2016年9月30日

医師が一流になれるか、なれないか、その要諦は受け持った患者にもよる。患者によって医師も育てられるのだ。 『打撃投手 天才バッターの恋人と呼ばれた男たち』


打撃投手と精神科医は似ている。
一流の打撃投手は、いかに打者にとって打ちやすい球を多く投げられるか、打者の要求するコースに確実に投げられるか、とこれまで私は考えていた。(中略)
だが、これは土台と言うべきであって、それだけでは条件を満たさない。これにプラスアルファして、打者といかに意思の疎通をはかることができるか、という能力が必要だとわかった。(中略)
投げながら打者を育ててゆく、同時に打者に助言もする。ここに打撃投手の技術の神髄がある。
精神科医も、患者や家族が理解できる言葉を探りつつ、答えやすい質問を選んで投げかけ、その様子から言葉を選びなおし、質問の内容を変え、助言するときにも同じように配慮する。そして、打者である患者が病院外でヒットを打ってくれれば嬉しい。

また著者はこんなことも書いている。
打撃投手が一流になれるか、なれないか、その要諦は組んだ打者にもよる。打者によって打撃投手も育てられるのだ。
これを医師と患者に置き換えても、まったく違和感ないものになる。

医師が一流になれるか、なれないか、その要諦は受け持った患者にもよる。患者によって医師も育てられるのだ。

精神科医としてストンと納得のいく話を、落合博満の打撃投手だった渡部司がこう語っている。
打者が打ってくれた球がストライクなんです。打者が打ってくれるところに投げればいいんです。たとえボールでも、ワンバウンドしても、打者が打てばこれはストライク。
精神科でも、患者や家族の心に届いた言葉がストライクである。そして、届くような態度と言葉を選べば良い。たとえ不器用でも、下手くそでも、患者や家族に届けばこれはストライク。そういうことだ。

さて、前著『この腕がつきるまで 打撃投手、もう一人のエースたちの物語』では長嶋、王など往年の名選手たちがメインであったが、今回は松井秀喜、イチロー、清原和博といった自分と同世代の野球選手の名前がたくさん出てきた。その中でも印象に残ったのが、先日、覚醒剤で逮捕・起訴された清原和博のエピソード。巨人軍で清原の打撃投手をつとめた田子譲治の父親が、平成18年に他界した時のことだ。この当時、すでに清原は巨人軍を去っていた。
巨人軍から大きな花束が届けられたが、選手からは「選手会一同」という形で届けられた。その中に交じって一つだけ花束が別に届けられた。そこには「清原和博」と書かれてあった。清原とはそんな心遣いをする人間だった。
覚醒剤に手を出したのはバカだと思うけれど、清原の人物伝を読むと、この人のことを嫌いにはなれない。むしろ、叱りつつ応援し続けたくなる。

精神科医は専門書以外からでも学べること、学ぶべきことがたくさんあるので、「精神科専門書」だけでなく「小説」「ノンフィクション」「サラリーマン向けの本」などにも手を出すほうが良い。本書はその点でも素晴らしい一冊だった。

2016年9月29日

ヒーローとはなにか? スーパーマンを演じたクリストファー・リーヴによる自伝的エッセイ 『あなたは生きているだけで意味がある』


映画『スーパーマン』で主役を演じたクリストファー・リーヴは、1995年の落馬事故で脊髄を損傷してしまう。この時、リーヴは43歳前後。今の俺とほとんど変わらない年齢だ。

本書はリーブによる自伝的エッセイである。障害を負ってからの悩み、葛藤、怒り、失望、喜び、希望といった話が綴られている。

本文中には書かれていないが、リーヴは『スーパーマン』の撮影中に「ヒーローとはなにか?」というインタビューを受け、「先のことを考えずに勇気ある行動をとる人のこと」と答えていた。そんな彼が、事故後に同じ質問を受けた際に導き出した回答が胸を打つ。

ヒーローとはなにか?

