2017年12月19日

相手の表情を読むのが苦手な人について

放射線画像を「読む」には大まかな作法がある。その作法に則れば見落としがない、というわけではなく、知識や経験が大切で、何より「最低限のセンス」が必要である。このセンスは、一部の医師だけが持つものでなく、「一部の医師だけが持たない」ものである。

この「最低限のセンス」を持たない人は、おそらく絵も苦手だ。医学部の組織学や病理学でのスケッチも下手。病理スライドを見ても、どれも同じに見えてしまう。こういう人は、皮疹の鑑別も上手くできないだろう。

これは実は俺のことだ。俺も「最低限のセンスを持たない」うちの一人で、理論がしっかりしているはずの心電図も不得手。脳波はかろうじて「極端な異常」なら拾えるレベル。こうした視覚系の検査に比べて、血液生化学検査は数値がはっきり出てくるので、地道に追えば確実に読める。だから、好きだ。

ところで、相手の表情を読めない人というのは、きっと俺が放射線画像や病理スライドを前にした時のような感覚になるのだろう。体系的に読む作法を身につけ、知識や経験を積み、多少は読みとれるようになったとしても、「最低限のセンス」の欠如のせいで、他の多くの人のようにきちんと読みとれているとは言い難い。

すべてを完璧にできる医師はいない。だからこそ、医療は各科・各医師がカバーしあうことで成り立っている。同様に、すべてを完璧にできる人はいない。互いにカバーしあうのが大切なのは、社会でも家庭でも、どこに行っても同じである。

画像が苦手な俺でもきちんと追える数字で見える血液検査を、もっと勉強したいと思って購入。すごく良い本だった。

2017年12月18日

医師には物足りず、素人には少し難しい。これは誰が読むべき? 『脳と神経内科』


面白くはあったけれど、医学の勉強を叩き込まれた医師が読むぶんには少し物足りない。とはいえ、まったくの医学素人にはちょっと難しいかもしれない。

では、どういう人に向いているのか。

ずばり、医療系学生。

今まさに基礎医学や臨床医学を勉強している人にとっては、学んでいることが病気や治療とどう結びつくのかが見えてきて、本も楽しく読めるし、勉強そのものも楽しくなるはずだ。ただし、発行年が1996年とやや古く、当然ながらこの20年間で分かったことは記載されていないし、名称が変わった病気(痴呆)などが古いままなので、そのあたりはきちんと分かったうえで読むべし。

2017年12月15日

ヤンデル先生の白熱臨床(?)哲学教室 『症状を知り、病気を探る 病理医ヤンデル先生が「わかりやすく」語る』


自分や家族の病名をググったことはないだろうか。医学部でやる「病気の勉強」はこれに近い。A病にはaという症状があり、B病にはbという症状がある、といったことを覚えるのだ。

病名ではなく、「腹痛、発疹」「頭痛、目まい、右に傾く」など、気になる症状を並べてググり、出てきた病気から当てはまりそうなものに目を通す。これも経験ある人は多いだろう。臨床医が診察しながらやっていることはもう少し複雑だが、おおむねこれに近い。

本書では前者と後者をつなぐ「症状」に着目し、その症状が「なぜ起こるか」を解説し、そこから病気を「探る」ことを目指している。より正確に言えば、「探る姿勢」を身につけることを目標にしている。決して病気を「教える」「知る」を目的とはしていない。

本書のメインテーマである症状の説明は非常に「わかりやすい」。ただ、医学部で基礎から学んだ臨床医の端くれとしては、特に目新しいことはなかった。もともと看護「学生」を対象としたものなので、当然と言えば当然である。

素晴らしいのは、ヤンデル先生の臨床(?)哲学だ。ヤンデル先生は病理医だが、
「あれ? ヤンデル先生って臨床医でもあるんだっけ?」
そんな錯覚すら抱くほどに「臨床で大切な感性」が繰り返し語られている。常日ごろから「言葉にすることが大切」と思っているだけに、ヤンデル先生の「わかりやすい」言語化には頭が下がる。

