2017年3月31日

「適度に」合わせることの難しさ

無意識に相手の動作をマネる「ミラーリング」「反響動作」は、どの文化・国でも見られる。また、どの文化・国にも、その構成員で共有される一定の仕草がある。これらの反響・共有が不足したり強すぎたりすると、相手に奇異な印象を与える。「発達障害」といわれる人たちのコミュニケーションでは、こうした反響・共有の過不足があるのではなかろうか。

統合失調症の患者でも、「おはよう」と挨拶しているのに「こんにちは」と返ってくるなど、ミラーリング不足を思わせる場合がある。「発達障害」の概念がなかった時代に、発達障害の人たちが統合失調症として治療されていたことを考えると、両者のミラーリング能力には似ているところがあるのだろう。

「一緒にいて居心地が悪くなる人」というのは、このミラーリングや文化的仕草の共有を適度にできない人なのかもしれない。ここで「適度に」と書いたのは、ミラーリングや仕草の共有は、「皆無」も「過剰」も相手の居心地悪さを引き起こすからである。

あるアメリカ人がテレビで、「日本人が『ハーイ! ハワユー!!』みたいなノリで挨拶してくると戸惑う」と言っていた。テレビや映画で見て想像している「アメリカ流」に日本人が過剰に合わせようとした結果、相手の居心地が悪くなってしまうのだ。

どの分野においても、「適度に」という曖昧な基準を達成するのはわりと難しく、精神科患者や小児を対象としたSST(社会技能訓練)でも教えるのに苦労する部分ではないだろうか。これは単なる予想なので、近いうちに心理士に確認してみようと思う。

2017年3月30日

次女ユウの喉に魚の小骨が刺さって、救外を受診した話

昨日の15時すぎ、妻から次女ユウの調子が変だという連絡があった。食べたものを吐きだしたり、咳をしたりするが、それが続くわけでもない。ユウは時々こういう演技めいたことをするので、今回もそんな感じなのかと考えていた。

帰宅してみても、ユウは元気そのもの。ただ、唾を飲みこまずに、溜めてペッと吐きだす。これも時々やる遊びである。妻に聞くと、
「昼ごはんで、手作りのオニギリを食べた時に急に泣き出して、その後はまた機嫌が良くなって遊んでいた」
とのこと。

長女サクラと次女ユウを風呂に入れながら、サクラに聞いてみた。
「ユウちゃん、お昼ごはんの時に泣いたの?」
「うん、泣いたよ」
「吐いた?」
「はいてないよ」
「なんのオニギリだったの?」
「シャケ」
……シャケ? 骨か?

風呂からあがって懐中電灯で喉を照らすと、軟口蓋に一ヶ所、小さな赤い点がある。これか? これだけにしては様子がおかしい。舌圧子はないので、妻と二人で体を抑えながらスプーンで確認。でもなにも見えない。次女のキツそうな様子に、だんだん「これは骨だ」という確信が強まり、21時を少し過ぎたころに勤務先病院の救外を受診することにした。

その日の当直はベテラン内科医のK先生だった。喉の奥に白いものがチラッと見えたものの、きちんとは確認できず、K先生が若手小児科の女医H先生に応援を要請。やってきたK先生も目視はできなかった。そこで、エスクレという座薬を用いて眠らせた後、耳鼻科用の細いファイバーを使って確認。

処置にあたって、三女を抱いた妻と長女サクラは外に出された。寝ているとはいえ、泣き叫ぶことがあるかもしれないし、辛い姿を見せるのは酷だという看護師の心遣いだった。

ファイバーで、喉のかなり奥に小骨が見えた。これをとるには……、
「ブロンコしなきゃだね」
ブロンコとは、気管支鏡である。

エスクレより深く寝せるため、ドルミカムという点滴を用いることとなった。小児科H先生が点滴をとり、ドルミカムで寝せて、K先生によるブロンコ開始。骨が扁桃の奥に、しかもとりにくい角度で刺さっているのが見えた。それを苦戦しながらも、決して時間をかけることなく、みごとに抜去! その瞬間、K先生、H先生、当直の看護師さん2名が、
「ワーッ!」
と歓声をあげた。それに重なって、俺も、
「あーっ! ありがとうございます!!」
と思わず大きな声が出た。