「どんな障害にあっても努力を惜しまず、耐え抜く強さを身につけていったごく普通の人」

2016年9月28日

医療系学生は必携! 『病気がみえる 〈vol.7〉 脳・神経』


医療系の学生向けのテキストではあるが、卒後10年目の精神科医が読んで充分に勉強になる本だった(それだけ知識がなくなっている証拠でもある……)。

最初から最後まで分かりやすさに重点を置いてあり、イラストもカラフルで視覚的に理解しやすい。

このボリュームと内容で4000円であれば、充分にもとがとれる。最初から最後までザッと読み終えて、学生時代に出会っていれば神経系の勉強がもう少しスムーズだったかもしれないなぁ、なんて思った一冊。

2016年9月27日

麻疹、デング、エボラなど、感染症アウトブレイクや、その予防・監視についてよく分かる! 『パンデミック新時代 人類の進化とウイルスの謎に迫る』

トキソプラズマという寄生性の原虫がいる。これは一部では「ゾンビ虫」と言われているらしい。トキソプラズマをテーマにしたドキュメンタリを観たことがあるが、フランスではこの原虫に感染している人が多いそうだ。そして、この原虫に感染すると性格が変わり、特に「危険なことを好むようになる」のだとか。

このトキソプラズマはネコを終宿主とする。つまり、トキソプラズマにとってネコこそが、目指すべき理想郷なわけである。ところが、トキソプラズマは人間にも家畜にも、そしてネズミにも感染する。そして、ネズミに感染した場合、ネズミはネコを怖がらなくなる。それどころか、ネコの尿のにおいに引き寄せられるようになるそうだ。これは、トキソプラズマがネズミの行動を変えていると考えられている。

そこでふと思う。そういえば、ネコを何十匹も飼うような人が時々いるが、ああいう人たちも、もしかすると……。そう、実際に「クレイジー・キャット症候群」なんて別名もあるほどネコ好きな人たちは、トキソプラズマに感染しているのではないかという説があるそうだ。感染すると、ネコの尿のにおいに鈍感になるどころか、ネズミと同じで引き寄せられるようになるらしい。


本書では、このような微生物、特にウイルスの話をメインに、感染症、アウトブレイク、パンデミックについて解説してある。

興味深かったのは、著者が関わっている感染症監視システムで、「デジタル疫学」とも呼ばれる分野の話。ツイッターやフェイスブックといったSNSを利用して、感染症アウトブレイクを監視するのもその一つだ。「咳」「発熱」「痒み」などのキーワードを対象にチェックし、そういう語句がたくさん出ている場所、グループを重点的に観察することで、アウトブレイクを未然に察知しようという試みらしい。実際、グーグルの検索語句と検索者の地域などを解析したところ、かなり高い精度でインフルエンザの流行地域と一致したようだ。

記述は全体的に平易で、特に専門的で難しいという部分はなかった。これを書いている平成28年9月7日時点の日本では麻疹の流行危機が話題になっている。この機会に、一流の学者による一般向けの本書を読んでみるのはどうだろうか。

2016年9月26日

ちょっとした空き時間にもらい泣きしよう! 『もらい泣き』


冲方丁が「泣き」をテーマに連載したエッセイをまとめたもの。どれも良い話ばかりなのだが、最初の一話目があまりに良い話でインパクトがあり過ぎて、個人的にはそれを超えるようなものがなかったのが少し残念。

短いエッセイが33編もあるので、空き時間の読書に最適。

2016年9月23日

リオ五輪で男子リレーが銀メダルを獲った時、田舎の病院が目指すべき医療が見えた。 『銀メダルを目指す地域医療』

リオ・オリンピック、男子100x4リレーで日本は銀メダルをとった。他国チームは100メートル9秒台の選手たちで構成されるのに対して、日本チームに9秒台で走れる選手はいなかった。その日本チームが400メートルを37.60秒、平均すれば一人9.4秒である。

日本チームの勝因は、合宿までしてバトンパスを徹底的に鍛えたことだ。他国の陸上界でも、リレーで好成績を出すにはバトンパスを鍛えれば良いというのは重々分かっているらしい。ただ、金メダルをとったジャマイカでは、
「俺たち全員速いから、そんな練習いらないぜ」
というスタンス。また、日本と2位争いをしながらも、バトンパス時のミスで失格したアメリカは、選手の所属団体、企業の連携がうまくいかなかったり、各選手の「個人」意識が強すぎて、チームのための練習というのができないらしい。

これらは、地域の病院で働く人たちにとって、ものすごく励みになる話である。設備や個々人のスキルでは都会の一流にはかなわないとしても、連携強化によって都会病院よりも良い医療ができて、銀メダルがとれるということだ。また、都会の病院で働く人たちにとっても教訓的である。アメリカのように、セクションごとの縄張り意識や「個人」意識が強すぎて、連携ミスで失格、つまり医療ミスを起こさないようにしないといけない。

