2018年4月30日

「共感」にいたるプロセス 神田橋先生の『精神科講義』より

共感について、神田橋先生は、
「思いやり」や「思い入れ」→「思い込み」→「洞察」→「共感」
という流れで進むと言う。このことについて、神田橋先生の言葉を使ってもう少し詳しく書く。
最初は「患者を助けたい、支えになりたい」と考える。その思いやり、思い入れの熱心さが昂じて思い込みになってしまう。
「分かる分かる、あんたの言うことはよく分かる」
みたいな。しかし、そこで立ち止まって、
「いやいや、他人のことなんてそう簡単には分からないぞ」
と考えると、ズレが見えてくる。これが洞察。そうすると、異質な部分が見えながら、ある部分については思い込みのときとは異なった「ジーンとする感じ」が出てくる。これが共感。
本章の中で、この「洞察」が生じるような質問の工夫の仕方が紹介してある。

まずは会話の中の「重要な言葉」に着目する。
「私がこうなったのは、結局母のせいだ」
と言われたら、「せいだ」が重要な言葉であり、
「母のせいって、どういうこと? もう少しそのあたりを話してみて」
と問いを返す。
「母は分かってくれない、だから私はこうなった」
ときたら、
「お母さんが分かってくれる、分かってくれない、というのをもうちょっと詳しく」
と返す。
次に頻度の多い言葉に注目する。
「私は古い人間だから」「私のこういうところが古いんですかね」
というように「古い」の頻度が多い人には、
「あなたの言う『古い』とはどういうこと?」
と尋ねてみる。

名著ときどき迷著。精神科を数年やってから読むほうが良いと思う。

2018年4月26日

ダッシュ村から、断酒村へ! 山口達也さんに期待すること

山口達也、30秒間頭を下げて謝罪 芸能活動を無期限謹慎
1月15日ころからアルコール関係で体が不調になり入院し、翌2月12日に退院。その日の昼から飲酒し、酩酊状態になり
典型的なアルコール依存症の人の行動じゃないか……。
入院理由は「肝臓の不調」とし、アルコール依存は否定した。
遠い芸能界の人の話だが、酒にまつわる事件なだけに他人ごととは思えず、同情を禁じ得ない。もちろん、今回は被害者がいるので「酔っていたから」で済まされる話ではないし、その点について厳しい処分があっても仕方がない。

入院時点では「依存症」の診断はつかなかったかもしれないが、現時点ではどうだろう。依存症という現実を受け容れ、断酒治療に踏み切るのが、本人にとって一番良いことではなかろうか。そして、ジャニーズ事務所も、高校2年生から所属している彼のことを大切に思うならサポートして欲しい。

今回の未成年女性への行動で彼から離れるファンはいても、彼が「病気だから」という理由でファンをやめる人はほとんどいないだろう。

TOKIOのメンバーと力を合わせて、ダッシュ村ならぬ断酒村を創ったら良いんだよ!!

冗談はともかくとして、マジメな話、彼ほどの発信力を持つ人であるから、今後この苦しい経験を活かして「アルコール依存症への啓蒙活動」に携わってもらえると、救われる人がとても多いはずだ。

山口達也さん。
そういう再起のしかたは、鉄腕ダッシュで多くの奇跡を起こしてきたあなたにしかできない、あなたにならできることなのかもしれません。
TOKIOでの活躍を待っています。

「アクション」と「イメージ」 神田橋先生の『精神科講義』より

診察室での会話においては、「アクション」(行動)には「イメージ」「言葉」「感じる」といった内省的なものを、逆に「イメージ」「言葉」「感じる」といったものには「アクション」を添えてやると良い。

例えばリストカットは典型的な「アクション」である。これに対して神田橋先生は、
多少カミソリに似たようなプラスチックの定規みたいなものを持って、患者さんに手首を切ったときの動作をどういう姿勢でしたのか、そのとき、どういう気持ちが流れていって、どういうふうになったのかを思い出させるんです。思い出させたら、それ以上なにも解釈する必要はないの。ただ「ああ、そういうことだったんだね」と言っとけば、だいたいリストカットはしなくなります。
実際に自分がやってみたとして、こんなに上手く行く気はしないが、そこは達人と凡人の差であろう。ただ、この考え方はすごく参考になるし、そして、根底にある優しさを感じた。神田橋先生はこうも言う。
家庭内暴力の患者さんに、「家庭内暴力をしてはいけません」とか言わんでね。そうではなくて、「あなたが棒で叩く気持ちと、その叩いた棒が当たった瞬間の気持をぜひ知りたいんだけど。あなたは研究してないだろうから、この次、棒を振りまわしたときに、叩くときの気持ちと当たったときの気持をよく観察しといて、治療の時に報告してね。そうすれば一緒に考えられるから」と言っておくといいです。
これもまた達人の技ではあるが、やはり内側にある優しさが感じられる。そして先生は上記二つについて、こうまとめる。
「アクション」というものは、傍らに「内省」が置かれると、興奮が一定以上にかきたてられず、むしろ基本的な「雰囲気」というものに目覚める。
ではこの逆、イメージにアクションを添えるにはどうやるか。
たとえば「あいつをぶん殴ってやりたかったんだ」と患者さんが言うとします。どのぐらいの強さでぶん殴ってやりたいかが分かるとずいぶんいいので、昔よくやってたのは、枕を持ってきて「殴ってやりたいっていう気持ちぐらい枕を殴ってみて」と言って、「ああ、そのぐらいなの」と言うようにするんです。
「落ち込んじゃう」と患者が言ったら、「落ち込んじゃう、という格好をして」というふうに言うと、アクションを通して本人のなかに無意識が明確化されるのです。アクションと言葉の相互作用が重要です。
精神科講義