とれた骨は2センチ弱。オニギリを作るときに、妻はかなりたんねんに骨を除去しているので、昼間の時点ではまさか骨とは思わなかったとのこと。普段の食事でも、俺より丁寧に魚を処理して子どもにあげているので、今回の件で妻に落ち度はなく、敢えて言えば次女の不運だろう。もともとなんでも食べる良い子だが、咀嚼が足りなかったり、口に詰め込み過ぎたりと、食べかたに関しては毎回注意される子でもある。

不幸中の幸いは、当直のK先生が呼吸器専門で、気管支鏡の腕が良かったことと、当直看護師が普段は内視鏡室で勤務していて気管支鏡介助に慣れていたこと。

今回、身体科の先生は本当に凄いと実感した。点滴にしろ気管支鏡にしろ、患者の親であり同僚医師でもある俺が患者の抑え係という「医師としてはやりにくい状況」で、それぞれビシッと一発で決めた二人の姿は、ひたすらカッコよかった。

余談ではあるが、ユウがキツそうにしているのを見て、5歳のサクラが、
「ユウちゃんしぬの!?」
と明るく朗らかに尋ねてきたので、カチンときて、
「死なないよ!」
と強く答えてしまった。5歳だと、まだ分からないよなぁ……。でも、あの状況では「死」という単語を冷静に聞き流せなかった。ただ、その後のサクラはひたすら優しくて、次女がジュースを欲しいと言えば、妻と一緒に買いに行き、そこでは自分のジュースを欲しがることなく、
「あっ、ママ! ユウちゃんの好きなジュースあったよ!」
と飛び跳ね、その後はグズりだした三女をあやすなど大活躍。処置中には、外に漏れ聞こえるユウの泣き叫ぶ声に、
「ユウちゃん、かわいそう」
「もうユウちゃんと遊べなくなるの?」
そんなことを言って涙を流していたそうだ。もちろん、妻も泣いていたとのこと。

帰宅したのは12時過ぎだが、サクラは病院でも一切うたた寝せず、最後は寝る前の絵本読み聞かせまで求める通常運転。

そして今朝。

次女ユウはまだ寝ているが、昨日の夕ご飯を食べていないので、早朝からお腹がぐぅぐぅ鳴っている。微笑ましくて、愛おしい。妻も三人の娘たちも、まだ寝ている。こんな平和な朝が、これからもずっと続きますように。


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2017年3月29日

身体は一つ、心は二つ。奇妙な主人公の転落人生をユーモラスに描く 『バルタザールの遍歴』


日本ファンタジーノベル大賞をとった小説である。すごく珍妙な出だしで、これはもしかして損切りするのかもしれない、と危ぶんだが、結果としては満足のいく読書タイムであった。決してグイグイ引っ張るタイプではないが、なぜか惹きつけられて読み進めてしまう感じ。

主人公は、一人ぶんの身体にメルヒオールとバルタザールという二人の精神が宿った貴族の子。これは二重人格ではなく、二人で対等に会話するという不思議な状態である。そんな主人公(たち?)の、じわじわと転げ落ちていく人生模様を、決して悲劇的にならずに、かといってギャグ小説にもならず、主人公の回想録(主にメルヒオールが語るが、時どきバルタザールのツッコミが入る)という形式でユーモラスに描いている。

この作家は初めて読んだが、他のも買って読んでみようと思うくらい面白かった。

2017年3月28日

Mr.Childrenの『花 Memento-Mori』を初めて聴いたときのことを思い出す、藤原新也の対談・小文集 『沈思彷徨』


Mr.Childrenのボーカル・桜井和寿の、
「なんのことわりもなくシングルのサブタイトルにして、すみません」
という謝罪から始まる対談が掲載されている。

藤原新也といえば写真家である、と俺は思っているが、わりと多くの文章を書いている人でもある。本書は、そんな彼の対談や雑誌に載ったような短文を集めたもので、対談相手の一人がMr.Childrenの桜井和寿だ。

藤原新也の写真集『メメント・モリ』を初めて読んだのは、ミスチルの『花 Memento-Mori』がリリースされる1年ほど前だった。『花』を初めて聴いた時、
「あれ、これはどこかで……?」
とデジャブに襲われた。歌のタイトルを見ると「Memento-Mori」とあり、合点がいった。