2016年9月21日

終末世界ものが“大”好きな人向け! 『ザ・ウォーカー』


デンゼル・ワシントン主演で映画化もされている小説。

核戦争後の荒廃した世界で、舞台はアメリカ。主人公イーライは「本」を持って西を目指す。この「本」というのは実は聖書で、「聖書であること」には大したネタバレ要素もないのに、ずっと「本」として記述されている。思わず、もったいぶりやがって、という気持ちになる。

全体的には大したひねりもないストーリーであるが、街の支配者であるカーネギーの言葉には痺れた。

このカーネギーは、核戦争が起こった時にはまだ少年で、今は必死こいて聖書を手に入れようとしている。実は聖書は、戦争後にすべて禁書として焼き尽くさてしまっていたのだ。その聖書について、カーネギーがこう力説する。
「あれは“ただの本”じゃない! “兵器”なんだ! (中略)まだガキのころ、親父もおふくろも、毎日、あれを読んでいた」
「あの“本”は、絶望している者、弱っている者の心を、掌握できる兵器だ。人々に活気や希望を抱かせることもできれば、恐怖で威圧することもできる。人民の心を意のままにあやつれるんだよ、あれさえあれば。その用途や効果は無限だ」
「支配の手をひろげていくには、あれがどうしても必要だ。あの“本”の言葉を説くだけで、誰もが言いなりになる。審判の日以前の指導者たちは、みんなそうしてきた。今度は、わたしの番だ」
実に鋭い指摘であり、この言葉こそ本書の核心であり、このセリフのためだけに本書があると言っても過言ではなかろう。

終末世界ものが大好きな人向け。

2016年9月20日

のどかな田舎で、主人公と木訥な人たちとが織り成す人間模様が良い! 『壱里島奇譚』


熊本の天草地方にある架空の島「壱里島」を舞台にした村おこしファンタジー。

ファンタジーの部分を妙に引っ張らず、サラッと描ききったところはさすが。こんなに早くネタばらしして大丈夫なの!? と思ったが、そのまま飽きることもなくラストまで読めた。のどかな田舎で、主人公と木訥な人たちとが織り成す人間模様が気持ちよく、また最後は少しジンときた。やはり梶尾真治にハズレなし。

2016年9月16日

時間のかかり過ぎる不登校生徒の診察をどうしたら良いのか

ルーキー先生がみている不登校の中学生。毎回の診察で、母と本人とが1時間ずつ喋るので、合計2時間もかかるらしい。保健診療を行っている一般精神科で、毎回2時間かかっていては他の仕事に支障が出る。そこで、今後どうしたら良いかとアドバイスを求められた。

まず、診察時間の長さを厳密に決めたほうが良い。具体的には、二人合わせて30分が限界と考え、それを二人に明確に伝える。

次に、その30分の使い方を二人に決めさせる。母10分、本人20分でも良いし、その逆でも良い。診察日によっては二人一緒に30分というのでも良い。これは毎回の診察前に、二人で話し合って決めてもらう。この「診察時間の配分について二人で話し合うこと」も、現在のギクシャクした母子関係にあっては、一つのコミュニケーションになる。しかも、テーマが診察の時間配分だから、あまり深刻にならずにすむのも良い。

そもそも、母子ともに、医師を相手に毎回1時間も喋るということは、家や学校でのコミュニケーションのとり方も、相手の都合を考えずに喋り倒すようなものかもしれない。1時間ずっと説教とか、学校で友だちの様子無関係に話しまくるとか。そういう習慣があるかもしれないこと、それを少し変えることを視野に入れてはどうか。

こういう時間設定をすると、診察の終わり間際になって、大切そうな、あるいは深刻そうな話題を持ち出されることがある。そういう時には、
「その話は次回にしましょう。あなたの持ち時間は決まっていますので、次は大切な話からするようにしてみましょう」
とアドバイスする。

一番大切なのは、「診察時間内に問題解決しようとしない」こと。たとえ週に一度の外来で2時間診察したとしても、家にいる時間の2%にも満たない。大切なのは診察と診察の間に、本人や家族が何を考えるか。こちらとしては、毎回の診察で本人や家族に考えるきっかけを何か与えられるかが重要になる。

俺からできるアドバイスはこれくらいで、あとは自分なりに勉強するなり、関係作るなりして頑張ってみなさい。

2016年9月15日

爆笑の連続! 『弱くても勝てます 開成高校野球部のセオリー』


開成高校は超進学校で、なんと毎年200人近くが東大に進学するという。そんな開成高校の硬式野球部が、平成17年の東東京予選でベスト16まで勝ち進んだ、という話を聞いた著者の好奇心が高まり、取材することになったようだ。

