういう目で、以下の記事を読んでみて欲しい。
若者に広がる「キャラ疲れ」とは?~『キャラクター精神分析』

「『私、キャラ変えしたいんです。このままじゃ、自分が馬鹿になりそう』。山陰地方のある中学校に設けられた相談室。夏の初め、臨床心理士の岩宮恵子さんのもとを制服姿の女子生徒が訪れた」

これは昨年11月20日付の朝日新聞朝刊に掲載された「キャラ 演じ疲れた」という記事の抜粋です。この女子生徒は友だちからツッコまれるのを防ぐために"天然キャラの不思議ちゃん"を演じていたそうなのですが、あまりに「本当の自分」とかけ離れたキャラ設定だったため、それに疲れてしまったというのです。

他にも同記事では、"いじられキャラ"を演じてクラスの居場所を確保したり、"毒舌キャラ"と呼ばれていた女子が、実は「まわりに毒舌を期待されて疲れる」と悩んでいるエピソードが紹介されています。しかし、こうした若者たちの多くは他人のキャラに関しては饒舌に説明できるのですが、いざ自分自身のこととなると「よくわからない」と答えるだけだったそうです。

この「わからない」の意味について、精神科医の斎藤環さんは「みんなからどういうキャラとして認知されているかはわかるが、それが自分の性格と言われてもピンとこない」ということだと指摘します。つまり、"いじられキャラ""おたくキャラ""天然キャラ""毒舌キャラ"など、他人から認知されているこうした「キャラ設定」と、自分が「本当は」こうだと思っている人格との間に「ズレ」が生じているというのです。

しかし、どうして彼ら・彼女らはこのような「ズレ」を受け入れてしまうのか。斎藤さんは「キャラを演じているにすぎないという自覚が、かえってキャラの背後にある『本当の自分』の存在を信じさせ、また保護さえしてくれる」からだと言います。要するに、若者たちにとって「キャラ」とは、自分を偽るものではなく、あくまで守るものとして機能しているのです。そして、あまりにそのギャップが大き過ぎると、「本当の自分」がわからなくなってしまい、演じ続けることに疲れてしまうというわけです。

しかし、彼ら・彼女らは「キャラ」を演じてまで守ろうとする肝心の「本当の自分」について、「よくわからない」としか答えられません。何とも皮肉な話ですが、今の若者たちは自分自身を守ろうとすればするほどそこから遠ざかり、ますます「本当の自分」を見失ってしまうのです。
この記事にあるように、たとえば「いじられキャラを演じている自分」がいるとする。それは「本当の自分」ではないのだろうか。いいや、そうではない。そういうキャラを演じることで、何らかの利益を得ようとしている自分がいて、その希望が叶おうが叶うまいが、その行為に疲れようが疲れまいが、そういうことをしている自分が、まぎれもない「自分自身」なのだ。

どういうわけか、「本当の自分」という言葉や、それに類するものは人気がある。○○占いというものが毎年流行るが、中身を見るとあれは占いではなく、分析もどきだ。誕生日、名前、血液型から、「あなたは○○な人です」と書いてあるだけだ。そして、その中で自分が考えている「こうありたい」と一致する部分を見つけて、「当たっている」と感激したり、「本当の自分はこれなんだ」と自己満足にひたったりする。

「自分探し」もそうだ。そんなもの、探すまでもない。鏡を見る必要さえない。息をしてみれば、そこで空気を感じているのが自分である。

心理テストがもてはやされるのも似たようなもので、自分で自分の深層心理を探ってみたり、友人に試してみたり、そこまでして「本当の自分」(と本人が思っているもの)を知りたいものなのか。あえて「本当の自分」という言葉を使うとしたら、キャラ作りをしているのも「本当の自分」だし、それに疲れているのも「本当の自分」。

あなたはあなた自身でしかありえないなのだから、「本当の自分」を見失うなんてことは、絶対にないんだよ。

見ろ、嗅げ、そして息をしろ。そこに自分があるじゃないか!