桜井の謝罪に対し、藤原は「この言葉は僕が作ったものではないですから」と答えている。そう、「Memento-Mori」は藤原が生み出した言葉ではなく、古代ローマでも使われていた警句のようなものだという。その意味は「死を想え」あるいは「死を忘れるな」。

藤原の同タイトル写真集には、インドの川べりで犬が人間の死体を食べている写真がおさめられている。

「人間は犬に食われるほど自由だ」

という一文が添えられたその写真は、20歳そこそこの俺には衝撃的だった。この写真集は、何度も何度も読み直した。

その後、藤原新也の『東京漂流』も買ってみたが、これはなんだか面倒くさいことをこねくり回して書いているような印象で、あまり記憶に残らなかった。いま読むと、もしかしたら違う感想を抱くのかもしれないが。

Mr.Childrenの『花』が好きな人は、一度は写真集『Memento-Mori』も読んでみることをお勧めする。

ところで、この写真集を初めて読んでから15年後、手もとになかったので買い直した。そして、それから5年後、すでに手もとにない。いったいどこに、誰のもとに行ったのだろう?

必要な時に、必要な人のところに現れ、ふっといなくなる。

『メメント・モリ』は、そんな本なのかもしれない。

2017年3月27日

日航機墜落事故で遺された男性・男児たちの、当時とその後 『尾根のかなたに』


日航機が御巣鷹山に墜落したのは、小学校4年生のときだった。生まれて初めての飛行機、それも一人で乗った日である。

本書を読んで知ったのだが、当時、子どもだけで飛行機に乗るという「ちびっこVIP」というJALの企画が始まったようだ。もしかすると、俺が一人で飛行機に乗ったのも、このちびっこVIPを利用してのことだったのかもしれない。ちなみに、現在は「キッズおでかけサポート」という名前に変わっている。

墜落した飛行機には、俺と同じ小学4年生の男の子が乗っていたそうだ。生まれて初めての飛行機というのも同じだ。筑波万博を目指した俺に対し、野球が大好きだった彼はPL学園を応援するため甲子園に行くのが目的だった。俺が羽田に到着して、数時間後に123便は出発している。だから、俺はこの同級生や他の犠牲者とは羽田空港ですれ違っていた可能性がある。

この事故に関する本を読むのは4冊目。どれも涙なくしては読めないものばかりである。本書は特に、「遺された男性」に焦点を絞ってある。事故当時、それぞれ小学生だったり高校生だったり社会人だったりだが、こころに受けた衝撃が計り知れないという点ではみな同じだ。

家族ができてから、単身での出張が嫌になった。怖くなったというほうが近いかもしれない。もし自分の身に何かあったら、妻や三人の娘らはどうなるのだろう。そんなことが頭をよぎってしまうからだ。

墜落した日本航空123便は、異常をきたしてから墜落までに30分ほどかかっている。その間に乗客らが感じた恐怖や怒り、遺すことになる家族への惜別の念に想いをはせる時、事故から30年を経て父親にもなった俺の胸は、痛く強く締めつけられてどうしようもなくなる。

多くの人に勧めたい一冊。


<関連>
涙と、ショッキングと、そして恐怖 『墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』

2017年3月24日

地図は現地ではない。精神科医療において、「地図」と「現地」を結びつける役割をもつ訪問スタッフのための実践書かつ哲学書 『 精神保健と福祉のための50か条』


「地図は現地ではない」という言葉がある。

いくら地図に詳しくても、現地の空気感までは分からないということだ。同じように、精神科医が患者の情報にひたすら詳しくなっても、その患者の家の中、周囲の環境、そういったものを実際に見ないことには、「現地」としての患者を感じることはできない。

ところが、往診を積極的にやる病院でない限り、医師が病院外に出る機会は少ない。ほとんどないと言って良い。そういうなかで、「地図」と「現地」を結びつける大切な役割をもつのが、訪問看護や保健師の訪問である。そして、本書はそういう業務に携わる人たち向けの実践書であり、また精神保健に従事するための哲学書でもある。