読んでみると、爆笑と感心の連続で、とてもではないが電車の中などで読めるような本ではなかった。例えばこんな感じ。
--野球って危ないですね?
外野を守る3年生にさりげなく声をかけると、彼がうなずいた。
「危ないですよ」
--やっぱりそう?
「特に内野。内野は打者に近い。近いとこわいです。外野なら遠くて安心なんです」
だから彼は外野を守っているのだという。なんでも彼は球だけでなく硬い地面もこわいらしく、そのためにヘッドスライディングができないらしい。打者も地面もこわいので隅のほうの外野にたたずんでいたのである。
また、あるピッチャーへのインタビュー。
--ピッチャーに向いていたんですね。
「向いてはいないと思います。僕には向いているポジションがないんです。向き不向きで考えたら、僕には居場所がありません」
監督がポジションを決める基準はシンプルだ。
・ピッチャー 投げ方が安定している。
・内野手 そこそこ投げ方が安定している。
・外野手 それ以外。

「これだけですか?」と私が驚くと「それだけです」と青木監督。
ある練習試合で、塁に出たランナーが牽制球でアウトになりまくる。どうやらピッチャーがモーションに入るとすぐに2塁に向かって走り始めるので、すぐに牽制で刺されてしまうのだ。
「ゆっくりスタートすればいいんだ!」と青木監督が叫んでも、彼らは動きがゆっくりするだけで、スタートを切るタイミングは早いのでアウトになった。「バカ」「バカ集団」「これをバカと言わずして何と言う、バカ」と青木監督。
こうして試合が進み、ついには、
監督も誰を叱ればよいのかわからなくなっている様子で、「そう、こうやって振るんだ! イチかバチか!」と相手校の選手のスイングをほめたり、「俺だけが気合いが入っているのか!」「さあやるぞ! 俺がなんでやるぞ! って言うんだ。そのこと自体がおかしい!」と自らを責めていた。そしてピッチャーがキャッチャーからの返球をジャンプして捕ろうとし、ジャンプから着地したところで捕球したりすると、「人間としての本能がぶっ壊れている!」「普通の人間生活を送れ!」と叫んだ。
青木監督の指導がいちいち面白い。
「必要なこと、思っていることを声に出す。声をかけられたヤツはそれに反応する。野球の監督がなんでそんなことを教えなきゃいけないんだ!」
ちなみに、この青木監督自身は、開成高校出身ではないものの東京大学卒業である。

もともとは「弱くても勝てます」というタイトルが、精神科医療の「下手でも治せます」に置き換えられそうで惹かれて買ったのだが、純粋に読書として非常に楽しい時間を過ごせた。とにかく面白くてお勧めの本。

期待しすぎて肩すかし…… 『運命のボタン』


『アイ・アム・レジェンド』が衝撃的に面白かったので手を伸ばした短編集、だったのだが、うーん……。

表題作の『運命のボタン』は面白かったが、それ以外はどうだろう……。これといって目立って面白い作品はなかったかな。

2016年9月14日

相手の表情を読むのが苦手な人について

放射線画像を読むのには、多少の我流・個人差はあるかもしれないが、大まかな作法がある。その作法に則れば見落としがないわけではなく、知識や経験が大切で、何より「最低限のセンス」が必要だと思う。このセンスは、一部の医師だけが持つわけでなく、「一部の医師だけが持たない」ものである。

おそらく最低限のセンスを持たない人は、絵画も苦手である。医学部の組織学や病理学でのスケッチも下手。病理スライドを見ても、どれも同じに見えてしまう。こういう人は、皮疹の鑑別も上手くできない。

これは実は俺のことで、俺も「最低限のセンスを持たない」うちの一人である。理論がしっかりしているはずの心電図も不得手で、脳波に至っては「極端な異常」なら拾えるレベル。
こうした視覚系の検査に比べて、血液生化学検査は数値がはっきり出てくるので、地道に追えば確実に読めて好きだ。

相手の表情を読めない人というのは、きっと俺が放射線画像や病理スライドを前にした時のような感覚なのだろう。体系的に読む作法を身につけ、知識や経験を積み、多少は読みとれるようになったとしても、「最低限のセンス」の欠如で、他の多くの人と比べればきちんと読みとれているとは言い難いのだ。

すべてを完璧にできる医師はいない。だからこそ、医療は各科・各医師がカバーしあうことで成り立っている。同様に、すべてを完璧にできる人はいない。互いにカバーしあうのが大切なのは、社会でも家庭でも、どこに行っても同じである。