たとえばこんな感じ。
患者さんは、虫垂炎という病気ですよと「診断される」ために病院に来ているわけではない、ということです。患者さんは、自分の痛みを取ってほしい、苦しさから解放してほしいと思って、病院に来ているのですから。
痛みに苦しむ患者さんが一番最初に受けるべき治療は、医療者が患者の苦しみおしっかり受け止めるぞ、という姿勢を見せることです。
患者さん自身の診断を、素人考えだといって却下してしまってよいのか。そうではありませんよね。
患者さん自身がどう思っているのか、どいうのは、多くのヒントを含んでいる、とても大切な情報なのでしたね。
患者さんが最初に口にする、「気になること、自分の痛みを自分で解釈してしゃべること」にはある程度の真実が必ず含まれています。ですから、まずは傾聴することです。(中略)
傾聴してから、聞き出す。非常に大切です。繰り返しになりますが、最初から質問攻めにしてはいけません。
症状や徴候について。
これらはいずれも診断の一助となります。ただ、診断を決めるためだけでなく、患者さんをくまなく、優しく支える目線の一環としてアセスメントを進めることが大切です。
症状というのはそのまま「患者さんのつらさ」である。
多忙な診療や看護でついつい置き去りにされてしまう大切なことを、こうやって改めて確認することは、自らの診療・看護の鮮度を保つうえでとても意義のあることだろう。そういう意味で、すでに症状の病態について充分に理解しているベテラン医療者でも、一読の価値がある本だと言える。

ちなみに、ヤンデル先生はツイッターでの情報発信もされている(情報以外のことが多いが)。

ヤンデル先生のツイッターアカウントはこちら @Dr_yandel

2017年12月14日

精神科医が「みている」もの

診察室では、患者の言葉以外も観察する。外見や仕草はもちろんのこと、ニオイも観察材料である。

ある女性を診察していて、どこかで嗅いだことのある臭い(正直、強い悪臭)だと思ったら、実は別の男性患者と姉弟で、一緒に住んでいるとのことだった。なるほど、同じ臭いになるはずだ。

別のある日、診察室でガムを噛んでいる人がいた。数回の離婚歴あり。仕事は長続きせず転々としており、いずれも「職場の人間関係」が理由で辞めている。この人のカルテには、
「診察中、ガムを噛んでいる」
と記載した。この一文と生活歴を合わせて、読む人ば読めば、多くのことが伝わるだろう。

また、当院の診察室のドアはスライド式になっており、そのドアを閉めないままに着席して喋り出す人がいる。これだと待合室から丸見え、丸聞こえなのだが、それを気にする素振りもない。こういう様子もまた大切な所見であり、
「ドアを閉めず、いきなり話し始める」
といったことをカルテに記載する。

精神科医は、耳だけでなく目も鼻も用いて「みている」。

2017年12月13日

正常な反応としての不安や不眠 神田橋先生の『精神科講義』より

統合失調症の人に限らず、薬はなるべく少ないに越したことはない。ただ、薬で治療して良くなったから、それでは少しずつ薬を減らしましょうとなると、ちょっとしたことで不安になったり動揺したりする。
「だから薬は減らさないで欲しい」
という患者は多い。むしろ薬を追加するよう求められることもある。

あるとき、
「親と大ゲンカして、イライラしたり眠れなくなったりする」
という人がいて、その不眠やイライラを鎮めるための薬が欲しいと言われた。はいそうですか、と薬を追加するようなことはあまりしたくない。それよりは、
「親とケンカして、イライラするのは当然だし、それで眠れなくなるのも不思議ではない」
ということを伝え、どうしてケンカになるのか、どうやったらケンカせずに済みそうか、そういったことを話し合いたい。

こうして今までやってきたことを後押ししてくれるような文章に出会った。
ひとりで生活できるようになると、どういうことが起こるかというと、周りのいろんな出来事に対して不安になってきます。動揺したり、迷ったりするわね。それをよく見て、周りの起こっている出来事とその人の不安がちゃんとつながっていたら、これは正常です。生きているということだね。
「そんなときはこうしたらいいかもね、ああしたらいいかもね」
と、コーピングを教えてあげれば、どんどん生活のレベルが上がります。
薬がたくさん入っていると、そういう周りの出来事に対して起こってくる些細な心の揺れとか、ご飯が食べられなくなったり、眠れなくなったりすることが一切起こらない。もう死んだように平穏だ。そして毎日「変わりません。よく眠れています」。そりゃ平穏でいいけどね。
不安になったからこそ嬉しいこともある、生きているわけだから。統合失調症の人がただ静かに日が暮らせるようにすればいい、ということじゃないんだ。