『精神科看護のための50ヵ条』と同じく、素晴らしい内容だった。ただ、病院が活動拠点の精神科医である自分にとっては看護のほうが身近なので、『看護のために』が実践的で役立つものであるのに対し、本書のほうは「気構え・心構えとして非常に参考になる」という感じだった。

訪問をメインにしている看護師や作業療法士、保健師、保健所職員にとっては実践的でためになる話が多いのではなかろうか。

2017年3月23日

精神科患者からスタッフが暴力を受けたときに、医師がとるべき態度

俺の不在時に、病棟の女性看護師が患者から抱きつかれたそうだ。

女性看護師にとっては、何歳になろうと、もちろんどんな体型であろうと、男性患者から突然に抱きつかれるのは恐怖である。こういうことが起きたら、医師はその看護師へのケアを第一優先にして、「怖かったでしょう」「あなたは悪くない」といったメッセージをしつこいくらいに伝えるべきである。

精神科患者からスタッフが暴力や理不尽な暴言を受けた場合、いくら加害者が患者であっても、医師は「喧嘩両成敗」や「中立」的な態度はしないほうが良い。むしろ、瞬間最大風速としては完全にスタッフの味方になるくらいの心構えが必要だ。中立になるのは、スタッフのケアをやってからでも遅くはない。

ここで、中立になろうとしたり、煮え切らない態度をとったりすると、スタッフは安心して仕事ができず、それは結局のところ患者のためにならない。こういう場合の「中立」は、患者の味方をしているようでいて、実は単に自分の身を安全圏に留めておきたいだけなのである。そして、そういう気持ちはスタッフにもよく伝わる。また、自分が被害にあったわけではないスタッフも、その時に医師がどういう態度・対応をするかはしっかり見ている。

患者ファーストを常日頃から心がけていても、スタッフファーストになるべき事態は稀ならず起こる。この時にとるべき態度を誤ると、スタッフからの信頼は得られない、あるいは得てきた信頼も失ってしまう。


下の2冊は、自分が病棟での対応に失敗した時に読んで大いに参考になり、また反省につながったもの。

 

2017年3月16日

複数の視点で語られる新選組が活き活きしていて面白い 『新選組 幕末の青嵐』


新選組を題材にした小説である。物語は、土方歳三がまだ薬売りをしていた思春期時代から時系列で進んでいくが、約10ページごとに章が変わり、同時に主人公も交代する。近藤勇、土方歳三、沖田総司といった有名どころだけでなく、永倉新八、斉藤一といった歴史通が好みそうな人たち、原田左之助、山南敬助、井上源三郎、それから芹沢鴨、武田観柳斎、伊藤甲子太郎といった人たちも語り手になる章がある。

非常にきれいにまとまった小説で、読みながらまったく退屈することがなかった。あとがきによると、これを2ヶ月半で書き終えたというのだから凄い。

新選組に詳しい人が読むと、あれこれ欠点が目につくのかもしれないが、史実に拘泥せず面白い小説が読めれば良いという人にはお勧めできる。

2017年3月15日

「てんかん臨床エッセイ」なんて初めて読んだ! 『モンタナ神経科クリニック物語』


アメリカの医学部を卒業し、アメリカで勤務する日本人医師、それも「てんかん専門医」の診療エッセイである。

これまで医療エッセイは数多く読んできたが、「てんかん臨床」を主題にしたエッセイは初めてだ。もしかすると、出版されている中で「てんかん臨床エッセイ」と呼べるのは本書だけかもしれない。ほぼすべての章が、患者や家族とのやりとりをはじめとした臨床エピソードで成り立っている。

ある女性は、てんかんの男性を長らく献身的に支えてきたのに、彼がてんかん手術を受けて発作が改善すると、なぜか家を出て行ってしまう。この話を読んで、日本人もアメリカ人も「こころの機微」は同じだなぁとしみじみ。しかし、このあたりのこころの動きについて本書では触れられないままであった。というより、むしろ著者の感想は「なんでだろうねぇ」というものだった。

てんかん発作の専門用語や薬の名前はほとんど出てこないので、一般の人が読んでも難しいところはほとんどなく面白いと思う。医師としては、著者のてんかん患者に対する愛情に好感が持てて、自らの診療を見直すきっかけにもなった。「てんかん臨床エッセイ」に興味のある方にはぜひともお勧めである。