2018年4月24日

一生のうち、カゼに苦しむ期間は合計で5年間!? 『かぜの科学 もっとも身近な病の生態』


一生のうち、鼻づまり、咳、頭痛、喉の痛みといったカゼ症状に苦しむ期間を合計すると、なんと5年間にもなるらしい。しかも、カゼのせいで床につく期間だけでも1年間というから驚きだ。たかがカゼ、されどカゼ。侮るなかれ。カゼ、恐るべし。

本書はそんなカゼについて、サイエンス・ライターである著者が分かりやすく書いたもの。あくまでも一般書であって、専門書ではない。しかも俺は感染症の専門家ではない精神科医なので、内容の真偽については評価できない。内容をまったくの鵜呑みにしてカゼ治療にあたるのも当然アウトだ。ただ、俺が一般人として、自分や家族にあてはめて考えるぶんには許されるだろう。

さて、コロラド大学デンヴァー校の小児科副部長ロットバート医師によると、

「第一次世界大戦時の塹壕以来、病原体がこれほど効率的に共有されている場所は現代の保育施設以外にない」

皮肉な表現だが、先進国においてはかなり真実に近いだろう。そういえば、我が家も長女が幼稚園に行きだしてから、本人、妻、俺という順番でカゼをひくことが増えた。次女、三女が生まれてからは、彼女らにもカゼは伝播している。

本書によると、アメリカ人は合計して年間10億回カゼにかかり、治療に何十億ドルもつかうらしい。また、カゼで病院にかかる外来患者は年間で1億人、欠勤日数は数億日にもなり、経済損失は推定600億ドル以上にのぼるらしい。子どもがカゼで欠席する日数の合計は1億8900万日。すごい数字だ。

ところで我が家では、ほぼ全てのカゼに対して、子どもに薬を使わない。大人は仕事や家事があるので、鎮痛・解熱目的でカロナール(アセトアミノフェン)は飲むが、結婚して以来、夫婦ともに総合感冒薬は飲んだことがない。

カゼ治療についても、本書にかなりあれこれ書いてあるが、結局のところ「有効な治療は明らかでない」という結論である。ただし、子どものカゼについて「総合感冒薬を使わないほうが良い」ことは繰り返し書いてあり、総合感冒薬以外の鎮咳薬などについても勧められてはいない。これには大いに賛成である。

本書の内容とは少しそれるが、実体験を少し。

最近、月1回の全科日直(休日の昼間、子どもから高齢者まで、すべての科の初期診療を行なう)をするようになった。そこで乳児や小児もみるのだが、咳や鼻水や微熱といったカゼ症状に対して、保護者が薬を欲しがることが予想以上に多くて驚いた。子ども自身はケロッとしていて重篤感がなくても、親としては咳や鼻水や微熱が気になるようだ。俺も三人の娘をもつ父なので、心配な気持ちはよく分かる。しかし、子どもは人形ではないのだから、咳も鼻水も微熱も出るものだ。軽微なカゼ症状よりも、不必要な薬を飲ませるほうが有害なことは知っておいて欲しい。また、そういう説明もできる限りやっている。決して「軽症で受診させるな」という話ではない。「せっかく受診したのだから、なにかお薬でも」というお土産感覚で処方箋を求めることは、やめておいたほうが良いということだ。

とても面白い医学系ノンフィクションだったので、多くの人にお勧め!!

2018年4月23日

患者本人にしてみれば、とても怖いと思う 『屋根裏に誰かいるんですよ。 都市伝説の精神病理』

「家の中に誰かがいる」
「知らない人が忍び込んできて悪さをする」
そんなことを訴える患者が時どきいる。

「冷蔵庫の野菜を新鮮なものに入れ替えられる」
「買い置きのゴミ袋を増やしてあった」
「床にこっそりホコリを置いて行く」
はた目には荒唐無稽に見えることを熱弁する姿が、おかしくも切ない。

そういった患者が薬を飲むとどうなるか。
「家の中に人がいるというのは、私の妄想だったみたいです」
となることはあまりない。それよりは、
「些細なことだし、もう気にしないことにしました」
と気持ちが緩やかになったり、
「最近は忍び込まれなくなりました」
そんな解釈をしてみたり、聞いていて微笑ましくなるようなことが多い。

そうしてしばらくすると、再び、
「先生、また家の中に人が……」
と言いだす。詳しく聴いてみると、案の定、薬をやめている。こういうことの繰り返しが精神科ではしばしば見られる。

そんな人たちと接することは、滑稽なようで切なくて、深刻なのに微笑ましい。彼らが上手くバランスをとる手伝いをすることは、医療者としてやり甲斐のある仕事である。


精神科医・春日武彦の本。一般の人が読んでも面白いと思う。