画像が苦手な俺でもきちんと追える数字で見える血液検査を、もっと勉強したいと思って購入、未着、未読。すごく良い本らしい。

2016年9月13日

医師には物足りず、素人には少し難しい。これは誰が読むべきか? 『脳と神経内科』


面白くはあったけれど、医学の勉強を叩き込まれた医師が読むぶんには少し物足りない。とはいえ、まったくの医学素人にはちょっと難しいかもしれない。

では、どういう人に向いているのか。

ずばり、医療系学生。

今まさに基礎医学や臨床医学を勉強している人にとっては、学んでいることが病気や治療とどう結びつくのかが見えてきて、本も楽しく読めるし、勉強そのものも楽しくなるはずだ。ただし、発行年が1996年とやや古く、当然ながらこの20年間で分かったことは記載されていないし、名称が変わった病気(痴呆)などが古いままなので、そのあたりはきちんと分かったうえで読むべし。

2016年9月12日

ミステリではなくユーモア小説 『ジーヴズの事件簿 才智縦横の巻』


優しいが頭の悪い主人公バーティはイギリスの金持ち。バーティに仕えるのが、優秀で頭のきれる執事のジーヴズ。語りはすべてバーティ視点で、ジーヴズが難問珍問をサラッと解決していくという構図は、名探偵ホームズと同じような感じ。

「事件簿」とは言うものの、ミステリのようなトリックがあるわけではなく、基本的にはユーモア小説。イギリスらしい皮肉のきいた言い回しがあるかと思えば、ドタバタコメディのような展開もあり、ちょいちょい吹き出しながら読んだ。

面白かったけれど、続編までは読まなくても良いかな。

2016年9月9日

スマイル抜きで

「スマイル抜きで」

そう注文されたことがある。

二十歳のころ、福岡のマクドナルドでアルバイトをしていたときの話だ。

大学入学してすぐの五月。正式に採用される前の試用期間で接客の練習をやらされたが、どうにも自然に笑うことができなかった。ただ、一応の愛想笑いができたことと、人手不足だったこともあってか、本採用ということになった。

最初はガチガチだった俺も、レジ打ちなどは徐々に慣れていった。しかし、どうしても笑顔が難しかった。
「いちは君、笑顔は笑顔なんだけどねぇ。もう少し自然さが欲しい」
店長からも数回指摘された。

そんなある日のこと。レジに並んだスーツ姿の若い女性から、
「テリヤキバーガーセット、スマイル抜きで」
という注文を受けた。
「お飲み物は何になさいますか?」
と笑顔で尋ねたら、真顔で、
「スマイル抜きなんですけど」
と言われ、非常に困った。

商品を渡す時も、いつもの癖で笑ってしまった。
「スマイル抜きって言ってるじゃないですか。すいませんけど、店長呼んできてください」
俺は笑顔が凍りついてしまった。真顔と笑顔の中間でスタッフルームへ向かい、店長を呼んだ。
「スマイル抜きって頼まれたお客様に笑顔で応対してしまって……。 なんとなく怒らせたみたいで、店長を呼んでと言われました」
机で作業していた店長も表情を固くしてレジに向かった。

レジでは、さっきの女性が待っていた。 その女性を見るなり、店長が、
「えっちゃん、ひさしぶり~!!」
と言った。
「店長、おひさしぶりです~」
“えっちゃん”と呼ばれた女性は、満面の笑みでそう答えた。
「新人君みたいだったんで、からかってみました。笑顔も固かったし」
俺はホッとして、体の力が抜けた。店長が俺を見て笑っていたので、俺もつられて笑った。
「その笑顔だよ~、新人君」
“えっちゃん”も笑っていた。

後から知ったのだが、“えっちゃん”はエツコさんで、就職を機にアルバイトを辞めた先輩だった。エツコさんも入りたての頃は笑顔が固かったらしい。彼女は、店長や古株の先輩たちと仲が良く、「スマイル抜き」事件の後、バイトの飲み会に何回か参加した。

そうこうするうちに、俺とエツコさんは仲良くなって、友人とも、恋人とも、姉弟とも言えないような関係になった。俺は大学での出来事を相談したり自慢したり、エツコさんは仕事について熱く語ったり愚痴をこぼしたりした。週に二回くらい会っては、そういう時間を笑いながら過ごしていた。