類似の本で、お勧めのものをご存じの方は教えてください。

2017年3月14日

プロ世界の厳しさと優しさを知る 『プロ野球 二軍監督 男たちの誇り』


しつこいようだが、俺はプロ野球にも高校野球にも一切興味がない。一試合をまともに観たこともないし、ソフトボールは経験があっても、いわゆる「上投げ」での野球をやったことがない。バッティングセンター経験は10回にも満たない。

それなのに、なぜ野球ものの本を読み続けるのか、自分でもよく分からない。

ただ、野球ものの本で描かれるプロとしての姿勢、考え方、生き様、人間模様、その他もろもろが、精神科医として、あるいは病棟医長としての自分にとって参考になる気がするのは確かだ。

選手のことは、よほど有名でもない限り知らないので、こういう本を読んでも、聞いたことのない選手名がたくさん出てくる。当然、面白さも減るし、感情移入もそうできない。そんなわけで、一時は野球ものを断とうとも思ったが、きっと、これからも読むのだと思う。野球に興味を持てないままに……。

野球を読む。

そういう読書、そういう野球とのかかわり方もありなのだ、たぶん。

2017年3月10日

精神科の診察室における「言葉の波長合わせ」について

たとえば、統合失調症の患者が外来で、「霊感的なものが強まった」とか「神の声が聞こえる」とか言ったとする。同席した家族はウンザリ顔で、
「お前がおかしいんだよ! 何も聞こえないんだ! ありえないこと、変なことばかり言って……」
と声を荒げたり苦笑したりする。患者と家族は、いがみ合うような雰囲気になりかける。そこで、診察医として、
「聴こえるのは本当だと思いますよ。ただ、それは僕にも聞こえませんけど。でも、嘘を言われているわわけではないはずです」
と間に入ると、患者は、
「先生だけですよ、分かってくれるのは……」
と言って、時に涙する人もいる。

このままでは治療が進まないので、
「ところで、その霊感的なものが強すぎると、生活がしにくくないですか?」
そう尋ねて、
「まぁ……、そうですねぇ」
と返ってくるようなら、
「その霊感的なものを薬で少し弱めるくらいがちょうど良いかもしれませんよ」
そう声かけすると、わりと納得してもらえる。

「霊感的なものが強いほうが良い」と答えられる場合もある。こういう時は、
「でも、家族に分かってもらえずに、こんな感じで家族とピリピリした感じになってしまうのは辛くないですか?」
ちょっとだけ家族に手伝ってもらうような気持ちで、患者自身と家族に「その人の生きづらさ」みたいなものに目を向けてもらう。

さてここで、患者とのやり取りにおける「言葉の波長合わせ」についてである。患者が「霊感的なもの」と表現した時には、こちらも「霊感的なもの」という言葉を使う。患者が「神の声」と言うなら、こちらも「神の声」、「四次元パワー」なら「四次元パワー」。すごく些細なことだが、面と向かってやり取りする時のこういう「言葉の波長合わせ」は大切である。

この「言葉の波長合わせ」だが、子育てではみんな自然とやっていることである。
「パパ、お星さまがキレイだよ!」
と言われたら、
「ほんとだ、お星さまいっぱいだねぇ」
と返すだろう。普段は「お星さま」なんて言葉は使わないのに、自然と「お星さま」という言葉が出る。まさか「おお、満天の星だね」とは言わないはずだ。
「パパ、お月さまだよ!」
と指さす子には、
「うん、きれいなお月さまだねぇ」
と答え、それから少し新しい言葉を教えようと思ったら、
「ああいう形のお月さまを、三日月、というんだよ」
こんな感じになる。

診察室での「言葉の波長合わせ」とは決して大それたことではなく、上記のような「日常にありふれていること」を、幻覚や妄想や自殺願望など「日常であまり接しないこと」に対してやっているだけなのである。

2017年3月8日

計見初心者は読むべからず! 『現代精神医学批判』


決して読みやすい本ではない。難度の高い内容と、わりと理解しやすい話とが入り混じっている。よほど精神科医療に興味がある人でないと読み通せないだろう。それどころか、精神科医の中にさえ途中で放り出す人がいるかもしれない。なんとなくそんな気がする。