11 件のコメント:

  1. 言う言う こういうこと・・・うちの娘も。
    もう疲れた、とかも。

    私は「アホか~」と笑い飛ばしますけど。(大阪も住んでたし)
    若いあんたが 疲れるんでないわ~、って。
    たった 十数年生きただけで どんだけのもんじゃ~~って(笑)


    誰かも言ってたな~TVで 嫌いな言葉「自分探し」って。
    探してる暇が あったら
    好きなことしてればいいんじゃないかと、
    自分が気分良くいられる自分でいればいい。

    結局 人の目や 人から嫌われたくない自分を意識するあまりに
    自分の気持ちから 離れちゃうんだろうなあ。

    私はその人自身 幸せならば ゲイも オタクも ひきこもりも(迷惑かけない、許してくれる環境さえあれば)
    いろんなすべてのマイノリティー 別にいいと思うんですけねw

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    1. >あじさいさん
      実際、俺も言ってたんですよねw
      それがバカバカしいと気づいたのも一応早かったんですが、自分探しというのはある種の流行病みたいなもんなんでしょうかね。

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  2. 不景気ですし、外に希望が見えから。
    自分の中に本当の自分て言う希望を求めるんでしょうか。
    夢とか希望とかの代理をしているような気がします。

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    1. >匿名Apr 26, 2012 02:24 AMさん
      なるほど、『本当の自分=夢・希望』と考えるとしっくりきますね。つまり、夢や希望がよく分からないから、例えば旅してみて探したい、という感じですかね。

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  3. 結局全部自分が持ってる一面なだけだと思います。

    お昼は大学で真面目に勉強してるのも、夜に飲んだくれて騒いでるのも、それぞれでキャラを演じてるんじゃなくて、“そういう一面もある”ってだけでどっちも自分ですよねぇ。

    でも最近全く飲んでないです。凄いでしょ?w

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    1. >あー太
      飲んでない!?
      それは凄い!! と思ったけれど、飲んじゃダメな体調でしょうが、あなたは。

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  4. Ciao Willwayさん
    結局さ
    みんな自分の外側にいる人々の評価や反応気にし過ぎてるんじゃない?
    対自分自身にとっては、キャラとか本当の...っての存在しえないと思うんですよね

    他人の評価なんて、所詮風の向きとともにころころ変わるかのごとく、あてにならないもんなのにねえ...

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  5. >junkoさん
    自分が自分を評価してあげれば、それが一番良いと思います。というか、それが一番大切ですね。

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  6. こんばんは。

    「自分探し」については全く同意見です。なんで自分の外部にあると思うんでしょうね。

    一度、当時うちの県に住んでいたNLP系のカウンセラーさんを電話帳で探してうっかり行ってしまったことがありました。「つらいことを忘れる絆創膏程度の応急処置」を教えてもらいました(あまり効き目なかったですが(^_^;))。部屋にはシャーリー・マクレーンの「アウト・オン・ザ・リム」が。後にその方の弟子のような人にまたうっかりカウンセリングを受けたんですが、高価な前世療法のセミナーを薦められ断り、2度と行きませんでした。

    彼女らはグループを作っていて、1回ニュースレターが届いたのですが、「クライアントさんたちは綺麗な自分のボトルを手に入れました」みたいな紹介が、あるカウンセラーについてされていました。

    さらに、スピ系の翻訳で有名な山川夫妻を招き、女性センターで講演会を開いたので同業者として偵察に。独特の雰囲気の方々がいましたね。

    自分探しが好きな方々は、こういうところに集まっているのかなあ、と思った次第です。

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    1. >hirokoyoshidaさん
      「自分探し」という言葉は俺も20歳の時に使ったことがあります。福岡から郷里までの200キロ近くを自転車で帰省したことがあって、友人たちからは「は!?」みたいな反応をされて、そこでまぁ半ば照れ隠しだったんですが。
      今はなんだか本気で「自分探し」なんて言っている人がいるような気が……、それも20歳こそこそじゃなく、30歳にもなろうかという人が時どき言っているような……。

      見ろ、嗅げ、そして息をしろ。
      そこに自分があるじゃないか、と。

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  7. 心の専門家はいらない。小沢牧子著 洋泉社 新書です。
    一読の価値あります。2002年で若干古いけど、古くない

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