その年のクリスマスはエツコさんと過ごしたし、初詣にも二人で行ったけれど、男女の仲にはならなかった。エツコさんは、いつも笑っていた。

翌年、二月の最初。エツコさんが東京に転勤することが決まった。やりたかった仕事に一歩近づけるらしい。その日は、二人して笑顔で乾杯した。

バレンタインデーも、ホワイトデーも、一緒に笑って過ごした。そして、三月末、とうとうエツコさんが東京に行く日になった。

博多駅、新幹線のホーム。

乗車口に来るまではお互いに色々と明るく話していたけれど、新幹線のつるっとした姿を目の前にすると、エツコさんが遠くに行ってしまうという実感がわいた。会えなくなるわけじゃないだろうけれど、会わなくなるだろうと思った。

新幹線に乗る直前、エツコさんが俺に右手を伸ばした。
「握手!」
初めて握るエツコさんの手は意外に温かかった。そして、エツコさんは、手に力を込めて言った。
「バイバイって言って。スマイル抜きで」
初めて見るエツコさんの泣き顔。スマイル抜きでと注文されたけれど、俺は自分なりに最高の笑顔を作って答えた。
「バイバイ!」

新幹線の窓に映る俺の顔は、最低の泣き顔、スマイル抜きだった。

2016年9月8日

「時間にルーズ」ということ

電子カルテでは、待っている外来患者の一覧画面がある。予約時間や受付時間、受付けしてから何分したかも表示される。

ここで、患者をどの順番で呼び入れるかの問題が発生する。11時予約なのに9時に受付けした人と、9時予約で9時15分に受付けした人は、どちらを先にすべきか。

俺は、予約より早すぎた人は後回しにする。それで文句を言われたら、
「次は9時に入れましょうか」
と勧めるが、たいてい断られて、次も11時を希望される。そしてまた早く来すぎてクレームをつける。

「時間にルーズ」というと遅刻がイメージされるが、自分の都合で「早すぎて待たされた」のにクレームつけるようなのも「時間にルーズ」なのである。

<関連>
正しい遅刻の作法

虐待からは、子どもだけでなく、親をも救わなければならない! 『虐待 沈黙を破った母親たち』


虐待する母を責めるだけでは不十分で、虐待から「子どもを救う」を一歩進めて「子どもと親を救う」という視点で語られた本。虐待は、子どもはもちろん、親もまた自らの虐待行為に悩み苦しんでいることが多く、そして親自身も過去に虐待の被害者だったということも珍しくない。

その実例として、4人の女性が挙げられている。それを読むと、彼女らが子どもを虐待する原因は、彼女らの親にあるのだという気がしてくる。しかし、よく考えると、同じ論理が彼女らの親にだって当てはまるはずで、親が彼女らを虐待したのは、親の親に問題があるのだ、ではその親の親はなぜ問題を抱えたのかというと親の親の親が……、こうやって諸悪の根源を探していくとキリがない。

では、今できることは何か。もう少し正確に言えば、「今の世代」でできることは何か。それは虐待の連鎖を断ち切ることである。そのためには、当事者だけでなく個々人が、まず「虐待」を知ることである。報道される残酷でセンセーショナルな虐待内容だけを見聞きして眉をひそめ、虐待する親を批難するだけでは何も変わらない。本書では、4人の事例を紹介した後、アメリカでケースワーカーとして働く日本人、弁護士、精神科医にもインタビューしてまとめてある。

一朝一夕に、劇的な改善というのはあり得ない。虐待してしまう親の「当事者会」に出会って、精神的に救われたと感じる親たちでさえ、やはりふとした時に虐待に向かってしまうことがあるらしい。それくらいに根は深い。だから、「今の世代で断ち切る」というのは不可能なのかもしれないが、少なくともそのための大切な一歩にはなれるはずだ。

本書は、虐待の悲惨な内容だけでなく、この「どうすれば断ち切れるか」という視点でも掘り下げてあるところが良かった。

2016年9月7日

精神科医は、プロ野球の打撃投手に似ている 『この腕がつきるまで 打撃投手、もう一人のエースたちの物語』


打撃投手は、バッターの調整のために存在している。プロのピッチャーが打たれないことを目的にするのに対して、打撃投手はバッターに「気持ちよく打たせる」ことが目標になる。自らが試合に出ることはなく、自分が調整役になったバッターが試合でヒットを打つと気持ちが良いし、打てないと落ち込む。

精神科医も、患者と症状、患者と家族、患者と社会などの間にたつ調整役のようなものだし、打撃投手の生き方から学べることも多いかもしれない。そう思って本書を読んでみたら、学ぶなんて硬いものではなく、ひたすら楽しい読書になった。