また、読み終えた人の中からも賛否両論が出そうだ。それは本全体に対する賛否ではなく、「ここは賛成だが、この部分には納得いかない」とか「先生のこの考えは好きだが、こういう意見は受け容れられない」とか、そういう形での両論である。

計見先生の本を初めて読むという人にはお勧めしない。

まずは読みやすくて実践的な『急場のリアリティ』から、どうぞ。

2017年3月7日

司馬遼太郎による新選組短編集 『新選組血風録』


『壬生義士伝』の著者・浅田次郎のおかげで(せいで?)、新選組への毛嫌いや食わず嫌いがなおった。しかし、こうなると他の新選組関係の本も読みたくなってしまうのが、俺の読書パターン。そこで、ひとまず安定の(?)司馬遼太郎、それも短編集を読むことにした。内容は、さすが司馬遼太郎、という感じ。ポイントをはずさず飽きさせず、史実と小説を巧みに混ぜ合わせて、面白い読み物に仕上がっている。若者たちの不器用さにクスッと笑えてしまうような場面もあるが、舞台は幕末、新選組、ということで、どの短編でも誰かが死ぬ。悲壮な時代だったということがじわじわ伝わってくる。

新選組についてあれこれ言うほどの知識はないが、きっと人それぞれで好みの人物が違うだろうと思う。俺はというと、実直そうな近藤勇も、飄々とした沖田総司も好きになれず、やたら目端の鋭い土方歳三に魅力を感じる。近藤勇のような上司のもとで、土方歳三のような役割を果たせたらカッコ良いなぁ、なんて憧れてしまうのだ。


<関連>
新選組アレルギーを治療してくれた小説 『壬生義士伝』

2017年3月6日

冬の日のオヤツ遠足

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最後に記念撮影。


※平成29年1月2日撮影。

2017年3月3日

研修医の誤診と、その診療を見逃したことにヒヤリとした話

もともと大酒家の60歳男性が、酒をやめた数日後からボーっとなったということで総合外来を受診。診察した研修医は採血や頭部CTで異常がないことを確認し、「若年性アルツハイマー病」と診断して、治療薬アリセプトを開始した。

これはおそらく誤診で、正確な診断は「アルコール離脱せん妄」だったはずだ。

この患者は、それから半年後に精神科を受診し、そこでこの誤診発覚となった(認知症はなく、重いアルコール依存症だった)。当時の研修医記録と検査結果をみると、頭部CTで脳の委縮はほとんどなく、また研修医はHDS-R(簡易認知症検査)も、箱や時計の描画検査もしていなかった。もしかすると「検査は行なったがカルテ記載をしていなかった」のかもしれないが、カルテに記載していない検査は行なっていないのと同じである。

さて、研修医が誤診したとしても、それは責められるべき話ではない。最大の問題は、この研修医のカルテを「誰もチェックしていなかった」ということだ。通常、研修医の診察の後には、指導医がチェックして「上記カルテを承認した」と書くのだが、今回はそれがなされていなかった。

この原因が「研修医の独断専行」だったのか、「指導医の怠慢」だったのか分からないが、同じ病院で勤務する精神科医としては、ヒヤリとするケースであった。

2017年3月2日

砂場遊び

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たいてい「お店屋さん」をやっている。

2017年3月1日

精神科医が読んでも面白かった 『治せる精神科医との出会いかた』


購入のきっかけは、自分自身が患者から「治せる精神科医に出会えた」と思ってもらえるために、いったいどういうことに気をつけなくてはいけないのか、何か参考になればと考えたからだ。

タイトルは患者向けという感じがするが、実際には医師が読んでもナルホドと思う内容が多かった。

中でも、「ふだん精神医療・福祉に無関心なのに、いざ自分が当事者になった時に慌てて名医探しをしても見つかるわけがない」というような記述には、思わずウンウンと大きく頷いた。

中沢先生の本は医療従事者でなくても読みやすいものが多いので、ぜひとも多くの人に手に取ってみて欲しい。


<関連>
語り継がれるべき名著 『精神科看護のための50か条』
ストレス社会を、生きぬくための息ぬき、息ぬいて生きぬく 『ストレス「善玉」論』