2012年11月25日

アリとキリギリス ~ある音楽家の物語~

暑い夏の日。

アリたちは一生懸命エサを探しています。そんなアリたちを見てキリギリスたちは笑いました。
「君達、暑くないのかい?」
アリたちはエサを探しながら、口々にキリギリスに応えました。
「今働かないと、冬が大変だと思うよ」
「暑すぎるせいか今年はエサが少ないんだ」
「君たちは働かないのかい?」
それを聞いたキリギリスたちは、バイオリンを弾く手も休めず言いました。
「僕たちの仕事はこれだもん」
そしてバイオリンの音色をアリたちに聞かせたのでした。音楽にさして興味のないアリたちは、キリギリスたちを無視してエサ探しを続けました。

さて、冬になりました。凍えて今にも倒れそうな一匹のキリギリスがいます。キリギリスはよろよろとアリの家まで行きました。ドアをノックすると、アリが一匹出てきました。
「何だい?」
キリギリスは寒さで歯をカチカチ鳴らして言いました。
「エ、エ、エ、エサを、わ、わ、わ、分けてもらえないかな」
アリは首を横に振りました。
「君は夏の間、仕事もせずに遊んでいたじゃないか。自業自得さ」
キリギリスは寒くてたまりませんでしたが、反論せずにはいられませんでした。
「だって、ア、ア、アリ君。バ、バ、バ、バイオリンが僕の仕事なんだよ」
アリは軽く鼻を鳴らしながら言いました。
「フン、そんなの言い訳にすぎないさ」
「そ、そ、そうかもしれない。だ、だ、だったら、エサはいらないよ。せめて中に入れてもらえないかな。そ、そ、外は寒くて凍え死にそうなんだよ」
アリはキリギリスを冷ややかに見ながらドアを閉めました。キリギリスはもう歩く気力もなく、その場に座りこみました。夏の生活が走馬灯のように思い出されます。夏の間、キリギリスは一生懸命バイオリンを練習していました。それが仕事だと思っていたからです。指にはタコができていましたし、バイオリンを強くはさむために左肩にはこぶのようなものができていました。仕事はバイオリンを弾くことだと思って、ずっと練習してきたのでした。
「ぼ、ぼ、僕は、な、な、な、何か間違っていたのだろうか」
キリギリスは小さく呟きました。その時、アリの家のドアがゆっくりと開きました。キリギリスが見上げると、さっきのアリが立っています。
「ア、ア、アリ君。どうしたん……」
寒さと疲れで、声は最後まで出ませんでした。アリはキリギリスに手を差し出しながら言いました。
「さぁ、立って」
キリギリスはありがたく思いながら手を伸ばしました。アリはキリギリスを立たせると言いました。
「こんなところでいつまでも寝転がられると目障りだから、早めにどこか別の場所に行ってくれないか。死ぬならうちの前ではやめておくれ。縁起が悪い」
そう言ってアリはキリギリスの背中を押しました。よろめき倒れたキリギリスの背中にアリは言いました。
「道楽でやってるもので生きていこうなんて甘いんだよ」

キリギリスを追い払ってから数ヶ月。厳しい冬が終わりました。冬の半ば、アリの家では食料が尽き、ついには共食いということもありました。そうして生き残ったアリの中には、あのキリギリスを追い払ったアリもいました。
「飢えに耐え、共食いまでしてしまった。僕の触角も一本食べられた。足だって四本になった。それでも今生きているということは、これは勝ったということだ」
春の陽を浴びながら、アリはそんなことを考えました。そして去年と同じようにエサを探していると、どこからかバイオリンの音色が聞こえます。アリが音のする方へ行くと、そこではキリギリスがバイオリンを弾いていました。
「やぁ、君はいつかのアリ君じゃないか」
キリギリスがバイオリンを弾く手を止めて言いました。冬のあの日、アリが追いかえしたキリギリスのようです。
「僕がこうなれたのは君のおかげなんだよ」
それを聞いて、アリは首を傾げました。キリギリスは朗らかに笑いながら、
「君に追い返されたあの日、僕は一生懸命やっているつもりだったバイオリンが、実はただの趣味の範囲でしかなかったことを悟ったのさ」
と言いました。アリはこの状況で何を言うべきか分かりませんでした。ただ、触角が一本、足が四本になった自分の姿を、キリギリスに見られたくない思いで一杯でした。
「僕のバイオリンは、去年の夏は誰の心にも届いていなかった。だから君には道楽にしか見えなかった。それに気づいた、いや、君に気づかせてもらったんだよ。僕は寒い冬を飢え凍えながらでも、心に届くようなバイオリンの練習をすることに決めたんだ。死んだって構うもんかって、そう思ってひたすら練習したんだよ。指は裂けて血が出たし、肩のこぶだって大きくなった、首がまわせないほどにね。お腹はすきすぎて夢と現の境で演奏していたようなもんだった。だけど、その音がテントウムシさんたちの耳に入ったんだ。食べ物はないけれど暖かい場所だけならということで、僕を彼らのねぐらに呼んでくれたのさ。そのおかげで、なんとか冬は越せたんだよ」
アリは何も言わず、黙って話を聞きました。もう、どうでも良いような気がして、アリは横になりました。日の光を浴びながら横になったのは、生まれて初めてでした。お日様が出ている間は働くものだと信じていたからです。
「空ってこんなに青くて大きかったのか」
アリは小さく呟きました。キリギリスは何も言わずバイオリンを弾き始めました。バイオリンを聴きながら、アリはオイオイと声を出して泣きました。そして、ゆっくり目を閉じました。
「君が目を覚ますまで、側でバイオリンを弾かせてもらうよ。僕は、バイオリン弾きだから」
キリギリスのバイオリンは一週間もの間、野原に鳴り響きました。それから徐々に弱くなり、とうとう聞こえなくなりました。

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