多くの打撃投手の生き様だけでなく、王・長嶋といった往年のスター選手の話もたくさん出てくる。それを読んで、彼らが野球のプレーだけでなく、人間的にも素晴らしい人たちだったのだということを知った。王や長嶋が引退して何十年たった今でも、熱いファンがいるのも頷ける。

野球ファンでなくても楽しんで読めるお勧めの本。

2016年9月6日

世界は続くよ、それなりに、厳しく、優しく、汚く、美しく 『アニバーサリー』


全3章から成る小説。主人公は東日本大震災の時点で75歳の晶子と、30歳過ぎた真菜。

第1章は晶子の出生時から戦前、戦中、戦後の暮らしが描かれる。これまでの窪美澄の作品からすると異色で、わりと淡々としていて、読者をグイグイひきつける感じではない。こう書くと、なんだか退屈そうだが、読んでみるとそうでもなく、時おり涙ぐみそうになった。子どもができてから、家族がテーマの話では涙腺が緩い。

第2章は真菜の出生から大震災後まで。真菜は俺よりちょっと下の世代なので、時代の雰囲気がよく分かる。この章では援助交際の話が出てくる。かつて、ただ軽蔑して卑下するだけの存在だった援助交際が、自らが父親になったことによって危機感や恐怖心を抱くものになってしまった。

第3章では、晶子と真菜の視点を交互に移しながら描かれる、いわば「まとめ」の章であるが、クライマックスといった感じでもない。第2章が窪美澄らしい、わりと派手でエロチックな内容だったので、第3章はどうしてもトーンダウンしたように感じてしまう。

全体を通じて窪美澄が訴えたいことは分かるのだが、晶子が75歳で、マタニティ・スイミングの指導者で、しゃきしゃき動きまわって、という強引な設定に戸惑ってしまう。物語のテーマを語るうえで戦前と戦後を対比する必要があり、そのために、戦時中の疎開を経験した人を主人公にしなければいけなかったのだろう……、というところまで考えてしまい、ちょっとだけ興ざめしてしまった。もちろん、そんな元気な75歳がいることだって分かってはいるんだけれどね……。

内容としては良かっただけに、ちょっぴり残念。

2016年9月5日

サディズム男たちの、たくさん笑えて、ちょっと切ない観察記録 『オンナ部 M嬢すみれのちんぴんファイル』 文庫化で改題 『エム女の手帖』


SMのM、つまりマゾのほうとして風俗店で働いた著者の体験エッセイ、という形式の小説、かな?
真っ白なスーパーカーで迎えにきた初めてのお客さんは助手席の私にいった。
「じゃ、浣腸しといて」
のっけからこんな感じで、何度となく吹き出しつつ、しかし、どの章をとっても、滑稽さと同時に哀しさと切なさが漂う、非常にエキセントリックかつ面白い本だった。

著者は泉水木蘭という女性。話の中身は具体的で、実体験した人でないと描けないようなものではあるが、多くの風俗嬢を取材することでも描写可能かもしれない。やけにデキすぎていて、まとまりすぎているせいで、小説のような気がしてしまう。また、著者のWikipediaにも風俗歴については触れられておらず、それも本書を「小説だろう」と考える理由である。

ちなみに、Wikipediaで知ったのだが、著者はお笑い芸人・小梅太夫の元妻。小梅太夫はまったく面白くなかったが、こんなセンスのある妻がいたのなら、ネタを作ってもらえば良かったのに……。チクショー!


※文庫版は中古しかないが、単行本は新品がある。古本が苦手な人は単行本かな。文庫のほうには松尾スズキによる解説があるようで、しかもそれが一読の価値あるものとのこと。

2016年9月2日

メール診療と「主治医イメージの賞味期限」について

抗精神病薬が登場する前のアメリカの精神科医サリヴァンは、「精神療法」のみで多くの統合失調症患者を回復させた、と言われている。患者の中には現代の基準では同病の診断には当てはまらない人もいたとは思われるが、なにはともあれサリヴァンは薬なしで治したらしい。

そのサリヴァンは、
「“Verbal therapy”というものはなくて“Vocal therapy”があるのだ」
と言っていたそうだ。つまり、精神療法にとって「言葉の意味」そのものは大事ではなく、治療者の声の調子や抑揚、テンポなどが重要ということである。これは多くの人が実体験で分かると思う。同じ「大丈夫だよ」と言われるのでも、それがどういう声の調子かによって、受け取る印象は大きく違う。

