2012年11月23日

さかもと未明の騒動から、「公共」とはなにかを考える

子どもの声が騒音か否かは置いておいて、公共とはなにかを考えてみたい。俺が思う「公共」は「みんなのもの」である。この「みんな」には、赤ちゃんから老人まで、場合によっては胎児も含まれる。決して、一部の分別ある(あるいは自分は分別があると思い込んでいる)大人だけのためのものではない。

例えば、こういう場面を想像してみよう。赤ちゃんから大人・老人まで集まり、非常に広くて頑丈で重い板を持ち上げて、ある地点から別の地点まで移動しなくてはいけない。この移動ができるのは一回きりで、そこで移動できなかった人は以後ずっと置き去りにされる。このとき、(俺が思う)普通の感覚の大人なら、赤ちゃんや動けない老人を板の上に乗せて、残った大人や子どもがそれぞれ力を出し合って皆が移動できるように試みる。要するに、「できる人」が「できない人」をカバーしよう、というもので、これが「公共」と相通ずると思う。

子どもの声で言えば、赤ちゃんは泣くのを我慢することはできない。だから、泣かなくて良いようにまず親が頑張る。それでも、どうしようもないことは多々ある。その時は、周りの大人が頑張る。「我慢する」と考えるから、なんだか被害を受けているように感じるのかもしれない。一緒に生活するために、できる人ができることをしている、ただそれだけ。そんな風に考えられないものだろうか。

それなら子どもを好き放題に遊ばせていいのかというと、それも違う。マナーやエチケットというものを教えていくのも大人の義務だ。上記した板の例えでいうなら、歩けるようになるまでは見守り、歩けるようになったら今度は一緒に板を持って歩くことを教えないといけない。「自分はそんな板なんて持ちたくない」と言う子どもがいたら、厳しく指導しなければいけない。公共とは、つまりそういうものじゃないのかと思う。

話題になっている漫画家・さかもと未明は、この「頑張る」ということをしなかった。かつて自分が子どもだったころに周りが頑張っていたことを忘れたのか、自分も一緒に頑張るということを指導されなかったのか、あるいは指導されたけれど身につかなかったのか。シートベルト着用というルールを破って走り出すなど、泣く赤ちゃん以上に赤ちゃん的な行動だろう。

「公共」は、「みんなのもの」。子どもは子どもなりにできる範囲で支えれば良いが、大人は大人として精一杯支えなければいけないのだ。

以下、公共とはなにかという議論とは少しずれる。mixiで同じ日記を書いたところ、
「相互扶助とマナーとは別の考え方であり、泣く子を連れてまで飛行機に乗らないようにする親の頑張り(自重する気持ち)が必要である。電車は途中下車、新幹線はデッキに出ることが、自動車は休みながら目的地に行くことができる。しかし、飛行機は到着するまで身動きできない。飛行機しか方法がないのなら諦めるのが一番であり、親の都合で赤ちゃんに辛い思いをさせて遠方へ移動したり、周りに迷惑をかけたりするのは違う」
といった意見があったので付記しておく。いささか議論が錯綜してしまうので、この意見に対しては「遠方への移動が親の都合なのかどうか」と「短時間の飛行機より、長時間の電車や新幹線や車の方が赤ちゃんは楽なのかどうか」という部分には触れないようにして、移動する権利、すなわち「交通権」(Wikipediaリンク)というものに軽く言及するにとどめた。この権利を制限、あるいは「自重」という暗黙のプレッシャーで規制することは許されないだろう。もし電車や車だと席を離れたり休憩できたりするから楽だというのであれば、むしろ「赤ちゃんの泣き声に耐えられない人」が、そのような交通機関を利用するように心がければ良いのだ。

<参考>
漫画家さかもと未明氏のクレームで表面化……子どもの声は「騒音」なのか?
さかもと未明さんの乗り物マナー騒動に思う。「乗り物で、赤ちゃんが泣かない国もある」

2 件のコメント:

  1. 「赤ちゃんの泣き声に耐えられない人」ほど、飛行機を選ぶのだと思う。まさか飛行機に生後数カ月の赤ちゃんを乗せているとは思わないから。
    少なくとも私はそう思うし、自分自身そうした。
    遠くに嫁ぎ、帰省手段は飛行機が便利ではあったが、子供が小さい頃は避けた。単純に、万が一でも自分がよそ様に迷惑をかける立場になりたくなかったからだ。
    つまり、泣き声は"許せても迷惑"だと思うのだ。
    そうやって、二人の子供を成人まで育て上げた。
    時代だろうか…、先生のお考えに驚いた。
    かわいい赤ちゃんが生まれたばかりの先生には、なにを言ってもわかってもらえないかしら(^_^;)

    あ、だからと言って私は未明さんのように母親や航空会社に文句などいいませんよ。我慢、じゃなかった、頑張ります(笑)。


    返信削除
    返信
    1. >じゅんこさん
      このあたりは考え方の違いなのかもなぁ、と思います。単に子ども好きか否かというのとも違う気がするし。俺はもともと子どもの泣き声はそう気にしないほうですが、例えば5歳過ぎくらいで静かにしないといけない場所をわきまえずに騒いでいたら、見ず知らずの子どもでも注意する可能性があります。そういう子どもの親に一番腹が立ちますが。

      また、赤ちゃんの場合、泣くのは仕方がないと思っています。子どもができたからではなく、もともとそう思っているのは、もしかしたら自分が長男で、従兄弟らもみんな年下だったから、子守り慣れ、泣き声耐性のようなものがあるのかもしれません。

      飛行機に子どもを乗せるのは、時代でしょうね。以前ほど飛行機が高価なものでなくなって、むしろ新幹線より安くて楽なこともある時代ですから。自らが他にかける「迷惑」を予防するために自粛するのは良いことだと思います。でも、他者の行為について「迷惑」を理由に自重を求めるのは違うかなぁ、というのが本エントリの最後の方の主旨です。

      削除

コメントへの返信を一時中止しています。
一部エントリでコメント欄に素晴らしいご意見をいただいており、閲覧者の参考にもなると思われるため、コメント欄そのものは残しております。
また、いただいたコメントはすべて読んでおります。