世の中には、
「可能性は無限大だ!!」
と能天気に主張したり他人を応援したりする人がいる。可能性が無限大だということは認めるが、可能性を実現させるための「能力」は無限ではない。人によって大きく違う。努力では埋められない部分というのは確実にある。
生来の能力の限界を無視しがちな人は、
「努力が足りない」「根性がない」「甘えだ」
といったことを平気で口にする。その根底には、
「自分ができることは、他人もできる」
という勘違いがある。この勘違いもしかすると、その人の謙虚さ、つまり、
「こんな自分だってやればできたんだから、他の人ができないはずがない」
といった気持ちに起因するのかもしれない。しかし、努力不足、根性なし、甘えるなと言われたほうはたまらない。ストレスを感じて落ち込むか、逆に荒れ狂うか、いずれにしても良いことはない。
あなたがイチローやマツイ、あるいはナカタやカズのようになれないのは、決してあなたの努力が足りないわけでも根性がないわけでもない。それと同じで、あなたが甘えだと責めているその人も、あなたのようには上手くできないだけだ。こんなに単純なことでも、自分や家族にあてはめて理解し、その人、その子に応じた環境を用意したりペースを合わせたりするのは、なかなかに難しい。
教員志望者としてこの疑問は前から持っていました。
返信削除運動でも芸術でも先天的な能力でものすごい差をつけちゃう人というのはいると思います。
追いつけないぐらいの高みにいる人もいます。
その人に努力で追いつけないのか追いつけるのか、あるいはそれを傍から見ている人間が決めつけていいのかいつも悩みます。
本人が悟ってしまえばそれでいいのかもしれませんが。
>匿名2012年6月26日 23:38さん
返信削除努力で追いつけないこともある、ということを教えることが残酷なのか、あるいは努力でなんとかなると鞭打つことが残酷なのか、このあたりは指導者の人生観も関わってきそうですね。
他人と比べず、「“君の最大限”に到達するには、君自身の努力が必要」というのはありそうです。