さて、少し話は変わり、精神科の主治医による「メール診療」が可能かどうか。結論から言えば、主治医による「メール診療」は、患者によって有効な場合もあるし、無効どころか有害な場合もあるだろう。「メール診療」が主治医の期待通りの効果を持つかどうかは、「患者がどれだけ主治医の姿と声を脳内再生できるか」にかかっている。

これは親しい友人、あるいは家族にメールした場合と似ている。そういう人たちから「バーカ!」とメールが来ても、その状況におけるその人の姿と声がありありとイメージできるので、それが呆れているのか、それとも温かみのあるツッコミなのかはすぐに分かる。その反対に親しくない人から、そういうメールをもらうと戸惑うはずだ。

ここで、メール診療をきっかけにして通常診療を考えてみる。

通常の診療で、診察が終わった後から次回の診察まで、「患者が主治医の姿、声、雰囲気をどれだけ覚えているか」というのは大切である。主治医の温かみや包容力や頼りがいなど、患者が抱いたなんらかのプラスイメージが、どれだけの期間その患者の中に保たれるか。それはいわば「主治医イメージの賞味期限」のようなものである。その賞味期限が、主治医が次回外来日を設定するにあたって大事になる。

冷蔵庫の賞味期限切れのものを食べる時に勇気がいるように、主治医イメージの賞味期限が切れた後で、病院へ行き診察室に入る、というのは、きっと少し勇気がいる。そして、いわゆる「患者の状態が悪い時」は、主治医イメージを保持するための余力も少ないわけだから、賞味期限は短くなる。こういう人に1週後の受診を指示する理由は、単純に言えば「状態が悪いから」なのだが、実は「主治医イメージが保たれる期間がそれくらいしかない」ということである。この賞味期限を読み誤って次回予約を長めにとると、その患者にとっての次回診察は、「初めて会うのとほとんど変わらない医者のところに行く」に等しいことになる。

そこで改めて「メール診療」に戻る。「患者が主治医の姿と声をありありと脳内再生できる」ような治療関係であれば、「メール診療」もそこそこ機能するのではないかと思う。また、これをある種の「賞味期限の延長装置」として利用するという方法もあるかもしれない。

「メール診療」(メールによる相談受けつけ)というのは一部のクリニックでやっているくらいで、今後もそう増えないと思う。これは単に医師が面倒くさいからということもあるが、もっと大きい理由は、今まで書いてきたように、精神療法とは「言葉の意味そのものでやることではないから」である。そもそも「言葉の意味」だけで治るのであれば、そうした言葉をまとめ上げた「秘伝の書」があるはずだ。

そう考えてみると、精神科医とは歌手みたいなものである。ただ歌詞を読み上げても、人を感動させることはできない。上手に歌えるからといって、聴き手の胸を打てるとは限らない。3歳の子が80歳の祖父に一生懸命にハッピバースデーを歌えば、それがいかに拙くてもこころに響く。要は、どういうステージを用意して、どんな声でどう歌い上げるかと、歌い手と聴き手との関係性が大切なのだ。なるほど、サリヴァンが「ボーカル therapy」と言ったのもうなずける話である。

2016年9月1日

人は人を愛したいし、人から愛されたい。たとえどんな境遇にあっても…… 『月桃夜』


江戸時代、薩摩藩から徹底的に搾取された奄美大島を舞台にした物語。

奄美の人たちはサトウキビを作ることを強制され、税として砂糖を納めなければならなかった。足りない分は、人から高利で砂糖を借りて上納する。貸し付けられた分を返せないと、ヤンチュという身分となって、貸し主の家の労働力となる。返済すればヤンチュからは抜け出せるのだが、もとが高利なので、抜け出せるものなんていない。そして、ヤンチュの子どもは「ヒザ」と呼ばれ、この子らは親が借金を返すか返さないかに関わりなく、死ぬまでその家の労働力、持ち物、財産として扱われることになる。

主人公は、ヒザであるフィエクサで、ヤンチュで血のつながらない妹サネンと二人で厳しい生活を生き延びる姿を描きつつ、兄妹としての愛情だけでなく、二人の男女としての恋情も、痛みや切なさを伴って描写してある。

全体を通して、搾取に喘ぐ人々の重苦しさが漂う。選考委員の椎名誠は、
「これだけ緻密に奄美を描いた小説は初めて」
と評したらしい。理不尽すぎる身分制度の中にあって、主人公らは逞しく、人を思いやる気持ちを失わない。そんな懸命な生き方に胸を打たれる。決して明るい話ではないが、日本ファンタジーノベル大賞の大賞を受賞したのも納得の作品だった。