2018年9月20日

「発達障害」の人からみた外界と、彼らの内界を巧みに小説化 『夜中に犬に起こった奇妙な事件』


いわゆる「発達障害」、それもおそらく前に高機能とつくタイプの少年(高校生くらいか?)が主人公。彼の視点からみた外界の描写は興味深く、また彼の内界の描写が突然に(多くの読者にはそう感じるだろう)挿入されるのも、決して読みやすくはないが、こういう特性を持った人たちの感覚を追体験するようで面白い(現実には感覚の個人差が大きいだろうが)。

発達障害の人の家族、支援者が読むと、彼らへの支援のヒントが得られるのではなかろうか。もちろん、小説としてもそれなりに面白いものである。たいていの小説は読みながら主人公に感情移入するものだが、本書ではおそらくほとんどの人が主人公のクリストファーには感情移入しないし、できない。頑張ればできるかもしれないが、簡単ではない。これがまさに発達障害の人をとりまく現実であろう。そのあたりを、とても上手く計算して構成しているように感じた。

2018年9月18日

リンカーン・ライム・シリーズの9作目は電気が凶器だ! 『バーニング・ワイヤー』


脊髄損傷を負ってしまった犯罪科学者リンカーン・ライムのシリーズ第9弾。凶器は電気。

電気って怖いなぁ、なんてチープな感想を抱きつつ読んだ。これまでの作品が名作揃いだっただけに、ちょっとパワー不足を感じたことは否めないが、それでも決してハズレではなかった。

著者のディーバーは弁護士でもあるからか、どの作品にも社会問題が絡めてある。今回は日本でも話題の電力問題についてで、「自然派」の人たちへのちょっと皮肉のきいたセリフなどもあり面白かった。

2018年9月14日

絶望に寄り添うのは、絶望 『絶望名人カフカの人生論』


カフカのネガティブさに何度も吹き出してしまった。幸運にも、俺はまだ「絶望」というほどのものを体験したことがない。あるいは、もしかすると体験したけれど忘れているだけなのかもしれないが、いずれにしろ幸せなことである。

さて、カフカのネガティブさの中でも、俺のお気に入りはこれ。
将来に向かって歩くことは、ぼくにはできません。
将来に向かってつまずくこと、これはできます。
いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです。
しかもこれ、ラブレターの一節だというから驚きだ。

本書は、そんなネガティブ人間カフカの絶望名言を集めたもの。シンプルで読みやすく、ちょっと肩の力が抜ける感じがして良かった。

ちなみに、著者の頭木弘樹氏はツイッターもされている。
→ @kafka_kashiragi

2018年9月13日

残酷な結末を知らないまま、一生懸命に人生を歩んでいく女性の物語 『いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件』


2007年8月24日に起こった殺人事件。被害者は磯谷利恵さん。1976年7月の生まれで、当時31歳。俺の一学年下ということになる。彼女が2歳のころ、父親が白血病で亡くなり、母親が一人で必死に育て上げた女性だった。

そんな利恵さんが、面識のない男3人に強盗目的で拉致され、首を絞められながらも、「生きたい」「死にたくない」「殺さないって約束したじゃない」と抵抗し、コンクリートを砕くためのハンマーで頭を何度も殴られ、それでもなお絶命せず、とうとう顔に粘着テープを31周も巻かれ、さらにハンマーで40回以上も殴られ、そしてついに窒息死してしまう。

本書では、冒頭部分で彼女の最期の様子が描かれ、その後に彼女の生い立ちの話が始まる。それは彼女が生まれる前、両親の出会いにまで遡って語られる非常に丁寧な伝記で、読者は一人の赤ん坊が幼女から少女、女性へと成長していく姿を微笑ましく見守ることになる。ところが、読者は彼女の凄惨な最期をすでに知っているのだ。読み進めながら、「彼女の時間がここで止まれば良いのに」と何度感じたことか……。

本書では3人の男たちの裁判についても描かれる。これについては中身を知らないまま読んで欲しいので、ここでは触れない。ただ、司法の世界に対する苛立ちと不信感が強まったことだけは記しておきたい。

ノンフィクションではあるが、自ら語るはずのない被害者の内面・心情を記述しすぎているのではないか、という印象はある。それはノンフィクションとしてはマイナス点かもしれないが、こうして内面・心情を想像で補って描写したからこそ、読者は深刻に、より身近な問題として、この事件について考えられるのかもしれない。

とても辛い内容だったが、素晴らしい本だった。

2018年9月11日

怪物の独白が凄まじい 『フランケンシュタイン』


フランケンシュタインというと「頭に釘の刺さった怪物」を思い浮かべる人も多いかもしれないが、『フランケンシュタイン』はヴィクター・フランケンシュタイン博士の苗字であり、博士によって創りだされた怪物には「怪物」という名前しか与えられていない(これもまた「怪物」の哀しみを引き立てる)。

大雑把なストーリーは、ロバート・デ・ニーロの映画『フランケンシュタイン』がわりと忠実になぞっている。ただ小説では、怪物を創りだす工程についての記述はほとんどない。映画のほうが人体を継ぎあわせたり電気を用いたりと「もっともらしく」描かれていた。それもそのはず。この小説はいまから200年前の1818年に発表されているのだ。そんな古い時代に、これほどのものが書かれたのだから驚きである。

さらに驚くのは、この小説を書いたのが、当時まだ20歳だった女性作家メアリー・シェリーだということ。20歳! しかも処女作である。おそろしい才能だ。

構成は大きく三つに分かれており、まず怪物を生み出すまでのフランケンシュタイン博士の青春が語られる。次に怪物が、生まれてから博士に再会するまでの苦労を独白する。この部分が本当にすごい。苦しみや哀しみがひしひしと伝わってくる。後半は博士と怪物の静かなる対決で、現代人の感覚からすると怪物に同情的になるのではなかろうか。
「博士、可哀想じゃないか、どうにかしてやってくれよ!」


映画でも感じた切なさは、小説のほうがより強く滲み出ている。改めて、デ・ニーロの映画を観たくなった。