2017年8月3日

両親の面倒を最期までみますか? 自分や家族の介護や死に想いをはせるノンフィクション 『満足死 寝たきりゼロの思想』


両親の面倒を最期までみますか?

この問いに「ハイ」と答えたのは、イギリス人が50%、ドイツ人が62%だったのに対して、日本人は75%と高かった。ところが、実際に親が寝こんだときに最期まで面倒をみたかどうかを調査すると、イギリス人が40%、ドイツ人が50%だったのに対して、日本人はわずか20%だったそうだ。

本書はノンフィクション作家の奥野修司が、高知県佐賀町で「満足死」という取り組みをしていた疋田医師に密着取材したものである。疋田医師は50歳で佐賀町に移り住み、90歳で引退するまでの40年間、へき地医療に従事する中で、患者本人が満足して他界する「満足死」というものを追求した。

似て非なるものに「尊厳死」があるが、尊厳死より「患者本人の主観」を重視したのが「満足死」である。

疋田医師は歯に衣着せずこう言う。
「だいたい嫁をはじめとして、家族がお世話してくれるのは一ヶ月です。バカ息子でも一ヶ月はしてくれます。一ヶ月すぎると、早う死んでほしいとは言わんけど、粗末に扱われると思ったほうがよろしい。これが二ヶ月、三ヶ月になると、現実問題として、お世話する側に困る人が出てくる」
また、疋田医師は「人間は三度死ぬ」という話で、健康でいることの大切さを説く。三度の死は、まず「他人に貢献できなくなる社会死」、次に自分の生活を維持できなくなる「生活死」、最後に心臓が止まる「生物死」。そして、「生活死」と「生物死」の間をいかに短くするために健康を保って、衰えたと思ったらポックリを目指そうというわけだ。「生活死」と「生物死」の間がおおおそ1ヶ月くらいだと、「ポックリ逝った」という印象になるようだ。

自分や家族は、介護や死とどう向き合うのだろうか。どういう介護をして、あるいはされて、どこでどうやって死ぬのだろうか。はたして自分は「満足死」できるだろうか。家族を「満足死」させられるだろうか。いろいろなことを考えさせられる本だった。

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