為末さんのこの発言を敢えて弁護するが、彼はあくまでも「自己責任かつ極端な不健康生活」を対象にツイートをしたのだろうと思う。不健康に暮らす人が一定数いてもいいが、その人の保険料は健康な人も負担している— 為末 大 (@daijapan) 2017年7月19日
ただ、そこで彼に振り返って欲しいのは、いわゆる「アスリート」のストイックなトレーニング生活は、決して健康生活ではなく、むしろ「自己責任かつ極端な不健康生活」になりうるということ。
たから、為末さんは、
「不健康な人の保険料は健康な人も負担している」
これをアスリート仲間にこそビシッと言って、こう付け加えるべきなのだ。
「あなたたちがストイックで不健康なトレーニングに打ち込めるのは、保険料を負担している多くの健康な人たちのおかげなのですよ」
為末さんに反対する人は多かった。そして、『言うに事欠いて「一定数いてもいいが」ですか』という意見に対して彼は、
と答えていた。だが、これはブーメランのように、はい、一定数なら耐えられますが、全員が不健康な生活をして病気になる確率が高まり保険料があがるともたないと思います https://t.co/JMRZY74kWI— 為末 大 (@daijapan) 2017年7月19日
「国民の全員がアスリート生活したらもたない」
と返ってくるのではないか。男性が全員力士、女性は全員マラソンランナーの国は、確実に滅びるはずだ。
それから、「不健康な人が一定割合以上になるともたない」というのを突き詰めると、
「一日の睡眠は何時間から何時間まで、食事は身長あたり何キロカロリー、運動時間は何十分、等々、国の発展のため、あるいは国の衰亡を防ぐため、生活を細かく決められ監視される社会」
が見えてくる。まるでオーウェルの小説『1984』のようだ。
おそらく、極端に破滅的な不健康生活(アスリートを除く)をする人は、一定割合以上にはならない。それは、極端にストイックなトレーニング生活を送るアスリートが一定割合以上にはならないのと同じだ。正規分布ではないにしても、「極端」なものが、限られた割合以上にはなることはないだろう。
この話題に関連して「喫煙者からは保険料を多くとるべきだ」という意見についても考えてみる。この意見にはいくぶん賛成でもあるが、「不健康なことを自己責任でやっているから」という理由なら、「月のランニング距離がXキロメートル以上の人」など過度のトレーニングをやっている人からも保険料を多くとるべきだという理屈にならないだろうか……。
個人的には、「不健康生活が医療費を圧迫しているぞ、このままだともたないぞ」と警鐘を鳴らすよりは、「コンビニ受診が医療を圧迫しているぞ、このままだともたないぞ」と指摘するほうが事実に近いのではないかと思う。
<参考>
為末大氏「不健康に暮らす人が一定数いてもいいが、その人の保険料は健康な人も負担している」が炎上の件
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